永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介 ~ユッコのページ~ 

1984年にデビューした永遠のアイドル岡田有希子さんの本当の姿を後世に残すためのブログです。ぜひコメントをお願いします

福田時雄さん(サンミュージック)が岡田有希子さんを語る(その2)

2016年10月22日 | ユッコ
前回に引き続き、週刊朝日平成28年8月19日号の「サンミュージック創業50周年特別企画」という中で
福田時雄名誉顧問(元専務)が岡田有希子さんについて語っていることを取り上げます

「1986年4月8日の朝、サンミュージックの当時の相澤秀禎社長から
『有希子が大変だ。北青山病院に迎えにすぐ行ってくれ』と電話が入ったんです。
駆けつけるとカーテンの奥で手首に包帯を巻かれた有希子が泣いていた
ワーッと声を出して泣くのではなく、シクシクという感じで。
幸いためらい傷だけだったので、医者に入院の必要はないと告げられ、私は有希子を連れてタクシーに乗りました。
『どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか? 自宅マンションへ帰るか? 事務所に行く?』と尋ねると
『事務所がいい』と言うので、四谷へ向かったのです

「有希子を6階の社長室に連れていき、私と付き人の女の子が寄り添いました。
しばらくすると外にいた相澤から電話が入ったので、私が隣室に移った。
その隙に彼女はスウッといなくなってしまったのです・・・・」

「有希子はその直後、自ら命を絶ち、福田氏は1時間後、相澤氏とともに記者会見に臨んだ」

「会見のときは本当につらかった。しかし、記者の質問には正直に全部答えようと相澤と話し合って臨みました。
私がわかっているのは、有希子が素敵な子だったということ

彼女のお父さんに葬儀のとき、『短い人生でしたが、人生を凝縮したような幸せな子でした』と言われました。
相澤も私も、どれほどその言葉に救われたかわかりません・・・

福田さんはスター誕生で岡田有希子さんをスカウトした人です。福田さんもとてもつらい気持ちだったようです・・・
コメント (6)
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