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里婆日記

古希にもめげず、里山の暮らしを綴るブログです。

DIY・畑・造園・ますます爺化する婆~の暮らし

足跡録NO2(初めての縁日と娼婦街の名残)

2015年07月07日 | 足跡録

     初めて、我が家に「金魚」がやって来た思い出”

  ある夏の日が落ちる頃、姉の ”縁日に行こう”

  家を出て、私の歩行では疲れが出る位、歩いた…

  細い路地に入り込んで、忘れられない光景”

  家の外に置かれた椅子に、

  黒いレースの付いた”スリップ姿の女の人”

  迎側の椅子の人も肌がいっぱい出ている服だ~

  大きな声で話してる、団扇をパタパタ!

  点いたり、消えたり、赤い電気が路地を照らす…

 

  つないでいる姉の手に力が入り、速足になる”

  通り抜けた所に神社があり、子供や大人で賑わっていた

 「カルメラ」「綿菓子」見るのも食べるのも初めてだー

  作っている人は絶えず片方の足で何か踏んで動かしている、

  金魚すくいも初めての私は直ぐに紙が破けてしまった…

  姉は2匹位すくい、ビニール袋から家の洗面器に入った

  ガラスのま~るい鉢で泳ぐ金魚を眺める ”夏休みの日記”

 

  昭和33年まで在った「私娼街」の路地だった事

  「永井荷風」の小説「玉ノ井」などに描かれていた路地

  (亡10歳上のNO2オット君が詳しく教えてくれた)

 

  「玉ノ井駅」が平成には「東向島駅」に改名されている

  私は”名残”の様な風情を偶然にも遭遇して

  子供の記憶に残っていたのやら・・・

  

  

 


足跡録NO2(東京下町の味、もんじゃ焼き)

2015年07月06日 | 足跡録

      関西生まれの「もんじや」履歴?

  •   昭和35年頃ー向島の「駄菓子屋もんじや」
  •   昭和42年頃ー浅草の仁丹塔裏辺り「浅草もんじや」
  •   平成元年頃ー佃島の「もんじや横丁」
  •   平成2年頃ー隅田川の「屋形船でもんじや」

 

  今は誰もが知る、「もんじや」! だが

  まだ奈良に住んでいた頃、私は園児ぐらいだったのか?

  家族で行った「八木駅」傍のお好み焼きを思い出す

  焼けごろにソースをかけた上に山盛の鰹節が

  ”生き物の様に動いている” (私の目は点に成る)

  この時の、うごめく”鰹節”のお好み焼きと

  鉄板に”ジャーと流された駄菓子屋のもんじゃ焼きが

  鮮明に記憶にあるのは、どちらも”初めての経験”が 故か?

 

  近頃の「お好み焼き」・「もんじゃ焼き」・「たこ焼き」も

  記憶の味”とチョト違う感じがする…

  


足跡録NO2(昭和35年、下町で初めて”もんじや”を食べた)

2015年07月05日 | 足跡録

       「向島」と 云う地名は”お江戸”から視て、向こうの島”だったのか?

   今は「スカイツリー」が在ることで、「向島」の地名は多くの人に知られる様になった

   大人に成って、地図を見ると(昭和35年頃、街の詳細地図は身近には無かった)

   住んでいた「鐘ヶ淵」は、隅田川と荒川の真ん中に在り、千住の方に行くと一つに成るのか、

   当時、近所の年上の子供達と自転車で荒川土手に行ったりしたが、記憶にあるのは

   ”湿っぽい、土手を自転車で走れない道”、川の流れを見る事無く帰ってきた…

   

   今はどちらの川沿いも緑地公園に成り、すごく綺麗に成っている様だ…

   当時、下町には「公園」らしい緑地が無かった、

   住宅に緑を配した庭や鉢植えの花がある事も無かった様に記憶するが…

   路地で縄跳びや石けりをしたり、学校から帰ると、子供達でよく遊んでいた

 

   初めて、「もんじや」を知ったのも、駄菓子屋さんの奥の小さな一部屋

   中学生の姉が帰って来るまで、私は一人で「もんじや」を食べたりしていた

   薄茶の水ぽい中にキヤベツと天かすしか入って無かったかな?、

   鉄板の上にジャーと流し、チョット置いてからかけ回す、

   太ったおばさんが大きなヘラ2本で作ってくれた、

   小さなヘラを持って鉄板にこすり付けて食べるのだ…

   (少し置いて置くと、おせんべいに成るヨー)と おばさん”

 

   他の子供は家に帰り、鍵っ子だった私の面倒をみてくれていたのだ…

   


足跡録NO2(都会の街中に牛や馬が歩いて居た)

2015年07月04日 | 足跡録

        昭和35年頃 小学5~6年生だったか?

   学校近くに 「牛嶋神社」 があった

   5年毎に開かれる”御祭り” 

   牛が山車を牽いて町中をねり歩く

   ”初めて本物の「牛」を見た時だった”

   神社内には大きな「狛牛」が珍しく、

   神社建物も大きくはないが古式な感じ?…

 

    現在はスカイツリー圏内に成っているが、

   今も5年毎に本物の🐄さんが出るのかしら~

 

   平成に年号が替わった頃、通っていた東京の「市ヶ谷駅」辺りで

   馬に乗っている人を見かけた” ???

   

   現住は🐎🐄もあたり前の様に出会える環境に暮らしているが

   都会の街中、舗装道路を歩く🐎・🐄を見た事は何時までも記憶に残る

   

   

   

   

 

 

   

   


足跡録NO2(東京の2つ目の家はスカイツリーラインに成っている)

2015年07月02日 | 足跡録

   1960年頃に鐘ヶ淵駅(東武伊勢崎線)の傍に移住

  駅前の商店街のある広い道路から脇の路地に入り

  家の後側は線路になっていて、増築した二階が子供部屋

  電車が通るたびに家がゆれたり、

  ”ガタガタ”と列車の音で、目覚めたりした、

  小学校4年~中学2年まで、住む事になった鐘ヶ淵駅、

  現在は(スカイツリーライン)の一つの駅に成っている、

  大きく変ぼうして綺麗な街並に成っているのだろうか?

 

  1964年の東京オリンピック開催に向けて

  日本の国が大きく変わっていったのだろうが、

  子供目線では、”遊び”以外、記憶が余り無い…

  近所の電気屋さんのテレビで(”力道山”、プロレス)

  到底、子供では背伸びしても見えやしない”…

 

  床の間に置かれた、我が家のテレビ”

  電気、機械もんが好きな父親が早々に手に入れ、

  1964年のオリンピックは家で見たが、

  感動”を覚えるには予備知識の無い子供であった”