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一日が長かったあの頃に戻りたい日記

昭和末期から平成初期のテレビゲーム、パチンコ、パチスロ、マンガ等の思い出話です。

1990年代前半の対戦格闘ゲームの情報入手方法

2023-08-13 21:59:08 | ゲーム
 この頃(平成の初め)は当然SNS、インターネット、携帯電話・スマホは一般家庭にはありません。パソコンも、そもそも一部のマニアのみの趣味で、さらにそのごく一部がパソコン通信と言われていたメール送受信・掲示板書き込みなどのサービスを使っていましたが、当然テキストのみのやり取りだったと思います。

 この当時に、例えば子供たちが「明日の天気を知りたいな」と思ったら、とりあえず出来ることは、

 ・今日の新聞を見る
 ・177に電話する
 ・テレビを付ける

上二つはほぼ確実に知れますが、テレビは時間によりますね。

 そしてこの当時に、例えば子供たちが「ガイルの連続技を知りたいな」と思ったら、とりあえず出来ることは、

・ゲーメストを見る
・ベーマガを見る
・ガイル使いの気さくな優しいお兄さんに聞いてみる

 上二つはほぼ確実に知れますが(情報量・質的にゲ>べ)雑誌に載っている時点でもう誰もが知っている古い技になっているんですよね。その当時はそんなことは考えずに「新しい連続技だ~」「立ちスクリューだ~」と得意気に使っていましたけど。その当時格闘ゲームが上手い人は、自分でオリジナルの連続技やキャラ同士の技の相性なんかを探り当てているから上手いんですけどね。

 そんな1992年のとある日、いつものゲーセンでストⅡダッシュの対戦台待ちをしていた時にふと隣のストⅡを見ると、普段このゲーセンでは見かけないお兄さんがガイルの一人プレイをしていました。そしてCPUバルログと対戦中にそれは起こりました。

 ヒョーの準備で金網に張り付いたバルログ。なぜかガイルが投げのモーション。え、何でジュードースルーしてるの?

 そして金網から強制的に剥がし落とされて、なぜか投げを喰らっているバルログ。は、なんで投げ喰らってんの?

 畳みかけるようにさらにガイルが投げのモーション。投げられて倒れているのに、強制的に投げられるバルログ。さらに追い打ちで投げ。倒れているのにまた投げられるバルログ。常連さんも、店員さんもこの光景に釘付け…

 真空投げのやり方が、我が町のゲーセンに広まった瞬間でした。

 このお兄さんも、知らない人に教えたくて使っていたと思われるので、聞けば出し方を懇切丁寧に教えてくれました、詳しくは書きませんが。
 そして、ストⅡの対戦台の筐体には「ガイル真空投げ禁止」のテプラが貼られましたとさ、めでたしめでたし。

 今ならSNSで瞬く間に広がって、瞬時にアップデートでバグ対策されるんだろうな、と思ったらプレイステーション4で発売されたストリートファイターコレクションのストⅡで出来るみたいですね、ある意味すごい移植度ですね。エミュレーター?

 ちなみに龍虎の拳の龍虎乱舞も、ほとんど同じシチュエーションで我が町のゲーセンに広まりました。

ストリートファイターⅡ(1991年 カプコン)

2021-04-25 00:46:57 | ゲーム
 30年前の1991年3月にゲーセンで稼働開始されたストリートファイターⅡ…空前絶後の対戦格闘ゲームブームを生み出したこのゲームについて、今更語る必要も無く、ゲーム内容については特に説明する必要も無いとは思います。
 そこで私が印象に残っている、ゲームとは違う角度から見たストⅡに関しての出来事を取り上げたいと思います。

スーパーファミコン版のCM

 私は関東在住でしたので、月曜午後7時のTBSで「クイズ100人に聞きました」を見ていました。1992年ごろは確かカプコンがスポンサーになっていて、スーファミ版のストⅡのCMが放映されていたと思います。筋肉少女帯の歌「バトル野郎」…「極、めよ、道!、悟、れよ、我!」の歌声とともに、水野美紀さん演じる春麗がベガと対峙するシーンが印象的でした。

ステージBGMに歌詞がついてCD発売

 リュウステージ:「嵐になれ」山本淳一(光GENJI)
※基本このブログの昔の話は、私の昔の記憶に沿って記していますが「嵐になれ」を歌っていたのは確か光GENJIのメンバーだったと記憶していましたが、名前が出てこず、しかも私もすごく気になってしまったためググってしまいました…
 春麗ステージ:「夢へのポジション」宮前真樹(CoCo)

 他のステージも歌詞がついて歌手が歌っていたと思いますが、確かシングルCDが発売されたのはこの2曲だったと思います。当時このお二方は人気アイドルでしたので、まさかキャラコスプレまでしてテレビで歌うとは…ストⅡを知らないこの2人のファンはどう思っていたのかは定かではありません。
 そういえば、何かの歌番組(番組名の記憶なし)に2人がそれぞれリュウと春麗のコスプレして出演した際、司会の方に「何か必殺技を披露して下さい。」と降られた山本さんが、波動拳の構えで「昇竜拳!!」と言ったとか言わなかったとか…

某週刊少年誌での多分無断掲載

 ストⅡをゲーセンで夢中になってプレイしていたころ、週刊少年誌の人気もピークだったと思います。「努力・友情・勝利」、「ヤンキー・不良・族」などがありましたが、私は当時好きだった漫画家さんが連載していた業界3番手の少年誌を購読していました。
 1991年のとある水曜日、高校帰りにいつもの駄菓子屋で購入し、さて今週の「星パラ」は…と思いながら家で読んでいると、当時初週刊連載を開始した新人漫画家さんの漫画にストⅡのキャラが…乱闘シーンの中にスクリューを決めているザンギエフ、昇竜拳を放つリュウやケン、百裂キックを放つ春麗が小さく描かれている…確か全キャラいた気がしますが、この作者さんもストⅡ好きなんだなぁ、という思いとともに、全国発売の週刊誌にこんなの載せていいのか?©表記等がないから多分無許可だろ、とも思いました。まあ、ある意味この当時のゲームの著作権なんて、大手出版社からしたらこの程度の認識だったのか、それともカプコン側が宣伝になるから黙認していたのか、それとも全く気付いても気にしてもいなかったのか、もしもこの当時にネットがあったらこの件は炎上していたのかなぁ、と思う今日この頃。
単行本では削除されているのでしょうか?書く仕事も大変ですね、絶望が多くて。

パチンコ、パチスロ化

 この当時の私に伝えたい、数年後にストⅡがパチンコやパチスロになっているけど決してのめりこむな…と。




ロマンシア (1986年 日本ファルコム)

2020-11-26 05:20:54 | ゲーム
 RPGは難解で当たり前、エンディングを見ることができるのは選ばれた者のみ、自力でエンディングなんて見られなくて当然…な時期がありました。ファミコンでドラゴンクエストが発売されるまで、PCではイースが発売されるまではRPG=高難易度だったと思います。
 不条理なフラグ立て、意味不明なヒント、意味不明どころかヒントそのものが存在しないイベント、そして無駄に広大なダンジョンなどなど、昭和時代のRPGはゲームキッズ泣かせの難易度が高いゲームが多いです。
 そしてその中でも特に難易度というか鬼畜度がずば抜けて高すぎたゲームがロマンシアでした。上で記したものがすべて詰め合わされて更にドン!!みたいな超ド鬼畜なゲームでした。
 ロマンシアは日本ファルコム開発のRPGで、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥ、ロマンシア、ドラスレファミリー、ソーサリアン、英雄伝説…と続くドラゴンスレイヤーシリーズ第三弾です。よく見たらソーサリアンまでは高難易度RPGですね。

 私は小学6年生の時にこのゲームを買ってしまいました。本当はグラフィックが綺麗なMSX2版を買いたかったのですが、MSX版しか我が田舎町のPCゲームショップには在庫が無く、とりあえずすぐ買って遊びたいのでMSX版を購入しました。
 早速説明書を読みROMカセットを我がA1に挿入、スイッチオン!…してはみたものの、何をすればいいんだこれ?まずは王様に謁見し、なるほど王女を救うのが目的か、とりあえず街をウロウロし、建物に入って人から話を聞いて、教会の神父に薬を貰って、ああ、これで病気の人を助けるんだな、じゃあ薬を渡してみるかと渡したらカルマが増えて、なるほどこうやって良いことをしてカルマを増やすのか、カルマを増やしていいのか?そして教会の奥の人に話したら…あれ、昇天して死んだぞ、ゲームオーバーか…え、また同じことを繰り返すの?といった感じで手探りでプレイ、たまたま水中の杭を押し込めることがわかったり、ある程度のカルマがあれば昇天後に天界へ行くことが出来たりと色々と試していると…数日後ついに奇跡的に自力で王女を救出!今思うと自力で良く救出できたもんだな、と思います。セーブもコンティニューも無いのもなかなかに鬼畜です。
 そして、やっぱりここで終わらないのね、と王女救出後もゲームは続き、そして豚になり、王女の捕らわれていた牢屋の奥に……
 はい、巨大ダンジョン登場、しかもどの方向に行っても同じ地形が続く鬼畜(手抜き)仕様で目印もない…マッピングするしかないのかこれ、でもゴールはどこになるんだこれ…どうするんだこれ…と途方に暮れてクリアをあきらめていた小学校卒業間近の私が、たまたま友達の家で見ていたファミリーコンピューターマガジンの広告に、「MSXFAN近日創刊、特集:ロマンシア攻略」を発見、そしてMSXFAN創刊号を購入し、ロマンシアの攻略記事を見てダンジョンを抜けることに成功、そしてその後もこの記事を参考にし(というかこの記事か無かったらクリアは不可能に近い)とうとうドラゴンとの一騎打ち、多少の必勝法は記してあったと思いますが、こればかりは攻略記事を見てもどうにもならないアクションゲームなので、自力で頑張り何とか迎えたエンディングは、「CONGRATULATION」の表示と共に街の上空をドラゴンに乗って飛んでいるだけ…これを見るために頑張ったのか、そしてロマンシアは二度とやらん!と誓った中1の春でした。

 しかし、ロマンシアを買ったお陰でMSXFANに出会えたわけで、もしもロマンシアが自力でクリアできるRPGだったら、私はMSXFANに興味が湧かずに購読していなかったのかもしれないと思うと、まあ鬼畜難易度で良かったのかとも思えますね。いや、思わないな。


ザ・ゲームシティー(テレビ番組)

2020-09-19 03:48:50 | ゲーム
 私が高校生だったころ、確か1991~92年ぐらいにテレビ朝日の深夜番組で「ザ・ゲームシティー」という番組があったと思います。(ググっても全く引っかからないのでタイトル名が記憶違いかもしれません)
 確かビデオ録画せずに夜中に見ていた記憶があるので、翌日に学校がない金曜か土曜の深夜に放送していたのは間違いないです。この当時としては珍しくアーケードゲーム専門の番組で、司会進行は確か当時人気だったラッキー池田さん松居直美さんでした。そしてこの2人とゲームメーカーの社員の方が自社のゲームを紹介したり、バラエティー番組のようなクイズかゲームをしていたような番組でした。
 放送時期で何となく察するとは思いますが、完全にストリートファイターⅡ人気に便乗しての放送開始だと思われます。確かこの頃、同じくテレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」で「最新流行ゲームマル秘攻略法」という内容の放送でストⅡの紹介をしていて、ゲーメスト編集部の方が出ていた記憶があります。そしてゲーメストに確かこのことが載っていたと思います。
 まだアーケードゲームが市民権をあまり得ておらず、ゲーセン=悪のイメージが大きかった所でのストⅡの大ヒット、個人的にはここからゲームセンターが変わってきた印象が強いですね。しかしまさかリュウステージと春麗ステージのBGMに歌詞が付いて、さらに光GENJIとCOCOのメンバーがコスプレをして歌うなんて思いませんでした。

 まあ、この番組は短命で終わってしまった記憶がありますが、30年たった今でも覚えているのは、オープニングで司会の二人が音楽に乗って両袖からステップを踏みながら入場してくるシーンと、結構な頻度で出演していたアイレムの社員の方と、何故か名前を憶えているこちらも結構な頻度で自社ゲームの紹介をしていたSNKの高津さんです。あれ、アイレムの高津さん?どっちだったっけ?
 


MSXという名のPC規格、そしてニチアサ

2020-05-26 02:41:17 | ゲーム
 1980年代後半のパソコン事情は、一家に一台どころか一部のマニアが所持している程度の普及率で、学校のクラスの中で4,5人が持っていたぐらいでした。当然スペックも今の物と比べてはならないレベルの性能差です。なんせ16色、良くて512色程度しか使用できず、そのくせ値段は数十万円。ROMやRAMの容量にギガ、テラなんて単位も使われるわけが無く、キロ、メガが関の山でした。データ保存はカセットテープ。初めてフロッピーディスクを使ったときは、あまりのセーブ、ロード時間の速さに驚いたものでした。
 
 そしてこの頃、そこそこの性能で値段も比較的低価格で、ソフトもハードも多数のメーカーが参画していたPC規格がありました。それが

 MSXでした。

 この当時コンピュータ、ゲームプログラミングに興味をもった子供たちの強い味方、そして私もその子供の一人でした。

 初めて買ってもらったパソコンが、超有名な格安MSX2の

  FS-A1(パナソニック)

 それから2年後、フロッピーディスクドライブ付きMSX2+の 

  HB-F1XDJ(ソニー)

 に乗り換えました。

 A1は多分、この当時の初購入パソコン四天王に含まれるんじゃないですかね。週刊少年ジャンプやマガジンやサンデーに広告が載っていたり、特集記事が組まれていたり、イメージキャラクターのアシュギーネの漫画が連載されていた覚えがあります。
 性能もこの当時ではかなりコストパフォーマンスも良く(29800円、消費税導入前)あとはフロッピーディスクドライブがあれば申し分ないですが、それがないからこその低価格路線でした。

 そういえば、日曜の朝、ニチアサといえばこの頃のPCキッズは
 
 パソコンサンデー(テレビ東京 日曜あさ9:30~10:00)

 を見ていたと思います。

私が見始めたころは、三波豊和さん、白石まるみさんが司会の「豊和、まるみのパソコンサンデー」。途中から小倉智昭さんが司会で、PC専門家として高橋雄一さん、そしてPCキッズの憧れの山下章さんが出演していました。

 まあ、この番組はシャープの提供だったので、基本はMZやX1、そしてPCゲームキッズ憧れのX68000の特集が多く、MSXが取り上げられたことはないと思います。

 日曜の朝と言えば、9:20ぐらいにテレビを12chに変えてゴルフ番組の終わりを見届けたら、9:30から待ってましたのパソコンサンデー開始、そして10:00から8chに変えての増刊号、がお決まりのパターンでした。

                …いかん、思い出したら目から水が…