最近、あまりの運動不足に危機を感じ、週末は近所を1時間くらいランニングすることにしています。
ただランニングするのもつまらないので、毎回違う神社に行ってお祈りしています。
意外と地元には沢山神社があり、まだいけてないところが沢山あります(@@)
そう、ついに週末ランニングを初めて1ヶ月が経ったのです~!!
2~3回で終わるかな・・・と思っていたら意外と続いたので自分でも少し驚きです。
果たしていつまで続くでしょうか(笑)
というわけで私の大好きなMr.CHildrenに「ランニングハイ」という曲があったので、せっかくなのでお披露目してみたいと思います。
ランニングとは全く関係ないですが(汗
仕組んだのは他の誰でもない
俺だって 自首したって
誰も聞いてない まして罪が軽くなんかならねぇ
なら 息絶えるまで駆けてみよう 恥をまき散らして
退きどきだと言うなかれ素人!まだ走れるんだ
息絶えるまで駆けてみよう 恥をまき散らして
胸に纏う玉虫色の衣装を見せびらかしていこう
[ 『ランニングハイ』 Mr.Children ]
ひたすら走っていると、物凄い辛い時期がやってきて、それを超えるとすごく走るのが楽しくなってきます。これを「ランニングハイ」というのですが、桜井さんはどういう思いでこの曲を作ったのでしょう!?
歌詞中の、『玉虫色の衣装』というのがとても面白いですね!!
玉虫色とは角度によって色が様々に変わる色です。つまり、「胸に纏っている」その「色」は多種多様でその人=○色と決められないということ、言い換えれば「その人は○○な人」という固定的な存在なのではなく、常に周りと自分との関係や時や場所や様々な条件によってどうにでも変化しうる「相対的な存在」であり、かつその相対性こそが「自分自身」であるからそんな「自分自身」に自信を持っていいんだよ、って事を示唆しているのかなっと。
同時に玉虫とは昆虫の中で最も美しいと言われているので、上記のような相対的な自分は不安定でつい不安に駆られてしまうことも多いかもしれないけど、その「不安定な中に存在する自己というものが最も美しい自分自信」であるという事を表しているのではないか、と思いました。
そしてその上の部分。
世の中に迎合して変に謙虚に生きてしまうことに対するアンチテーゼなのかなと思ってしまいました。
自分が正しいと思ったなら全力でやってみようよ、周りが何と言おうと。それで失敗してもそこで得られるものを次ぎに活かせば結果としてそれは失敗とは言えなくなる。あくまで成功しない方法を一つ見つけた、というだけでゴールには近づいているんじゃないか!?だからそれは恥なんかじゃなくて、むしろそれを恥と思って努力できないこと自体が恥なんじゃない?? そんなことを言っているのかなと思いました。
そして最後に桜井さんがランニングハイをリリースした後、「うたばん」で言った名台詞を・・・
『批判ばっかりしてると、その言葉自体が価値を持たなくなる』
「ランニングハイ」の歌詞の中に『時代とか社会とか無理にでも敵に仕立てないと味方を探せない愉快に暮らせないよ』という一説がありますが、ここに対応したものと思われます。
政治家でも団体でも国でも、とにかく批判ばかりしている人たちがたまにいますが、それは本当に彼らの目的(ゴール)に近づくために有意義に働いているのでしょうか?少なくとも今の段階では全く近づいていないような気がします。
そういうことよりもきちんと『目的』を明確にした上でその目的に対して真摯に行動すれば『批判』ばかりにはなりえないのではないでしょうか。そういう態度は簡単に人に見透かされてしまうことに気がついていないのでしょうか。。
ランニングを始めました!という話から随分飛躍してしまいましたが、
とにかくもうしばらく週末ランニングを続けていきたいと思います♪
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