永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介 ~ユッコのページ~ 

1984年にデビューした永遠のアイドル岡田有希子さんの本当の姿を後世に残すためのブログです。ぜひコメントをお願いします

岡田有希子さんの自殺理由を当時の福田専務が語る

2024年04月08日 | ユッコ
今日は4月8日・・・・今から38年前の1986年4月8日(火)12時15分頃に岡田有希子さんは亡くなりました
岡田有希子さんをスカウトし亡くなる直前まで一緒にいたサンミュージックの福田時雄元専務がその理由を語った番組について書いたブログを再掲します。

『福田さんはその理由を尋ねられ「1回目ですか?2回目ですか?」と尋ね返しました
1回目は南青山にある岡田有希子さんが住むマンションで手首を切りガス自殺を図りました。
この1回目を福田さんはドラマで共演した年上の俳優に思いを寄せ思いがかなわず自殺(未遂)をしたのではと話しました。


管理人から所属事務所のサンミュージックに連絡が入り、福田専務が北青山病院に迎えに行きました
事務所に戻り、歯医者に行っていた相澤社長から電話が入り岡田有希子さんの前では話しにくいと思い
隣の部屋に福田専務が移った後に付き人のスキをついて部屋から出て行ったそうです
そして、付き人が「ユッコがいなくなった」と福田専務に震える声で言って来て探し始めて屋上への入り口に病院から履いてきたスリッパがありました。
そこで屋上を探しましたがいなくしばらくすると下から人の大きなざわめきが聞こえて来て落ちたと悟ったそうです。。。

この2回目の自殺の理由を福田専務は

「事が大きくなってしまったからだと思いますよ。申し訳ないっていうか・・・
あの子の性格ですごく人のことを気遣う人ですからパニックなってしまったんじゃないですかね・・・
病院からずっとシクシク泣きっぱなしで・・・事務所の人が来て刑事さんが来て・・・
2度目はあの子はほんと申し訳ない気持ちがいっぱいでしてしまったと思います・・・」


岡田有希子さんは完璧主義の所があったと言われています
子供の頃、担任の先生は岡田有希子さんをしかったことがないほど優等生で
親から歌手に反対され学年で成績1番の条件と出されるとノートを丸暗記して本当に1番になるほどです。

自分が自殺(未遂)したということがその後マスコミやファンなどに広がることを考えて
それにどう対応したらよいかまったくわからくなった状態に陥ったのではと・・・・

あれから38年経ちますが、その可愛らしさと人を気遣う素敵な内面は今でも色あせることなく輝いています・・・
出典番組:TBS芸能史60周年(2015年12月26日放送)


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今日は岡田有希子さんの誕生日「子供の頃と生まれ育った場所」2023.8.22

2023年08月22日 | ユッコ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です。生きていたら56才ですね・・・
そこで、岡田有希子さんの「子供の頃と生まれ育っ場所」を取り上げた「名古屋市熱田区金山」についての2年前のブログを再掲します。
岡田有希子さんの出身小学校や当時の実家についても触れています

*写真:岡田有希子さんの子供の頃と母親


『岡田有希子さんの故郷は愛知県。名古屋市熱田区金山で育ちました
高蔵小学校の時の担任の竹内先生は岡田有希子さん(本名:佐藤佳代)のことをこう語っています
『佐藤佳代の場合「どの科目を4にしようか」と悩んだくらいである。オール[5]なのである
勉強ばかりか掃除の時間などでも手を抜くということがない生徒だった。』
岡田有希子さんは勉強がとてもでき成績も良く生活面も優れていて大変優秀な子供だったとか・・
*写真:名古屋市立高蔵小学校


しかし、竹内先生の話ではこうも感じたという・・・
『生徒としての佐藤佳代を怒ったり注意したりした記憶がないという。とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった
 長い教師生活の中でも佐藤佳代ほど「完璧」な生徒は他にいなかった。「それが、かえってあの子にとって、よくなかったのかもしれない・・・」「芸能界みたいな厳しい世界で生きてゆくにはあまりにも優等生すぎたのかもしれない」と竹内先生は振り返ったという・・・・

写真は岡田有希子さんの生まれ育った街「名古屋市熱田区金山」です。

青い丸は高蔵小学校、緑の丸は金山駅(岡田有希子さんの最寄り駅)、赤い丸が名古屋市民会館で亡くなる2日前にコンサートを開いた場所
岡田有希子さんの故郷の名古屋に行く時の参考にして下さいね
追伸:実は岡田有希子さんの実家も小さく写っています
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竹内まりやさんが岡田有希子さんを33年の時を超えて語る・・・(2023.4.8)

2023年04月08日 | ユッコ
今日4月8日は岡田有希子さんの命日です(1986年4月8日)
そこで4年前に掲載した竹内まりやさんが亡くなられた岡田有希子さんのことについて語ったブログを再掲します
竹内まりやさんは岡田有希子さんのデビュー曲「ファーストデイト」から「リトルプリンセス」「恋はじめまして」を作詞作曲したシンガーです
なぜ、岡田有希子さんの歌を唄えてこなかったかも話してしますよ・・・

『NHKで放送された「竹内まりや Music&Life」という番組で岡田有希子さんについて語りました

「一口坂のスタジオでユキコちゃんがやって来て「初めまして」って言ってた笑顔とか、着てた洋服とかも思い出しますよね。なんか・・・つぶらな瞳の・・・」
と岡田有希子さんのデビュー曲ファーストデイトを作詞作曲した竹内まりやさんが岡田有希子さんと出会った時のことを話し始め、後悔の念も同時に口にしています

「なんかもうちょっと色んな事を話せたら良かったのになーて後で思いましたけどね・・・
 もし、あの頃こう色んな悩みとかそういうことをこう聞けたら違っていたのかと思いましたしね・・・

そして、なぜ今まで岡田有希子さんの歌を歌わなかった理由を話しました
「ユキコちゃんの曲を何回か歌おうかなーと思うこともあったんですけど、なんかこう思い入れが深い分だけ逆に歌えなくて・・・」
「だけど、もう33回忌が過ぎてやっとユキコちゃんのメロディを歌える気持ちにはなれたって感じですかね・・・


「天国で彼女が聞いてくれたら喜んでくれるかなーと思いながら一生懸命歌ってみようと・・・」

岡田有希子さんのデビュー曲「ファーストデイト」から「リトルプリンセス」「恋はじめまして」までは竹内まりやさんが作詞作曲し三部作と言われています。
そんな、岡田有希子さんへの想いが強かったからなかなか竹内まりやさんは岡田有希子さんへの曲を歌えなかったんですね・・・
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8/22は岡田有希子さんの誕生日①(特番「栄光のスター最期のメッセージ」より)

2022年08月11日 | ユッコ
岡田有希子さんは1967年8月22日生まれです。
そこで、誕生日前記念として以前掲載した岡田有希子さんがテレビで特集された番組のブログを4回に分けて再掲します。

『~テレビで岡田有希子さんが取り上げられることは大変少ないです。
しかし、正面から取り上げていただいた番組もあります
これは「栄光のスター最期のメッセージ」という特番で夏目雅子さんなど亡くなられた方を特集しました。

その中で岡田有希子さんは「よみがえる天使の笑顔」というタイトルで
生い立ちから芸能生活、またその後のことまでまとめられていました

この中で岡田有希子さんが所属していたサンミュージックの当時の福田時雄専務の話があります。
福田時雄専務は岡田有希子さんを「スター誕生」というオーデション番組でスカウトした方です
「スター誕生」の舞台に出てきた岡田有希子さんをそのかわいらしさと歌のうまさに惚れ込んだそうです。

「ユッコちゃんが出てきただけでもう胸がワクワクした
 早く歌わないかと・・そんな感じだった・・・かわいくて・・・
 それで歌い出したらね・・・声がとってもいい声だったんで・・・
 もう他の子どうでもいいぐらい・・
 もう佐藤佳代(岡田有希子の本名)っていう名前が頭にこびりついて帰ってきたのを覚えているんですけどね・・

岡田有希子さんは芸能のプロの方から見ても
デビュー前からそのかわいらしさと歌のうまさは天下一品だったようですね・・・・・~』
続く・・・
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岡田有希子さんの賞レースでの本心

2021年12月28日 | ユッコ
今年もそろそろ終わりです。
年末と言えば当時は歌の賞レースというものが盛んでした
そこで今日は2014年12月24日の賞レースのブログを再掲します。
岡田有希子さんのテレビなどではわからない本当の内面が垣間見えます

~岡田有希子さんも新人賞を多く受賞していましたし本人もそれを欲していたようです。
 しかし、あまりそれを表に出せない自分がいたようです

文献引用
『中学校のころ、芸能界に入りたくて、あっちこっちのオーディションに応募の葉書を書いた。
 クラスメートの中にも応募する者はたくさんいたが、みな大半は面白半分で葉書を送っていた。
 しかし、彼女だけは本気だった。彼女は本気で応募していることを知られるのを恐れた。
 内心は胸がつまるほど真剣に思いつめていたのである
 賞獲りレースの場合もまったく同じだった。心の中では猛烈にそれを欲していた。
 だが、それを知られることが恥しくって、人前ではよけい引っ込み思案になってしまった』

そして、12月31日のレコード大賞の最優秀新人賞を獲得し喜びの涙にあふれていました


しかし、その後の家族の元へ行くと争った同期の歌手に泣きながらお詫びする気持ちを口にしていたそうです。
『Kさんに申し訳ない。Oちゃんにわるい……と泣き叫んでしまった

岡田有希子さんは元々自分を犠牲にしても他人を優先するような人ですから
ふと終わった賞レースにわれに返り本来の自分に戻っての言葉なんでしょう。

やっぱり、岡田有希子さんは本当に大変思いやりのあふれる人で
あれからもう35年経ちますが今だに愛されているのはこのような所からなんでしょうね・・・
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今日は岡田有希子さんの誕生日「子供の頃と生まれ育った場所」

2021年08月22日 | ユッコ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です。生きていたら54才ですね・・・
そこで今日は岡田有希子さんの「子供の頃と生まれ育った場所」について取り上げます
*写真:岡田有希子さんの子供の頃と母親


岡田有希子さんの故郷は愛知県。名古屋市熱田区金山で育ちました
高蔵小学校の時の担任の竹内先生は岡田有希子さん(本名:佐藤佳代)のことをこう語っています
『佐藤佳代の場合「どの科目を4にしようか」と悩んだくらいである。オール[5]なのである
勉強ばかりか掃除の時間などでも手を抜くということがない生徒だった。』
岡田有希子さんは勉強がとてもでき成績も良く生活面も優れていて大変優秀な子供だったとか・・
*写真:名古屋市立高蔵小学校


しかし、竹内先生の話ではこうも感じたという・・・
『生徒としての佐藤佳代を怒ったり注意したりした記憶がないという。とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった
 長い教師生活の中でも佐藤佳代ほど「完璧」な生徒は他にいなかった。「それが、かえってあの子にとって、よくなかったのかもしれない・・・」「芸能界みたいな厳しい世界で生きてゆくにはあまりにも優等生すぎたのかもしれない」と竹内先生は振り返ったという・・・・

写真は岡田有希子さんの生まれ育った街「名古屋市熱田区金山」です。

青い丸は高蔵小学校、緑の丸は金山駅(岡田有希子さんの最寄り駅)、赤い丸が名古屋市民会館で亡くなる2日前にコンサートを開いた場所
岡田有希子さんの故郷の名古屋に行く時の参考にして下さいね
追伸:実は岡田有希子さんの実家も小さく写っています
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2020/12/01

2020年12月01日 | ユッコ
努力家で一生懸命で控えめで自分のことより他人のことを考えて生きた一人の純粋な少女の本当の姿を残すためのブログです
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4/21岡田有希子さんデビュー~当時のエピソード~

2020年04月21日 | ユッコ
4月21日は岡田有希子さんが「ファーストデイト」でデビューした日です(1984年)
岡田有希子さんもデビュー前にキャンペーンのようなものを行い各地をまわりました

「あちこちの会場を廻ってファースデイトを唄いレコードにサインして売り歩いた。
 次第に彼女を見る観客の表情に変化が表れた。熱気のようなものが伝わってくるのだ。
『ユッコ、なかなかいいぞ!観客の手応え。これならいいぞ』とスタッフが言った。」
 アイドルというと明るい元気が多い中、岡田有希子さんは控えめさ謙虚さがとても人を惹き付けていました
 こうしたキャンペーンでもその内面が伝わって行きファンを増やしたそうです。
 その魅力に気づいた人たちが自然と親衛隊のようなものを形成して行ったそうです

そして、デビュー当日4/21・・・
「朝からレコード店を廻りサイン会や歌を披露するいっぽう、テレビやラジオにも顔出した。
 まさに1分1秒を争うほどの忙しさで各地を回り駆け回った
 その甲斐あってか朗報は翌日から続々と届いた。各地の大型レコード店からの報告ではかなりのペースの売れ行きという。
『すごい、すごい、久々の大ヒットだよ」レコード会社の担当者が少々興奮気味で言った。」
岡田有希子さんはかなりの心配性で歌手を夢見て名古屋から上京はしましたがデビューするまでかなり不安だったそうです。これで少しだけですが安心した気持ちになったようです

こうして可愛いだけなくその控え目で謙虚で一所懸命さを感じる魅力に惹かれファンを増やし
デビュー曲ファーストデイトは「グリコ・カフェゼリー」CMソングにも使われ(岡田有希子さんも出演)スターへの道を歩み始めるのでした


(参考文献:『岡田有希子はなぜ死んだか』上之郷利昭 新森書房)
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岡田有希子さんの誕生~生まれた場所&幼少の性格~

2019年08月23日 | ユッコ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です
そこで、今日は岡田有希子の生まれた頃から幼少時代を振り返りましょう

岡田有希子さんは名古屋から北へ電車で15分ぐらいのところにある一宮市の「さくら助産院」で生まれました
*上の写真(今はもうありません)
生まれた当初はかなり危ない状態だったそうでこのままちゃんと育つか心配されていました

岡田有希子さんにはふたつ年上の姉がいてよくケンカをしたそうです


小さいころから強情だったと自分で言っています。
電車に乗っても座る所がないとダダをこねたそうです
そして、家に帰ると親から怒られる前に押し入れに入って出てこなかったそうです。
母親は「ひっぱり出すのに苦労した」と語っています

岡田有希子さんの小さいころからのこの性格は、逆に言えば「意志が強い」とか「何事も最後までしっかり行う」ということにつながります。

岡田有希子さんは実際に努力家で歌手のオーデション番組に出るために
親が学校の成績で1番にならなければ出させないという難関をクリアーしてしまいます

自分の目標のために努力し続ける、そんな性格の岡田有希子さんはかといって堅物でなく自分のことより他の人のことを優先してしまうようなとっても性格の良い人でした

生きていたら、きっと素敵な大人の女性になっていたでしょうね・・・
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岡田有希子さんを堀越学園同級生達が語る

2017年07月11日 | ユッコ
岡田有希子さんの堀越学園での同級生が沈黙を破って集まったお話です。
それは平成28年12月2日、TBSで放送された爆報フライデーという番組で岡田有希子さんが取り上げられた時です

集まったのは・・・・
岡田有希子さんとデビュー同期の田中久美さん、1年2学期に岡田有希子さんと一緒に編入し女優デビューした南きよみさんなどです


南きよみさんは当時の岡田有希子さんについて後悔の念を涙ながらに語りました
「何でもやっぱりため込んじゃうというか・・・人に言わなくて・・・自分でがんばっちゃうって子だった。
今だから言えるけど学校にいる時にもっとね、今日顔色が優れないけどどうしたの?とかもっともっと聞いてあげることができてたら・・そうしたら、ねぇ・・・全然違ってきたのかなって・・・」

田中さんは堀越学園卒業後引退し実家へ帰りましたが、そのことを忙しそうな岡田有希子さんにあえて伝えなかったと・・・もしかしたら、事務所に電話していたかもしれない・・・ちゃんと連絡先など伝えておけばよかったと後悔していると・・・

そして、岡田有希子さんの色々な資料を見て岡田有希子さんのコンサートパンフレットの文字を見つけたらみな「(ユッコは)こういう字~、そうそう!なつかしい~」と口にしていました。


そして、プライベート写真の中でこの一番上に掲載した写真を見つけると
「この瞬間の顔はいつもっぽい」「私たちはこっちの顔しかしらない」と言っていました。
テレビで見る岡田有希子さんより同級生の皆さんにはこの写真こそが親友佐藤佳代(岡田有希子の本名)なのでしょう

最後に、岡田有希子さんが主演したドラマ「禁じられたマリコ」に出演していた生田智子さんがゲストに来ていて涙ながらにこう語っています
「私も同じ年だったのでショック過ぎて実はあんまり覚えていないんです・・・。最後に話したのはその日の夜(亡くなる日の前夜)、引っ越し祝いのプレゼント渡したいと電話をして・・・・。でも、短い時間でしたけど幸せな時間とやりたかったことが達成できたと良い方向に考えて「幸せだったよね・・・」と言ってあげたいです」と・・・

私たちもそんなふうに捉えて行きたいですね・・・
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福田時雄さん(サンミュージック)が岡田有希子さんを語る(その2)

2016年10月22日 | ユッコ
前回に引き続き、週刊朝日平成28年8月19日号の「サンミュージック創業50周年特別企画」という中で
福田時雄名誉顧問(元専務)が岡田有希子さんについて語っていることを取り上げます

「1986年4月8日の朝、サンミュージックの当時の相澤秀禎社長から
『有希子が大変だ。北青山病院に迎えにすぐ行ってくれ』と電話が入ったんです。
駆けつけるとカーテンの奥で手首に包帯を巻かれた有希子が泣いていた
ワーッと声を出して泣くのではなく、シクシクという感じで。
幸いためらい傷だけだったので、医者に入院の必要はないと告げられ、私は有希子を連れてタクシーに乗りました。
『どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか? 自宅マンションへ帰るか? 事務所に行く?』と尋ねると
『事務所がいい』と言うので、四谷へ向かったのです

「有希子を6階の社長室に連れていき、私と付き人の女の子が寄り添いました。
しばらくすると外にいた相澤から電話が入ったので、私が隣室に移った。
その隙に彼女はスウッといなくなってしまったのです・・・・」

「有希子はその直後、自ら命を絶ち、福田氏は1時間後、相澤氏とともに記者会見に臨んだ」

「会見のときは本当につらかった。しかし、記者の質問には正直に全部答えようと相澤と話し合って臨みました。
私がわかっているのは、有希子が素敵な子だったということ

彼女のお父さんに葬儀のとき、『短い人生でしたが、人生を凝縮したような幸せな子でした』と言われました。
相澤も私も、どれほどその言葉に救われたかわかりません・・・

福田さんはスター誕生で岡田有希子さんをスカウトした人です。福田さんもとてもつらい気持ちだったようです・・・
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福田時雄さん(サンミュージック)が岡田有希子さんを語る(その1)

2016年08月16日 | ユッコ
サンミュージックの福田時雄名誉顧問は「スター誕生!」のオーデション番組で当時岡田有希子さんをスカウトした人です

オーデションで岡田有希子さんがステージに出てきたら一目ぼれのように注目し
他の審査員にも合格点に達するよう「ほら、ボタン押して押して」と促したという。
そして、他のオーデション参加者のことは忘れるぐらい「佐藤佳代(岡田有希子さんの本名)」
という名前が頭から離れなかったそうです。

しかし、事務所ではオーデション通過者のうち岡田有希子さんともう1人の人とでどちらを採るか意見が分かれたそうです
結局、福田さんが推した岡田有希子さんを事務所として採用しデビューにいたります。

福田さんは「有希子は周囲に気を使う『繊細で優しい面』があった・・・」という
当時、新人賞はまず5人~8人ぐらいの「新人賞」を選び、その後「最優秀新人賞」を選ぶ流れが主流でした。
最優秀新人賞が2組ある賞を取るとニコニコしていたのに、1組しかもらえない賞だともらっても浮かない顔をした
どうしたんだと福田さんが尋ねると、「私がもらったら他の歌手のファンに悪い・・・」なんて言ってたそうです。

大晦日の1984年12月31日、日本レコード大賞で最優秀新人賞を1人受賞したとき
ステージを降りて家族のもとへ行き我に帰ると他に争っていた歌手に悪いと泣いたそうです

やっぱり岡田有希子さんは人を思いやり自分のことより他人のことを考える素敵な人だったですね
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岡田有希子さんの誕生日&ホームページの紹介

2014年08月22日 | ユッコ
8月22日は岡田有希子さんの誕生日です。本当なら47歳です・・・・・
岡田有希子さんの内面は控えめで努力家で人のために生きるような人なのできっと素敵な女性になっていたでしょう。

誕生日にちなんで、最初にブログ掲載した内容を再掲させていただきます

「岡田有希子さん(ユッコ)を紹介するホームページをお知らせします

 ・BOOKのコーナー(本当の内面を取り上げた本です)
 ・ラジオのコーナー (長く担当していたラジオ「ちょっとおあづけ」です)
 ・動画のコーナー  (生い立ちも取り上げた番組「栄光のスター最後のメッセージ」)
 ・名古屋のコーナー (生まれ育った名古屋の地)
 ・東京のコーナー  (岡田有希子さんのかかわりのある東京の地)
 ・雑誌のコーナー  (ディスコグラフィー的雑誌)
 ・リンクコーナー  (ホームページのリンク)
 ・掲示板コーナー  (岡田有希子さんへ思いを語ってください)
 ・ユッコよ安らかに (岡田有希子さんに会える成満寺をご紹介)

なつかしいあの時を思い出し一度ご覧くださいね http://yukko.digi2.jp」
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岡田有希子さんのホームページを再開しました http://yukko.digi2.jp

2013年11月10日 | ユッコ
岡田有希子さん(ユッコ)のホームページを紹介します。

 ・BOOKのコーナー(岡田有希子さんの本当の内面を取り上げた本です)
 ・ラジオのコーナー (岡田有希子さんが長く担当していたラジオ「ちょっとおあづけ」です)
 ・動画のコーナー  (岡田有希子さんの人生を取り上げた「栄光のスター最後のメッセージ」)
 ・名古屋のコーナー (岡田有希子さんが生まれ育った名古屋の地)
 ・東京のコーナー  (岡田有希子さんのかかわりのある東京の地)
 ・雑誌のコーナー  (岡田有希子さんのディスコグラフィー的雑誌)
 ・リンクコーナー  (岡田有希子さんのホームページのリンク)
 ・掲示板コーナー  (岡田有希子さんへの思いを語ってください)
 ・ユッコよ安らかに (岡田有希子さんに会える成満寺をご紹介)

なつかしいあの時を思い出し一度ご覧くださいね
  http://yukko.digi2.jp
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