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History, Strategy, Ideology, and Nations

12月26日

2009年12月26日 | COLD WAR HISTORY
 先日の報道によると、東シナ海のガス田開発において、
 中国が日本の意向を無視する形で、日中中間線上のガス採掘基地を完成させたとのことである。
 ちょうど小沢幹事長が訪中団を引き連れて北京に滞在していた時期であったが、
 中国首脳に対して、それを非難する姿勢が一切見られなかったことは残念であった。
 おそらくこのまま中国は、今後も日本の意向を汲むことなく、
 ガス採掘を継続するであろうし、その周辺に巡洋艦を配備させて、
 日本からの干渉を排除する措置を一層、強化するであろう。
 このように実効支配を継続して問題解決の姿勢を見せる一方、
 それを引き伸ばせるだけ引き伸ばして、既成事実を確立させるのが常套手段なのである。
 
 ただし、中国にとって領土的野心がどこまで本気なのかは判断の迷うところでもある。
 たとえば、1962年10月に起きた中印国境紛争の事例によると、
 第二次大戦前より、中国・インドの間には、
 交渉担当者だった英外相の名前をとったマクマホン・ラインという暫定的な国境線が引かれていた。
 インドは、歴史的経緯から、それを正当な国境線と想定していたが、
 中国は必ずしも満足しておらず、徐々にインド側へと浸透を図り、軍事拠点の確保に努めていた。
 インドは外交的解決を望んだが、中国の姿勢に変化がないため、
 同様にインドも中国側への浸透を画策し、軍事拠点を置き始めた。
 これに反発した中国は、インド側への攻撃を開始し、国際紛争へと発展したのである。
 ところが、紛争自体は、中国側の一方的な停戦宣言によって終結し、
 結局はマクマホン・ラインの維持ということで落ち着き、中国軍は撤退を決めたのであった。

 中国がなぜ最初にマクマホン・ラインを越えてインド側への浸透を図ったのかはよく分からない。
 中印の国境自体が両国の間で正式に定められていなかったことへの不満はあったにせよ、
 非同盟主義の立場で友好的だった中印関係を、
 国境問題を通じて決定的に悪化させる意図はなかったはずである。
 また、もし天然資源の獲得が理由であったとしたら、
 軍隊を即時に撤退させることはなかったであろう。
 
 では一体、何が理由であったのか。
 一つは当時、ソ連がインドへの支援を積極的に行なっていたことが挙げられる。
 中国は、中印間での紛争において、必ずインドは米国に軍事支援を求めると読んでいた。
 その意味で、ソ連のインド支援は、共産陣営の側からすれば利他的行為であり、
 イデオロギー的に見て間違った政策との認識を持っていた。
 実際、中印国境紛争において、インドが米国の軍事支援を受け入れたことは、
 インドにとって真の同盟国が米国であることを、ソ連にまざまざと見せつけたのである。
 つまり、領土的野心や天然資源の確保が理由なのではなく、
 ソ連とインドの離間こそが中国の最大の目的であり、
 その目的さえ達成されれば良かったのである。

 もちろん、東シナ海のガス田開発と中印国境紛争問題を、
 同じ性格の事例として扱うことは間違っているだろう。
 だが、中国の意図が天然資源の確保にあると決めつけることも短絡的なのかもしれない。
 中国側の挑発は、日米同盟が有効に機能するかを試している可能性もあるし、
 万一、有事となった場合、同盟体制の瑕疵が明るみに出れば、日米離間は決定的になることから、
 その機会が到来することを、中国は待ち続けているとも考えられるからである。
 
 こうした深謀遠慮の存在を否定できないところに、
 中国の巧さと怖さがあると言えるのかもしれない。