永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介 ~ユッコのページ~ 

1984年にデビューした永遠のアイドル岡田有希子さんの本当の姿を後世に残すためのブログです。ぜひコメントをお願いします

母親が娘(岡田有希子さん)の姿を見送ったあの2日前の出来事・・・(今日は4月8日)

2022年04月08日 | 
今日は4月8日、岡田有希子さんが亡くなられたという命日です(1986年4月8日)
あれからもう36年になります。
そこで今日は亡くなる2日前に実家へ戻った時のエピソードを書いた6年前のブログを再掲します。

『岡田有希子さんは4月6日に名古屋で里帰りコンサートを開いています
 それも実家から歩いていける距離にある会場でした。

その日の夜に久しぶりに実家へ寄ったそうです。
岡田有希子さんは名古屋で仕事があっても必ずしも実家によらなかったそうです。
きっと、帰ると家族に甘えてしまう自分がいたから本心では帰りたい気持ちがあってもそうしなかったそうです

実家に帰り、最近の写真ということで姉の成人式の写真などを見ていたそうですが
ある1枚の写真を見た時、妙に黙りこんでいたと母親が語っています。
それは父母姉の三人で写っている写真だったという。

そして、帰り際にこんな一言をつぶやいたと言っています。
「お父さんかお母さん、どちらかひとりでも東京に来たほうがいいみたい。そのほうがお金がもらえるみたいだよ。ま、私は好きにやってるからいいんだけど……」
母親の手記によると「いままで決してそんなことをいう娘ではなかった」というように
岡田有希子さんは人に弱みを見せずつらいことがあって自分1人で背負ってしまう性格だったそうです
母親は後になって妙にその言葉が気になったということです。

これが岡田有希子さんが家族に漏らした最後の弱音でもあったようで
それがメッセージのようでもあり母親は悔やんだそうです
現在、岡田有希子さんのファンだった人は子供を持っている方も多く気持ちは痛いほどわかるのではないでしょうか・・・

そして、名古屋駅発午後8時53分の新幹線で彼女は東京へ向かい
母親が見た岡田有希子こと娘「佳代(本名)」の最後の姿だったそうです・・・・・

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誕生日記念「岡田有希子さんのことを当時の担任が語る」

2020年08月22日 | 
8/22は岡田有希子さんの誕生日、生きていたら53才です
誕生日記念として6年前のブログに掲載した小学校時代の話を再アップします。

【岡田有希子さんは愛知県名古屋市出身で名古屋市立高蔵小学校に通っていました。
当時担任だった竹内先生が岡田有希子さんの小学校時代のことを色々な側面からその性格を話しています。

何事にも一生懸命で努力する・・・そんな少女だったそうです
それは完璧を求めすぎた側面もあったという・・・
(本からの引用)~竹内は、生徒としての佐藤佳代(岡田有希子の本名)を怒ったり、注意したりした記憶がない。
とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった
たとえば、その行ないが注目に値することであれば、 「ああ、佐藤なら当然のことだろう……」という評価が生まれる。
そういう大人たちの空気の中で彼女は育ってきた

「それが、かえってあの子にとって、よくなかったのかもしれない……
 芸能界みたいな厳しい世界で生きてゆくにはあまりにも優等生すぎたのかもしれない」
 と竹内はいま思う……。~

「確かに無邪気な子ではあるが、天真爛漫とはどこかちがう。
 キャッキャッと騒ぐかと思うと、スッと自分の中に入りこんでしまう。
 大人のように頭のいい面を持っていた。なんでも手放しで喜ぶということはなかった。
 無邪気な反面、この教え子はすごく考えこむところがある」とも言っています

竹内先生は子供として優秀な佐藤佳代を感じながら
大人になり芸能界へ入った岡田有希子さんを親のような気持ちで見ていました・・・

岡田有希子さんは愛知県愛西市の成満寺に眠っています
ファンにとってはいいようのない安らぎの場所でもあります
岡田有希子さんのお墓にはその芸能界での功績とゆっくり絵を描くことを夢見た詩の石碑があり花が絶えることがないという・・・


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芸能界に強く憧れて人生最初のステージ(岡田有希子さんの乙姫役)

2016年07月21日 | 
岡田有希子さんは小さい頃、学校の成績がよく清掃活動などもちゃんとする優等生
そして思いやりがあり人には優しく・・・でもちょっと恥ずかしがりやで人前に出ることは苦手な子供でした。
そんな岡田有希子さんも芸能界には強い憧れがありテレビを見てはあのようなステージたってみたいと秘かに思っていました。

そんな小学6年生の時、学校ではありますが人生最初のステージで主役級を務めることになりました。
学芸会の浦島太郎で圧倒的な支持を得て乙姫役に選ばれた時です

その日から、役作りに燃えたそうです
テレビの『ベルサイユのバラ』のマリー・アントワネットの話し方や歩き方をつぶさに研究したり
その本を買ってきて熱心に読んだり・・・
岡田有希子さんは実はするからには完璧を求めてしまう、そんな子供だったんです

「佐藤クン(岡田有希子の本名)がでる時は教えてください。僕も見たいから
と校長先生からも注目されて担任の竹内先生が頼まれたぐらいです。
そして、竹内先生から見ても普段の練習とは比べれられないくらい完璧に演じていて驚いたという
岡田有希子さんも文集の中で演じたことを残しています

 「ああ、失敗したらどうしよう。」
 舞台の幕の後で、手足がふるえるのを感じながら祈るような気持ちでいるうちに幕が開いた。
 歌をうたいながら舞台に進んでいき王座についた。
 照明がまぶしく、みんなの視線がいっせいに舞台へ集まってくるようで顔がほてってくる。
 せりふを言うたびにドキドキして言いおわるとホッとする。
 乙姫の独唱になり高ぶる気持ちをおさえて歌った。
 三幕めがおわり、はなやかなフィナーレ。六年生の音楽劇は、終了した。
 それが私にとって、この六年生で一番心に残っていることである。

「結局、あの時の体験が彼女に芸能界という道を選ばせたのかしら……」
と担任の竹内先生はよくそう思うのだった

子供の頃から完璧なほど物事に全力を尽くすことが垣間見えた岡田有希子さんでした

(岡田有希子さんに関する掲示板 http://snow.advenbbs.net/bbs/yukiko.htm)
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岡田有希子さんのことを当時の担任が語る(その2)

2015年10月27日 | 
前回に引き続き当時担任だった竹内先生が岡田有希子さんを語ることを納められた本のご紹介です

岡田有希子さんは愛知県名古屋市出身で名古屋市立高蔵小学校に通っていました。
何事にも一生懸命で努力する・・・そんな少女だったそうです
それは完璧を求めすぎた側面もあったという・・・

『竹内は、生徒としての佐藤佳代(岡田有希子の本名)を怒ったり、
 注意したりした記憶がない。とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった
 たとえば、彼女が誤解されるような事態が起きた場合も、
「あの佐藤はそんなことをするわけないだろう……」という雰囲気が自然にできる。
 また、その行ないが注目に値することであれば、
「ああ、佐藤なら当然のことだろう……」という評価が生まれる。
 そういう大人たちの空気の中で彼女は育ってきた

「それが、かえってあの子にとって、よくなかったのかもしれない……
 芸能界みたいな厳しい世界で生きてゆくにはあまりにも優等生すぎたのかもしれない」
 と竹内はいま思う……。』

竹内先生は子供として優秀な佐藤佳代を感じながら
大人になり芸能界へ入った岡田有希子さんを親のような気持ちで見ていたんでしょうね・・・

(岡田有希子さんに関する掲示板 http://snow.advenbbs.net/bbs/yukiko.htm)

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岡田有希子さんのことを当時の担任が語る(その1)

2015年07月20日 | 
誰もが子供の時をよく知る大人は親以外というと担任の先生ではないでしょうか
岡田有希子さんは愛知県名古屋市出身で名古屋市立高蔵小学校に通っていました。
当時担任だった竹内先生が岡田有希子さんのことを語ったことをおさめた本があります。

『彼女が出演している歌番組をみることがある意味でつらいという気持ちさえあった
次々と輩出されてくる新人の後ろで自分の出番を待っている彼女の表情がカメラでとらえられた時など……。
「ああ、佳代ちゃん(岡田有希子の本名)の気持ちがわかる気がする……」
それは、たいがいがさびしそうな表情だった。自分が追い抜かれるのでは……という危機感。
その顔は笑っているが、竹内先生にはさびしそうに映って仕方がない。その胸中が手にとるように感じられる。
「佳代ちゃんは、昔から、負けん気が強かったものね……」』

担任の先生は子供たちをよく見ていて一人一人の性格をよく把握していると聞きます
竹内先生はテレビで映る岡田有希子さんの姿や表情を親が見るような目で見ていたのでしょう。

また、岡田有希子さんの小学校時代のことを色々な側面からその性格を話しています。
「確かに無邪気な子ではあるが、天真爛漫とはどこかちがう。
 キャッキャッと騒ぐかと思うと、スッと自分の中に入りこんでしまう。
 大人のように頭のいい面を持っていた。なんでも手放しで喜ぶということはなかった。
 無邪気な反面、この教え子はすごく考えこむところがある」とも言っています。

竹内先生は当時色々な雑誌で岡田有希子さんと一緒に登場していました。
それは、名古屋という故郷に帰ってきた岡田有希子さんを取り上げているときです。
笑顔でみなと一緒に写っている竹内先生ですが10代で東京に行き芸能活動をする佳代ちゃんこと岡田有希子さんのことを
その性格を知ったうえで本当は大変心配していたんですね・・・


詳しくは、「I Believe In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp
(岡田有希子さんの生涯や内面をBOOKのコーナーで知ることができますよ)


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母親が娘(岡田有希子さん)の姿を見送ったあの2日前の出来事・・・

2015年03月15日 | 
もうすぐ4月・・・気候も時折暖かい日がありますね・・・
岡田有希子さんのあの日が近づいてきました。あの1986年4月8日から今年で29年・・・
そこで、避けてはいましたが少しあの日の2日前のことを文献から触れたいと思います。

岡田有希子さんは4月6日に名古屋で里帰りコンサートを開いています
それも実家から歩いていける距離にある会場でした。

その日の夜に久しぶりに実家へ寄ったそうです。
岡田有希子さんは名古屋で仕事があっても必ずしも実家によらなかったそうです。
きっと、帰ると家族に甘えてしまう自分がいたから本心では帰りたい気持ちがあってもそうしなかったそうです

実家に帰り、最近の写真ということで姉の成人式の写真などを見ていたそうですが
ある1枚の写真を見た時、妙に黙りこんでいたと母親が語っています。
それは父母姉の三人で写っている写真だったという。

そして、帰り際にこんな一言をつぶやいたと言っています。
「お父さんかお母さん、どちらかひとりでも東京に来たほうがいいみたい。そのほうがお金がもらえるみたいだよ。ま、私は好きにやってるからいいんだけど……」
母親の手記によると「いままで決してそんなことをいう娘ではなかった」というように
岡田有希子さんは人に弱みを見せずつらいことがあっても自分1人で背負ってしまう性格だったそうです
母親は後になって妙にその言葉が気になったということです。

これが岡田有希子さんが家族に漏らした最後の弱音でもあったようで、それがメッセージのようでもあり母親は悔やんだそうです
現在、岡田有希子さんのファンだった人は子供を持っている方も多く気持ちは痛いほどわかるのではないでしょうか・・・

そして、名古屋駅発午後8時53分の新幹線で彼女は東京へ向かい、母親が見た岡田有希子こと娘「佳代」の最後の姿だったそうです・・・・・

詳しくは、「I Believe In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp
(岡田有希子さんの生涯や内面をBOOKのコーナーで知ることができますよ)
 
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岡田有希子さんの生涯を取り上げた本(賞レース)

2014年12月24日 | 
今年もそろそろ終わりです。
年末と言えば当時は歌の賞レースというものが盛んでした
日本歌謡大賞や日本レコード大賞などです。

岡田有希子さんも新人賞を多く受賞していましたし本人もそれを欲していたようです。
しかし、あまりそれを表に出せない自分がいたようです

「中学校のころ、芸能界に入りたくて、あっちこっちのオーディションに応募の葉書を書いた。
 クラスメートの中にも応募する者はたくさんいたが、みな大半は面白半分で葉書を送っていた。
 しかし、彼女だけは本気だった。彼女は本気で応募していることを知られるのを恐れた。
 内心は胸がつまるほど真剣に思いつめていたのである
 賞獲りレースの場合もまったく同じだった。心の中では猛烈にそれを欲していた。
 だが、それを知られることが恥しくって、人前ではよけい引っ込み思案になってしまった」

そして、レコード大賞の最優秀新人賞を獲得し喜びにあふれていたのですが
その後の家族との会話では争った同期の歌手にお詫びする気持ちを口にしていたそうです。
「Kさんに申し訳ない。Oちゃんにわるい……と泣き叫んでしまった

岡田有希子さんは元々自分を犠牲にしても他人を優先するような人ですから
ふと終わった賞レースにわれに返り本来の自分に戻っての言葉なんでしょう。

やっぱり、本当は大変思いやりのあふれる人なんですね・・・

詳しくは、「I Believe In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp
(岡田有希子さんの生涯や内面をBOOKのコーナーで知ることができますよ

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岡田有希子さんの生涯を取り上げた本(子供の頃)

2014年11月09日 | 
岡田有希子さんの子供の頃はどんな少女だったんでしょうか?

そこで、岡田有希子さんの生涯を取り上げた本からお話します

「母親にしかられた佳代(岡田有希子さんの本名)は、降りしきる雨の戸外に飛びだし、
 そのまま泣きつづけるといういじっぱりな面も見せた。」
「幼稚園の幼少組の頃、女の子でひとりだけ、鉄棒の逆上がりができる子がいた。
 佳代は燃えた。幼稚園から戻るとその下にゴザを敷き、
 午後2時から夕暮れまで練習してついに逆上がりをマスターしてしまった

ということから、「負けず嫌い」ということもできますが
「これと決めると最後までやり通す」というような「意志の強い人間」になる可能性が
幼少の頃から垣間見えるといえるかもしれません

それは、小学生になると成績や生活にも現れます。

当時の担任の竹内先生が語っています。
「どの科目を4にしようかと悩んだくらいである。オール5なのである。
 勉強ばかりか掃除の時間などでも手を抜くということがない生徒だった。」

勉強なども「やるぞ」と思うと全力を尽くして達成しようとしたのでしょう。
ただ、苦手なことも中にはあるようでしたから、
ひたむきな努力家といえるのではないでしょうか


詳しくは、「I Believe In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp
(岡田有希子さんの生涯や内面をBOOKのコーナーで知ることができますよ



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岡田有希子さんの生い立ちから知られざる芸能生活部分まで取り上げた本②

2013年11月21日 | 
岡田有希子さんは子供のころから歌手になる夢を秘めていました。
しかし、オーディション番組に出ることを両親やさらに担任の先生も反対

「スター誕生」の地方オーデションを受けるため勝手に学校を早退したそうです。
そして合格し東京の本大会に出場となりさらに猛反対されます。
おじいいちゃんもおばあちゃんも反対です

「学校から帰るなり自室に閉じこもり、家族とは口もきかない。 
おまけにハンガーストライキまで始めた。学校に行く際も弁当を持参しない。」と書かれています。

そうこうしているさなか、母への手紙がテレビの上に置かれていたそうです

「お母さんの考えている将来と私ではちがうんです。
 確かにお母さんの言ってることはわかります。
 だけど一度しかない私の人生です。後悔したくないんです
 お母さんにしてみればあんな仕事とかをすることが「後悔する」って言うのでしょう
 でも私にしてみれば それはずうーっと前から思ってたことなんです。
 それだけを今まで考えて来たことなんです。
 それで、何かそれが私の生きがいってゆうのかとにかくやりたいんです
 こんなこと書いといて落っこちたらバカみたいだけど
 でもうまく書けないけどとにかく私の願いなんです。真剣です

アイドル全盛期時代を知っている皆様は現在子供を持つ方も多いですが
お子様からこのような真剣な手紙をもらったらどうしますか?

その後、スター誕生に合格し両親の応援を受けなら活躍していくのでした

*詳しくは「I Beliebv In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp
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岡田有希子さんの生い立ちから知られざる芸能生活部分まで取り上げた本①

2013年11月15日 | 
岡田有希子さんのことは「かわいいアイドル」として世間では見られていました。
しかし、それだけはないことをノンフィクション作家の上之郷利昭さんが
生い立ちから芸能生活の裏側まで取り上げた本があります

作者の話
「取材を進め資料をあたっていくうちに、岡田有希子という少女の特異で
個性的な相貌がつぎからつぎと浮び上ってきた」

マネージャーの話
「そういう部分では、すぐ考えちゃうところのある娘だった・・・」

小学校の担任の話
「生徒として怒ったり注意したりした記憶がない。
 とにかく、彼女はミスというものを犯さない生徒だった。」

テレビディレクターの話
「不真面目で不良になっちゃってる大人には何でもないこと。
ところが、彼女にはそうできなかった……もっとずるくもっと上手に自分をごまかすことができなかった」

最優秀新人賞をとった直後の母親への言葉
「(同じ賞を競った)Kさんに申し訳ない、Oちゃんにわるい……」と、泣き叫んでしまった。


色々な岡田有希子さんが掲載されてはいますが、岡田有希子さんは大変努力家で一生懸命な人でした
有名な話ですが芸能界入りを反対された両親が3つの条件として

・学内テストで学年一番になること
・中部統一テストで学内五番以内になること
・志望高校に受かること

を出し猛勉強してすべて成し遂げました
そんな時期のことも書かれています。

*詳しくは「I Beliebv In Yukiko」のホームページ http://yukko.digi2.jp
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