永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介 ~ユッコのページ~ 

1984年にデビューした永遠のアイドル岡田有希子さんの本当の姿を後世に残すためのブログです。ぜひコメントをお願いします

岡田有希子さんの生い立ちから知られざる芸能生活部分まで取り上げた本①

2013年11月15日 | 
岡田有希子さんのことは「かわいいアイドル」として世間では見られていました。
しかし、それだけはないことをノンフィクション作家の上之郷利昭さんが
生い立ちから芸能生活の裏側まで取り上げた本があります

作者の話
「取材を進め資料をあたっていくうちに、岡田有希子という少女の特異で
個性的な相貌がつぎからつぎと浮び上ってきた」

マネージャーの話
「そういう部分では、すぐ考えちゃうところのある娘だった・・・」

小学校の担任の話
「生徒として怒ったり注意したりした記憶がない。
 とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった。」

テレビディレクターの話
「不真面目で不良になっちゃってる大人には何でもないこと。
ところが、彼女にはそうできなかった……もっとずるくもっと上手に自分をごまかすことができなかった」

最優秀新人賞をとった直後の母親への言葉
「(同じ賞を競った)Kさんに申し訳ない、Oちゃんにわるい……」と、泣き叫んでしまった。


色々な岡田有希子さんが掲載されてはいますが、岡田有希子さんは大変努力家で一生懸命な人でした
有名な話ですが芸能界入りを反対された両親が3つの条件として

・学内テストで学年一番になること
・中部統一テストで学内五番以内になること
・志望高校に受かること

を出し猛勉強してすべて成し遂げました
そんな時期のことも書かれています。

*詳しくは「I Beliebv In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp

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この本「岡田有希子はなぜ死んだのか」読みました。 (バンダマン)
2020-07-06 08:35:20
この本の著者、上之郷さんはジャーナリストということもあり、素人では集積できない情報をたくさん与えて下さりユッコが死に至った原因を推察する材料をいただくことができました。真実は亡くなったユッコ本人しか知りえることではないと思いますが、残された私たちがその死を無駄にせず、生かして行くためにはとても助かる本だと思いました。私自身が辿り着いた(現時点で…)答えは、ユッコ…佳代ちゃんはアイドル、芸能界に向いていなかったという事でしょうか…。彼女の本質的な資質は完璧主義者であり、芸術家であったように感じています。何事も手を抜かずにひたむきに取り組む「良い子」であり、自分をごまかすことができない誠の人であったと。であるがゆえに、自分がこだわっている事柄に関しては妥協を許さずに何度でも何度でも自分が納得できるレベルに達するまで挑戦し続ける…そういう女の子…人間であったのだろうと。そういう子であるならば時間もエネルギーも自分のリズム・ペースで進めて行ける環境と周囲の理解が必要となります。それは時間や経費、その他諸々制約があり、関わる人たちがたくさんいる芸能界では、とくにまだ自分の立場・ポジションを確立していないアイドルでは全く不可能だと思います。そして佳代ちゃんはその内側に強烈な負けず嫌いと自分よりも他人を優先する優しさを持ち、その相克の中で悩みながら育ってきた子でもあったと思います。彼女の中には強烈な美意識、感性があり、それに対するプライドとそれを完璧に表現したいという強い欲求を抱えていたと思いますが、それを周囲の関係者に訴え、巻き込んで行く…つまり、自分を前面に押し出して自分の世界を理解させ、自分のペースに持って行くには、あまりにも他人を思いやり過ぎるゆえに、自分の思い、欲求を伝えることも、漏らすことさえできなかったのではないでしょうか…。そして、誰にもその苦悩・ストレスを打ち明けることもできずどんどん、どんどんため込んでしまい精神的に追い詰められてしまったのではないでしょうか?
佳代ちゃんは「もしもゆっくり休みがとれたら・・・油絵を描きたい
 ファーストビデオで行ったスイスの山々を真っ白なキャンパスに描きたい
 幼いころ、どうしても画家になりたかった私
 今、素顔の私に戻ってキャンパスに色をほどこして行く時
 いいようのない安らぎを覚えるのです・・・・・」と言う言葉を残していますが、これは佳代ちゃんの本心であったと思います。また、「自分はこの世界に向いていないかも…。」と言っておられたそうです。そういう言葉を考えますと彼女は芸能界から逃げ出したかったのではないかなぁと推察します。そして、もう一度やり直したかったのではないかと…。しかし、それは何事にも真剣に取り組んで行き、自分よりも他人を大切にする彼女にはできない事だったのでしょうか…。彼女には逃げ込む場所、避け所が必要だっと思います。彼女の思い、苦悩・不満を打ち明けることができる相談相手が傍にいてほしかったのだと思います。家族がそばにいれば彼女のストレスはある程度解消され、前向きに進んで行けたかもしれません。しかし、現実はそうはならなかった。そして、唯一相談相手となりえたのが…本当に唯一相談相手となりえたのが峰岸徹さんだったのでしょうか…。彼との関係が継続できなくなった時に、彼女は行き場を失ってしまったのだと思います。亡くなる前日、彼女は故郷に、家族のもとに帰ろうとした形跡があるようです。そこに逃げ込みたかったのだと思います。亡くなる当日、最初に自らの命を絶とうとしたとき、救急隊が彼女を発見したのは押し入れの下段だったという事ですが、幼いころの記憶がまた、押し入れへと導いたのでしょうか?幼いころ優しいお母さんが押し入れから導き出してくれたように、誰かが自分を苦悩から救い出してくれるのを願っていたのかもしれない…今はそう思います。
 このような純真で、まっすぐでかよわいユッコだからこそ、私たちはユッコに惹かれ虜になったのだと思います。そして、こういうユッコだからこそ、その残した傷跡の深さに、残された私たちは…多かれ少なかれ…苦しむことになっています。
 本当に自殺は良くない。他殺死や事故死・病死よりはるかに良くない。残された者たちにとって一生涯負いきれない重い十字架…自責の念…を背負わせることになってしまうから。私自身はあの日からずっと、この衝撃から目をそらしてきました。最近、30年を過ぎてようやく真実に目を向けてみようと、このことに関して前向きになりました。その目をそらしていた期間、身近な子をユッコと同じ形で亡くならせてしまいました。その子も「ひとりでいるのが怖い」と遺書を残して逝ってしまいました。もっと早く逃げずに向き合うべきだったと後悔してやみません。
 身近な人たちの避け所となりたいと願いつつ、前を進んで行きたいです。
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