永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介 ~ユッコのページ~ 

1984年にデビューした永遠のアイドル岡田有希子さんの本当の姿を後世に残すためのブログです。ぜひコメントをお願いします

岡田有希子さんを再びテレビで放送「歌謡史に輝く100曲」

2022年01月10日 | テレビ
夏に放送された第2弾として本日のテレビで「歌謡史に輝く100曲」に岡田有希子さんが再び登場しました
「伝説のアイドルソング20選」の中での紹介です

今回はこれからテレビでながれる何人かをテレビ画面を分割して画像と名前で先に映し出し
その後に放送するというやり方でそこに岡田有希子さんが出ていましたよ
加えて、次は誰が流れるかを左上に文字で予告するという見る側にとっては有難い方法でした。

VTRは前回と同じ番組ヤンヤン歌うスタジオからの「くちぶるネットワーク」でした。
放映されるのは「恋はじめまして」かな、それとも「リトルプリンセス」の歌かな・・・
と最初想像してしまいました。

こうやって岡田有希子さんがテレビで流れることはうれしいことですね
 
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岡田有希子さんの賞レースでの本心

2021年12月28日 | ユッコ
今年もそろそろ終わりです。
年末と言えば当時は歌の賞レースというものが盛んでした
そこで今日は2014年12月24日の賞レースのブログを再掲します。
岡田有希子さんのテレビなどではわからない本当の内面が垣間見えます

~岡田有希子さんも新人賞を多く受賞していましたし本人もそれを欲していたようです。
 しかし、あまりそれを表に出せない自分がいたようです

文献引用
『中学校のころ、芸能界に入りたくて、あっちこっちのオーディションに応募の葉書を書いた。
 クラスメートの中にも応募する者はたくさんいたが、みな大半は面白半分で葉書を送っていた。
 しかし、彼女だけは本気だった。彼女は本気で応募していることを知られるのを恐れた。
 内心は胸がつまるほど真剣に思いつめていたのである
 賞獲りレースの場合もまったく同じだった。心の中では猛烈にそれを欲していた。
 だが、それを知られることが恥しくって、人前ではよけい引っ込み思案になってしまった』

そして、12月31日のレコード大賞の最優秀新人賞を獲得し喜びの涙にあふれていました


しかし、その後の家族の元へ行くと争った同期の歌手に泣きながらお詫びする気持ちを口にしていたそうです。
『Kさんに申し訳ない。Oちゃんにわるい……と泣き叫んでしまった

岡田有希子さんは元々自分を犠牲にしても他人を優先するような人ですから
ふと終わった賞レースにわれに返り本来の自分に戻っての言葉なんでしょう。

やっぱり、岡田有希子さんは本当に大変思いやりのあふれる人で
あれからもう35年経ちますが今だに愛されているのはこのような所からなんでしょうね・・・
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今日は岡田有希子さんの誕生日「子供の頃と生まれ育った場所」

2021年08月22日 | ユッコ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です。生きていたら54才ですね・・・
そこで今日は岡田有希子さんの「子供の頃と生まれ育った場所」について取り上げます
*写真:岡田有希子さんの子供の頃と母親


岡田有希子さんの故郷は愛知県。名古屋市熱田区金山で育ちました
高蔵小学校の時の担任の竹内先生は岡田有希子さん(本名:佐藤佳代)のことをこう語っています
『佐藤佳代の場合「どの科目を4にしようか」と悩んだくらいである。オール[5]なのである
勉強ばかりか掃除の時間などでも手を抜くということがない生徒だった。』
岡田有希子さんは勉強がとてもでき成績も良く生活面も優れていて大変優秀な子供だったとか・・
*写真:名古屋市立高蔵小学校


しかし、竹内先生の話ではこうも感じたという・・・
『生徒としての佐藤佳代を怒ったり注意したりした記憶がないという。とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった
 長い教師生活の中でも佐藤佳代ほど「完璧」な生徒は他にいなかった。「それが、かえってあの子にとって、よくなかったのかもしれない・・・」「芸能界みたいな厳しい世界で生きてゆくにはあまりにも優等生すぎたのかもしれない」と竹内先生は振り返ったという・・・・

写真は岡田有希子さんの生まれ育った街「名古屋市熱田区金山」です。

青い丸は高蔵小学校、緑の丸は金山駅(岡田有希子さんの最寄り駅)、赤い丸が名古屋市民会館で亡くなる2日前にコンサートを開いた場所
岡田有希子さんの故郷の名古屋に行く時の参考にして下さいね
追伸:実は岡田有希子さんの実家も小さく写っています
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岡田有希子さんテレビに登場(歌謡史に輝く1曲-3秒聞けば全曲わかる-)

2021年08月08日 | テレビ
テレビ東京系列で「歌謡史に輝く1曲-3秒聞けば全曲わかる-」と言う番組が本日ありました。
テレビ東京と言えばアイドル全盛期に「ヤンヤン歌うスタジオ」というアイドル番組を放送していました
当時の「ヤンヤン歌うスタジオ」の若いスタッフ達は今やテレビ局内では役職についてエライ人が多いので
もしかして取り上げてくれるのでは・・・
とダメもとで見ていたらアイドルのコーナーで岡田有希子さんが流れましたよ


多くの歌手が順番に流れていくのでひとつひとつのシーンにコメントやアナウンスがない番組構成だったので
その方が岡田有希子さんを取り上げやすかったかもしれません。

映像はやはり「ヤンヤン歌うスタジオ」からでした。
とにかく岡田有希子さん(ユッコ)がテレビで流れるのはうれしいことですね

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岡田有希子さんの自殺理由を当時の福田専務が語る

2021年04月08日 | テレビ
今日は4月8日・・・・今から35年前の1986年4月8日(火)12時15分頃に岡田有希子さんは亡くなりました
岡田有希子さんをスカウトし亡くなる直前まで一緒にいたサンミュージックの福田時雄元専務がその理由を語った番組があります。

福田さんはその理由を尋ねられ「1回目ですか?2回目ですか?」と尋ね返しました
1回目は南青山にある岡田有希子さんが住むマンションで手首を切りガス自殺を図りました。
この1回目を福田さんはドラマで共演した年上の俳優に思いを寄せ思いがかなわず自殺(未遂)をしたのではと話しました。

管理人から所属事務所のサンミュージックに連絡が入り、福田専務が北青山病院に迎えに行きました
事務所に戻り、歯医者に行っていた相澤社長から電話が入り岡田有希子さんの前では話しにくいと思い
隣の部屋に福田専務が移った後に付き人のスキをついて部屋から出て行ったそうです
そして、付き人が「ユッコがいなくなった」と福田専務に震える声で言って来て探し始めて屋上への入り口に病院から履いてきたスリッパがありました。
そこで屋上を探しましたがいなくしばらくすると下から人の大きなざわめきが聞こえて来て落ちたと悟ったそうです。。。

この2回目の自殺の理由を福田専務は

「事が大きくなってしまったからだと思いますよ。申し訳ないっていうか・・・
あの子の性格ですごく人のことを気遣う人ですからパニックなってしまったんじゃないですかね・・・
病院からずっとシクシク泣きっぱなしで・・・事務所の人が来て刑事さんが来て・・・
2度目はあの子はほんと申し訳ない気持ちがいっぱいでしてしまったと思います・・・」


岡田有希子さんは完璧主義の所があったと言われています
子供の頃、担任の先生は岡田有希子さんをしかったことがないほど優等生で
親から歌手に反対され学年で成績1番の条件と出されるとノートを丸暗記して本当に1番になるほどです。

自分が自殺(未遂)したということがその後マスコミやファンなどに広がることを考えて
それにどう対応したらよいかまったくわからくなった状態に陥ったのではと・・・・


あれから35年経ちますが、その可愛らしさと人を気遣う素敵な内面は今でも色あせることなく輝いています・・・

出典:TBS芸能史60周年(2015年12月26日)



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2020/12/01

2020年12月01日 | ユッコ
努力家で一生懸命で控えめで自分のことより他人のことを考えて生きた一人の純粋な少女の本当の姿を残すためのブログです
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誕生日記念「岡田有希子さんのことを当時の担任が語る」

2020年08月22日 | 
8/22は岡田有希子さんの誕生日、生きていたら53才です
誕生日記念として6年前のブログに掲載した小学校時代の話を再アップします。

【岡田有希子さんは愛知県名古屋市出身で名古屋市立高蔵小学校に通っていました。
当時担任だった竹内先生が岡田有希子さんの小学校時代のことを色々な側面からその性格を話しています。

何事にも一生懸命で努力する・・・そんな少女だったそうです
それは完璧を求めすぎた側面もあったという・・・
(本からの引用)~竹内は、生徒としての佐藤佳代(岡田有希子の本名)を怒ったり、注意したりした記憶がない。
とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった
たとえば、その行ないが注目に値することであれば、 「ああ、佐藤なら当然のことだろう……」という評価が生まれる。
そういう大人たちの空気の中で彼女は育ってきた

「それが、かえってあの子にとって、よくなかったのかもしれない……
 芸能界みたいな厳しい世界で生きてゆくにはあまりにも優等生すぎたのかもしれない」
 と竹内はいま思う……。~

「確かに無邪気な子ではあるが、天真爛漫とはどこかちがう。
 キャッキャッと騒ぐかと思うと、スッと自分の中に入りこんでしまう。
 大人のように頭のいい面を持っていた。なんでも手放しで喜ぶということはなかった。
 無邪気な反面、この教え子はすごく考えこむところがある」とも言っています

竹内先生は子供として優秀な佐藤佳代を感じながら
大人になり芸能界へ入った岡田有希子さんを親のような気持ちで見ていました・・・

岡田有希子さんは愛知県愛西市の成満寺に眠っています
ファンにとってはいいようのない安らぎの場所でもあります
岡田有希子さんのお墓にはその芸能界での功績とゆっくり絵を描くことを夢見た詩の石碑があり花が絶えることがないという・・・


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4/21岡田有希子さんデビュー~当時のエピソード~

2020年04月21日 | ユッコ
4月21日は岡田有希子さんが「ファーストデイト」でデビューした日です(1984年)
岡田有希子さんもデビュー前にキャンペーンのようなものを行い各地をまわりました

「あちこちの会場を廻ってファースデイトを唄いレコードにサインして売り歩いた。
 次第に彼女を見る観客の表情に変化が表れた。熱気のようなものが伝わってくるのだ。
『ユッコ、なかなかいいぞ!観客の手応え。これならいいぞ』とスタッフが言った。」
 アイドルというと明るい元気が多い中、岡田有希子さんは控えめさ謙虚さがとても人を惹き付けていました
 こうしたキャンペーンでもその内面が伝わって行きファンを増やしたそうです。
 その魅力に気づいた人たちが自然と親衛隊のようなものを形成して行ったそうです

そして、デビュー当日4/21・・・
「朝からレコード店を廻りサイン会や歌を披露するいっぽう、テレビやラジオにも顔出した。
 まさに1分1秒を争うほどの忙しさで各地を回り駆け回った
 その甲斐あってか朗報は翌日から続々と届いた。各地の大型レコード店からの報告ではかなりのペースの売れ行きという。
『すごい、すごい、久々の大ヒットだよ」レコード会社の担当者が少々興奮気味で言った。」
岡田有希子さんはかなりの心配性で歌手を夢見て名古屋から上京はしましたがデビューするまでかなり不安だったそうです。これで少しだけですが安心した気持ちになったようです

こうして可愛いだけなくその控え目で謙虚で一所懸命さを感じる魅力に惹かれファンを増やし
デビュー曲ファーストデイトは「グリコ・カフェゼリー」CMソングにも使われ(岡田有希子さんも出演)スターへの道を歩み始めるのでした


(参考文献:『岡田有希子はなぜ死んだか』上之郷利昭 新森書房)
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岡田有希子さんの誕生~生まれた場所&幼少の性格~

2019年08月23日 | ユッコ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です
そこで、今日は岡田有希子の生まれた頃から幼少時代を振り返りましょう

岡田有希子さんは名古屋から北へ電車で15分ぐらいのところにある一宮市の「さくら助産院」で生まれました
*上の写真(今はもうありません)
生まれた当初はかなり危ない状態だったそうでこのままちゃんと育つか心配されていました

岡田有希子さんにはふたつ年上の姉がいてよくケンカをしたそうです


小さいころから強情だったと自分で言っています。
電車に乗っても座る所がないとダダをこねたそうです
そして、家に帰ると親から怒られる前に押し入れに入って出てこなかったそうです。
母親は「ひっぱり出すのに苦労した」と語っています

岡田有希子さんの小さいころからのこの性格は、逆に言えば「意志が強い」とか「何事も最後までしっかり行う」ということにつながります。

岡田有希子さんは実際に努力家で歌手のオーデション番組に出るために
親が学校の成績で1番にならなければ出させないという難関をクリアーしてしまいます

自分の目標のために努力し続ける、そんな性格の岡田有希子さんはかといって堅物でなく自分のことより他の人のことを優先してしまうようなとっても性格の良い人でした

生きていたら、きっと素敵な大人の女性になっていたでしょうね・・・
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竹内まりやさんが33年の時を超えてユッコを語る・・・

2019年04月08日 | テレビ
今日「2019年4月8日」は岡田有希子さんが亡くなられて33年です(1986年4月8日から)
今回33年の時を超えて竹内まりやさんが岡田有希子さんについて語りセルフカバーをしました
先日、NHKで放送された「竹内まりや Music&Life」という番組です

「一口坂のスタジオでユキコちゃんがやって来て「初めまして」って言ってた笑顔とか、着てた洋服とかも思い出しますよね。なんか・・・つぶらな瞳の・・・」
と岡田有希子さんのデビュー曲ファーストデイトを作詞作曲した竹内まりやさんが岡田有希子さんと出会った時のことを話し始め、後悔の念も同時に口にしています

「なんかもうちょっと色んな事を話せたら良かったのになーて後で思いましたけどね・・・
 もし、あの頃こう色んな悩みとかそういうことをこう聞けたら違っていたのかと思いましたしね・・・

そして、なぜ今まで岡田有希子さんの歌を歌わなかった理由を話しました
「ユキコちゃんの曲を何回か歌おうかなーと思うこともあったんですけど、なんかこう思い入れが深い分だけ逆に歌えなくて・・・」
「だけど、もう33回忌が過ぎてやっとユキコちゃんのメロディを歌える気持ちにはなれたって感じですかね・・・


「天国で彼女が聞いてくれたら喜んでくれるかなーと思いながら一生懸命歌ってみようと・・・」

岡田有希子さんのデビュー曲「ファーストデイト」から「リトルプリンセス」「恋はじめまして」までは竹内まりやさんが作詞作曲し三部作と言われています。
そんな、岡田有希子さんへの想いが強かったからなかなか竹内まりやさんは岡田有希子さんへの曲を歌えなかったんですね・・・




 



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岡田有希子さん誕生日記念その4~特番「栄光のスター最期のメッセージ」エピローグ~

2018年08月31日 | テレビ
8/22は岡田有希子さんの誕生日。その誕生日を記念して、特番「栄光のスター最期のメッセージ」のブログ再掲の最後です。

『~岡田有希子さんは絵が大変うまく小学校の時に本格的に美術の先生に習いに行っていたほどです
お姉さんが言っています。
「朝日新聞の写生大会があって、私もつきあって熱田神宮に写生をしに行ったんですが
 あまりにもうまいんでみんなが佳代(岡田有希子の本名)の周りに集まってきちゃって、
 びっくりした思い出があります

岡田有希子さんの墓標に刻まれている詩があります。
「もしもゆっくり休みがとれたら・・・油絵を描きたい
 ファーストビデオで行ったスイスの山々を真っ白なキャンパスに描きたい
 幼いころ、どうしても画家になりたかった私
 今、素顔の私に戻ってキャンパスに色をほどこして行く時
 いいようのない安らぎを覚えるのです・・・・・」

そして、芸能界に入って書いていた日記は2年目の途中で終わっていたそうです
ちょうどコンサートがあった日の気持ちを書いていました

「・・・今日はうれしかった・・・一生忘れないだろう・・・・・」

これが18歳岡田有希子さんの最後の日記の言葉でした・・・・・

詳しくは 
http://beauty.geocities.jp/okadayukiko1967/angel-smile5.wmv


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岡田有希子さん誕生日記念その3~特番「栄光のスター最期のメッセージ」より③~

2018年08月29日 | テレビ
8/22は岡田有希子さんの誕生日を記念して
引き続き、特番「栄光のスター最期のメッセージ」を取り上げたブログを再掲します

「~岡田有希子さんが所属していたサンミュージックの相沢社長(当時)のインタビューがあります
相沢社長はその人だけに力を入れているという誤解を受けないため社長室に所属の芸能人の写真をかざりません。
しかし、あの後岡田有希子さんだけは例外で大きな写真を飾っています
また、手帳にも岡田有希子さんの写真だけはずっと入れていたそうです。

「清潔感がすごくあふれていましたね。本当にすばらしい知性を持った子だと・・・
ほんとにおつきあいというか会えば会うほど・・・一緒に話せば話すほど・・・
こう・・・深みがあって引きつけられていくような・・子だったですね・・・
と相沢社長は答えていました。

岡田有希子さんが新人キャンペーンの時にも似たような話を聞いたことがあります。
当時はアイドル全盛期、かわいい人は当たり前の時代。
キャンペーンでは歌と当時に人前で話もすることにもなります。
岡田有希子さんの話す様子を見ているうちにお客さんの反応が変わっていったそうです
岡田有希子さんは性格が大変良く控えめながら一所懸命で・・・・そんな姿から内面の良さを感じとったのかもしれません
結婚していたらきっと旦那さんを陰で支える素敵な女性になっていたでしょうね・・・・~」

詳しくは
http://beauty.geocities.jp/okadayukiko1967/angel-smile2.wmv
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ユッコ誕生日記念~特番「栄光のスター最期のメッセージ」より②~

2018年08月25日 | テレビ
8/22は岡田有希子さんの誕生日
誕生日記念として前回に引き続き、特番「栄光のスター最期のメッセージ」を取り上げたブログを再掲します

『~当時の事務所の福田専務が新人キャンペーンの話もしています。

レコード会社への挨拶まわりで最初は何月何日にどんな曲でデビューする
ということを一生懸命言っていたそうです
しかし、福田専務は
「ユッコちゃんね、キャニオン(レコード会社)の人はそんなことは全部わかっているの。向こうは・・・
それよりはあなたの自分はこういう女の子ですとか、自分はこういう気持ちでいますとか、そういう話の方が・・・向こうもね、わかってくれるから・・・」と注意をしたそうです
福田専務は多くの新人を育成しているのでその経験からのアドバイスをしたのでしょう。

すると、次のあいさつからすべてを変えたそうです
「・・・奥様のいらっしゃる方は奥様に対する愛情の半分だけでも、恋人のいらっしゃる方は3分の1でも、愛情を有希子にください」とあいさつしたそうです

この挨拶は大変評判が良かったそうである宣伝の人は
「僕は女房も恋人もいないから100%あなたにあげます」と言われたそうです。
福田専務はこれを見てとても頭のいい子だなーと感心したそうです
岡田有希子さんも本当は一生懸命考えた末の言葉だと思います。

岡田有希子さんは色々なスタッフからも好感を持たれていたようですね・・・ 』
続く・・・

詳しくはこちらへ↓
http://beauty.geocities.jp/okadayukiko1967/angel-smile4.wmv
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8/22は岡田有希子さんの誕生日(特番「栄光のスター最期のメッセージ」より①)

2018年08月22日 | テレビ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です(1967年生まれ)
生きていたら51才ですが性格がとってもいい岡田有希子さんですから年をとっても素敵な女性になっていたでしょう。
そこで、このブログの最初の頃に取り上げた岡田有希子さんがテレビで特集された1997年の番組をのことを4回に分けて再掲したいと思います。

『~テレビで岡田有希子さんが取り上げられることは大変少ないです。
しかし、正面から取り上げていただいた番組もあります
これは「栄光のスター最期のメッセージ」という特番で夏目雅子さんなど亡くなられた方を特集しました。

その中で岡田有希子さんは「よみがえる天使の笑顔」というタイトルで
生い立ちから芸能生活、またその後のことまでまとめられていました

この中で岡田有希子さんが所属していたサンミュージックの当時の福田時雄専務の話があります。
福田時雄専務は岡田有希子さんを「スター誕生」というオーデション番組でスカウトした方です
「スター誕生」の舞台に出てきた岡田有希子さんをそのかわいらしさと歌のうまさに惚れ込んだそうです。

「ユッコちゃんが出てきただけでもう胸がワクワクした
 早く歌わないかと・・そんな感じだった・・・かわいくて・・・
 それで歌い出したらね・・・声がとってもいい声だったんで・・・
 もう他の子どうでもいいぐらい・・
 もう佐藤佳代(岡田有希子の本名)っていう名前が頭にこびりついて帰ってきたのを覚えているんですけどね・・

岡田有希子さんは芸能のプロの方から見ても
デビュー前からそのかわいらしさと歌のうまさは天下一品だったようですね・・・・・~』
続く・・・

詳しくはこちらへ↓
http://beauty.geocities.jp/okadayukiko1967/angel-smile3.wmv

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岡田有希子さんを堀越学園同級生達が語る

2017年07月11日 | ユッコ
岡田有希子さんの堀越学園での同級生が沈黙を破って集まったお話です。
それは平成28年12月2日、TBSで放送された爆報フライデーという番組で岡田有希子さんが取り上げられた時です

集まったのは・・・・
岡田有希子さんとデビュー同期の田中久美さん、1年2学期に岡田有希子さんと一緒に編入し女優デビューした南きよみさんなどです


南きよみさんは当時の岡田有希子さんについて後悔の念を涙ながらに語りました
「何でもやっぱりため込んじゃうというか・・・人に言わなくて・・・自分でがんばっちゃうって子だった。
今だから言えるけど学校にいる時にもっとね、今日顔色が優れないけどどうしたの?とかもっともっと聞いてあげることができてたら・・そうしたら、ねぇ・・・全然違ってきたのかなって・・・」

田中さんは堀越学園卒業後引退し実家へ帰りましたが、そのことを忙しそうな岡田有希子さんにあえて伝えなかったと・・・もしかしたら、事務所に電話していたかもしれない・・・ちゃんと連絡先など伝えておけばよかったと後悔していると・・・

そして、岡田有希子さんの色々な資料を見て岡田有希子さんのコンサートパンフレットの文字を見つけたらみな「(ユッコは)こういう字~、そうそう!なつかしい~」と口にしていました。


そして、プライベート写真の中でこの一番上に掲載した写真を見つけると
「この瞬間の顔はいつもっぽい」「私たちはこっちの顔しかしらない」と言っていました。
テレビで見る岡田有希子さんより同級生の皆さんにはこの写真こそが親友佐藤佳代(岡田有希子の本名)なのでしょう

最後に、岡田有希子さんが主演したドラマ「禁じられたマリコ」に出演していた生田智子さんがゲストに来ていて涙ながらにこう語っています
「私も同じ年だったのでショック過ぎて実はあんまり覚えていないんです・・・。最後に話したのはその日の夜(亡くなる日の前夜)、引っ越し祝いのプレゼント渡したいと電話をして・・・・。でも、短い時間でしたけど幸せな時間とやりたかったことが達成できたと良い方向に考えて「幸せだったよね・・・」と言ってあげたいです」と・・・

私たちもそんなふうに捉えて行きたいですね・・・
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