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3月9日は友人の命日

2009-03-09 | MUSIC
 もう2年になる。
山本慶治が逝ってしまってから。

その何ヶ月か前に共通の友人から連絡があり、山本と会い、懇意にしている医師の元へ連れて行った。
肺に水が溜まっているとの診断。
「早く総合病院にお連れ下さい。」
とのアドバイスを受け、翌日彼は地元に近い病院に行った。
地域病院という性格で地元の開業医の紹介状がないと受け付けてくれないというハードルも友人達の尽力により診察を受けられ、即刻の入院が決まった。
暫くして見舞いに行くときに何が欲しいかと聞くと桃が食べたいという。
希望の桃と食事制限がないというので豆腐のハンバーグなどを手土産に行った。

その後退院。

心配しつつも安堵していたのだが、再度の入院の報を受ける。

その時には別の友人と一緒に見舞いに行った。
彼はナースステーションのすぐ隣、廊下とナースステーション両方に扉のある個室にいた。

僕は覚悟した。

既に話すのが困難な状態だった。
苦しい中「ごめん、余り話せないんだ」
僕たちは早々に引き上げた。
帰り際、僕は友人に「早く結婚してくれ」と言った。
山本は独り身だったからだ。
言いようのない淋しさを感じている山本が伝えてくれと言っているようでならなかった。
この面会が生前の山本との最後の時だった。

何日か経ち僕は山本に会った。
葬儀場で。
そこには物言わぬ彼が横たわっていた。

 彼が亡くなってから1年あまり、一緒に見舞いに行った友人は幸せな結婚をした。

山本慶治は祝福しているに違いない。


 山本に診察を受けさせてくれと頼んできた友人が、去年の末に倒れた。
元々血圧が高かった彼は朝、脳内出血を起こしていたのだった。
右脳に出血した彼は現在退院して左半身の麻痺と付き合いながら、週に一回のリハビリをしつつ、仕事に復帰している。

山本が送り返してくれたと僕は思っている。

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