まだ秋の名残りのあった11月中旬の大山下池。
ハクチョウは、みんな田圃に出かけていて十数羽だけ残ってました。
小春日和とでも云えそうな初冬の日差しの中、池の周りを歩いてみます。
元禄二年(1689)五月、芭蕉と曾良がかの『封人の家』に逗留した後、尾花沢へと向かう途中辿ったのが、山刀伐峠(なたぎり)です。二人が登った峠の道を少し散策してみます。
芭蕉と曾良さん
急な石段が続きます。
ブナの黄葉の道
旧道を横切り
十二曲がりを登って
旧道の駐車スペース(尾花沢と最上町の境)
山頂方面へ
『おくのほそ道』の顕彰碑、なんて書いてるのやら・・・。
子宝地蔵さん
子持ち杉
山頂で少し休憩し下ります。
最上町赤倉温泉方向
落葉舞うブナの林をおりていきます。
往復約1時間の静かな山道、『おくのほそ道』では最大の難所といわれていたそうですが、たぶん芭蕉のころとは違い、急坂だが歩きやすい、秋の日差しと落葉の散策路を歩くことができました。
ちなみに山頂付近の碑には、「高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分々々、水をわたり、岩に躓て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。」という『おくのほそ道』の一文が書かれているようです。
23日の八塩山、早春から初夏へ、どんどん緑の草木に覆われていきます。
ニリンソウやホウチャクソウ、ユキザサなどがひっそりと咲いてます
登山道の両側、緑の中に時々白い花が
今日は鳥海山も厚い雲の中
緑一色の中でブナの白い樹肌がいっそう目立ちます。
がっさんではなく月山(つきやま)だそうです。由利本荘市笹子(じねご)地区、標高638mの山頂には月山神社奥宮があります。
麓にある月山神社里宮に参拝します。
国道を少し入った路肩に車をとめて林道を1時間以上登っていきます。正面に山頂がみえます。
ヤマオダマキが咲いてました。
林道が終わり山頂への最後の急坂
両側にきれいな白いブナの林
月山神社奥宮に到着、山頂の木々の間から丁山地と上部を雲で隠した鳥海山が見えてます。
三角点
そして鳥海ダムカレー(道の駅清水の里鳥海郷)、まだダムは完成途上ですが。
5月17日(水)晴れ、風強し
オオサクラソウが見ごろを迎えているとのことで、朝から気温が23℃位まで上がる中、男鹿半島へと向かいます。少し強い南風が吹く海岸に沿って車を走らせます。遠くの方は霞んでいていつも見える鳥海山も見えません。
登山口を10時半過ぎに出発
五社堂までは15分くらい
なまはげ
古くからの踏まれた道です
緩やかなブナなどの林が続きます。
晴れてはいるのですが、林の中は日射も強くなく風もあり、あまり暑くはありません。
山頂、赤神神社中宮分岐、左側に進みます。
秋田、山形あたりでは絶滅危惧種のオオサクラソウ、これを見るために来ました。近くにはムラサキヤシオも咲いてました。
整備された遊歩道、群生地にはロープが張られてます。
本山方面との分岐点、ここで昼食休憩、今日の最終地点です
少し行った展望地点からは、加茂青砂の海岸が霞んで見えてます。日本海中部地震(1983.5.26)で合川南小学校の生徒が犠牲になったあたりです。
本山と自衛隊基地
約20分ほど休んで、オオサクラソウに別れを告げ、2時間ほどかけて門前の海岸へと下っていきます。