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里婆日記

古希にもめげず、里山の暮らしを綴るブログです。

DIY・畑・造園・ますます爺化する婆~の暮らし

足跡録(夫を葬って2年間に・・・)

2015年02月16日 | 足跡録

   1988年4月から信濃町の陶芸工房に通った

5月に(伊賀の陶芸家の窯で作陶をする)旅に参加した時に

親しくなった陶芸工房会員の別荘地の一部を譲り受け、

1989年山梨県に蔵の家が完成、同年

NO"2オット君と再婚

陶芸工房に通うバツイチサラリーマン

 

私はNO1オット君を天に葬つた後2年間で

闘病記・作品展・蔵の家・再婚

4年半の出口の無い闘病生活からの脱出に猛進をした!?

3年後には工房を建てる事になり・・・

私を知る周りの人は何と思っていたのか、

考える余裕も無かった!

当時は脳裏を横切るものに行動をする事が

”生きている実感"

 

信濃町陶芸工房で、人生に関わる二人の人間を得た

土地を譲ってくれた人(シマッタ袋inn)

NO"2オット君(必要大事な存在だった)

 

 

 

 

 


足跡録(半旗を掲げる)

2015年02月15日 | 足跡録

             林の中の陶芸工房は

蔵の家の南側を塞ぐ様に建てられた隣、別荘の

南西に位置する

故意にした訳では無かったが、伐採をして

工房が建って、気が付いた noda

隣、別荘の前面が高い位置から一望できる!

たまに別荘にやって来ても

工房の自家発電のエンジン音が鳴り響く!

私に森を貸してくれた村人に感謝、感激 ! da-

 

2009年に 

蔵の家も手放し、工房も始末して

心の闇も無くなったが、

仕掛けた方はいつまでも無くならないのだろう?

子供時代の”いじめ”も

された方は色々な手段で解消することが出来るが

”いじめをした”方はいつまでも心底に闇と残る。

大きな散財で解消したが、後悔が無い”とは言い切れない!

 

 

 

 


足跡録(森の工房で土を積む)

2015年02月13日 | 足跡録

  制作した中で一番大きな壺

林の中の工房は、

すぐ下に車が通る舗装道路、向こう側には棚田、畑が広がる

木立の間からみえ、閉塞感は無く、穏やかな空気が漂う

しかし、発電機の音が大きく、一帯に鳴り響く! 

 

直径3~4㎝のロープ状の粘土を積み上げていく方法

粘土をこね、ロープを作り、指先の感覚に集中して

頭の中の形状に問いかけ、積み上げていく

粘土の冷たさ、壊れない柔らかさ、汚れなどお構いなし!

どこまでも積み上げていたい!日々を過ごした" kioku 

 

初めて粘土を手にしたのは

20代、瀬戸を旅したときに出会った工房、

新橋にあった教室に入り、助手の手伝いをした

30代は青山にあった教室に入ったが、長くは在籍しなかった

40代は信濃町にあった教室に入り、人生が大きく変わった

 

心が闇に入り込んだ時,陶土がナビしてくれた"   kioku

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


足跡録(2軒めの家は電気が来ない)

2015年02月12日 | 足跡録

 1989年に建てた(蔵の家)の西側に

小さな森が在り、こふか沢に傾斜地している

木立がなければ南アルプス連峰が一望できる

村人の所有地を150坪位伐採して

1992年に20坪位の陶芸工房を建てたが、

電柱のある舗装道路に面する別荘土地の所有者は

電線を渡すことを拒否した! nodesu

私の蔵の家が、隣別荘家には どおしても目障り!だった? 

(土地を売り、直ぐに建築しろ、土地だけ持たれるのは嫌)

有形でない人間の感情・・・towa?

山道から延長して水道管を通したことも

(断り無く通して・・・)

電気、水道は公の土地を通って来ているものでしょう?

 (”趣味の工房で生業では無いでしょう”)

 

意地悪な人の訳わからない答え! desita

 大型自家発電機を設置して、散財をシマッタ!nodesu

 

 

 

 

 

 

 

 


ベランダで冬越し +足跡録(青竹)

2015年02月05日 | 足跡録

         青竹 と 記憶する観葉植物

今年は東南の6帖位のベランダで冬越しをした

周りに透明ビニールを貼って風よけをしたのでよかった”

30年も前に買ったもの、

何回か鉢替えをして、更新して、元気!


足跡録(青竹)

1987年、1月~10月、最後の入院生活で逝った後

担当医師に挨拶をした帰りに買って持ち帰ったものだ

病院の隣にあった花屋さん

病室に飾る為に、四 、五日ごとに立ち寄って

数本の季節の花を買っていたが、

毎日、毎日 昼~7時頃まで病院に居る生活の中で

花屋さんの店主と一言二言、話す様になっていた

鉢花など自分用に持ち帰ったり、

わずかな一瞬を ”花” に癒されていた、記憶”

今も私の傍で生息する ”青竹”