自分の感覚が鈍っているのだ。
占うことはできませんけれど。キンモクセイが香りを放ちます。冬の訪れは遅くなるかも知れません。
去年はクリスマスもお正月もありませんでした。それでも準備はするつもりだったのです。
ひとりでクリスマスもお正月も・・形だけはと考えていました。なのに・・・
私は,クリスマスもお正月も,手術室とICUと・・・その往復で,意識も朦朧としていました。何も考えてはいませんでした。年が明けたのも知らなかったのです。
我が家のキンモクセイがどんな様子だったのか・・・覚えてもいません。
今年はよい季節でありますように。キンモクセイが香ります。
夏が引き上げていくときに,入れ替わりにやってくるのではありません。彼は静かにしのびこんでくるのです。我が家のキンモクセイはまだねむっています。
優しい声でハウスと言われる犬の気持ちを思います。
皮肉のつもりです。
鹿児島市からマスクをいただきました。1家に5枚,ポストにとどけてくれました。
感謝感謝です。
お子さんはすでにみなさん独立なさって遠方に住んでおられます。
一人暮らしですから,ご自分で買い物をし,家事をこなし,医者の言いつけ通り一日に一度は万歩計をつけて散歩です。
2年ほど前に,体力に自信がないからと勧められて,自動車免許を返納しました。
熱がでたら,コロナの検査をしなければならなくなったら,公共交通機関は使えないということです。
どうやって移動すればいいのでしょうか。どうやって検査すればいいのでしょうか。
頭の悪い私には難しいことはわかりませんが。
ずっと昔。花の名前を知らない,名前を覚えない私にネットのお友達が教えてくれました。オキザリス。この名前の響きが好きです。小さないきものの名のように思えます。伝説の登場人物の名のようです。
久しく会えない友人がいます。雨の季節の前には会えるつもりでいたのですが,この大騒ぎで,きっと実現はしません。なんてこった。なんてこった・・・です。
むかし,むかし。ココで待てと言われて,また,ココで会いましょうと約束して,友人を待ち続けたちいさなサルがいました。いやリスだったかも知れません。リスくらいの大きさのサルだったような気もします。
いつまでたっても彼は現れません。何日も,何ヶ月も,何年も,何十年も・・です。おいてけぼりにされた彼は,いつか小さな植物に姿を変えました。オキザリスです。この話,ギリシャだかアラブだかの神話です。
もちろん,嘘です。
なのに私は寒くて寒くてしかたない。
鹿児島でコートやジャンバーを着ることなんてひと冬にそう何回もあるものじゃない。そう思っていた。感じていた。
なのにこの冬はコートなしで外出なんてできない。そう思っている。感じている。
誰がなんと言おうと私は寒いのである。
みなさんのところではこんなの寒くないじゃないかと・・・でも私はとっても寒いです。
部屋の中でストーブつけて14℃。寒いです。
今年の冬はとりわけ寒さを感じます。12月はこんなに寒かったかな。なんて思っています。
さむいさむいさむいと歌っていた頃の寒さはもっとずっとほんわかで,暖かかったような気がします。
あれは3つ前の日曜日だったのだ。彼の勤め先はまさに千曲川決壊のあの場所にあり,後の整理はまだできていないという。
奥さんが観光案内してくれたいくつかの場所は,車で見せてくれた様々な風景が,俯瞰からの絵で水の中に沈んでいた。
千曲川は美しい川だ。あの町を走れば何度も橋をわたるから,川横の堤を何度も走ったことがあるから・・・あんな情景にことばもない。忘れがたい景色だ。
様々な地域に生息している仲間たちだから。誰かは異常気象の災害に遭遇している。
季候がよくなって,天気がよくて気分がよくて,脳天気だから,すぐに忘れてしまう。私はすぐに忘れてしまう。
それでも止むを得ずまぶしい外の世界をゆっくり歩くと,こんなにも近くに秋が落ちていた。普段どれだけ歩かないかわかる。自宅のこんなにも近くに銀杏の木が立っていることを知らなかったのだ。
目が見えるということはありがたいことだと,あらためて思う。完全な視力の回復にはもうしばらくかかりますよ・・と忙しく有能な先生はやさしい。