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里婆日記

古希にもめげず、里山の暮らしを綴るブログです。

DIY・畑・造園・ますます爺化する婆~の暮らし

足跡録(翻弄された父・兄と同じDNA)

2015年03月21日 | 足跡録

  2004年11月次兄が亡くなった

 糖尿病・肝硬変・肺がん(63歳)

 私の骨折で入院中の見舞いに来た時には

 肺癌のことは何も言って無かったのだが

 

 ”諏訪湖の花火に友達と来るので下見がてら”

 ”やりたい事はやったから何時死んでもいいよ”

 

 長身で頑丈な体格だったが、老いて痩せた次兄

 ハーレーからスポーツカー・大型ヨット、

 兄弟姉妹4人の中ではひとり違う生活をしていた

 一切の治療を拒否して、在宅ケアー ”のみ”

 

 サラリーマン世帯では考えられない程の

 借金を家族に残して ”死んだ” ・・・・・

 

 父親・次兄の ”生死の姿” を垣間見ると

  ”似ている” のかも知れない

     ”私のDNA”

 

 

 

 

 


足跡録(入院生活で与えられた時)

2015年03月18日 | 足跡録

    2004年7月 

 右大腿骨を2か所骨折する

 50日以上入院生活

 都会の病院とは違い、地方の小さな町では

 一人暮らしを配慮しての長期入院だったのか?

 ひざから下は正常だったので

 松葉づえになった頃から

 時々車で外出を楽しみ、久ぶりの読書三昧

 

 父の遺言書、父の家族、弁護士、等

 不徳な”モノ”へのストレスが骨折の要因だったかも

 ワンコ2匹の世話など姉に世話になってしまった

 

 人暮らしを”如何に暮らす”を改めて考えさせられた

 50日の入院生活も天から与えられた”時”かもしれない

 


足跡録(父の残した遺言状)

2015年03月17日 | 足跡録

   2004年、父の死亡から半年後

 母の顧問弁護士から

 父の遺言書が届いたと、連絡を受けとる

 5年前に離婚成立の母への財産分与の

 未払い分(借金財産)のみを相続できる”

 ”意味不明”  ・・・・・

 

 母と長兄を酷使してつくった財産を

 20年を費やし、離婚調停を長引かせ

 勝手できない 自社株 以外を全て持ち出し

 離婚成立させた、”父の悪徳”

 

 母は4人の子供を一切関わらせなかったが

 愚痴のように、日々日々聞かされていたので

 大体の経由は理解していた

 母が暮らしていければ良し”と

 財産も相続も何も期待も無し”の傍観者にいた

 

 長きに、顧問弁護士に、失望のみ!

 民法882条・891条(遺言書隠ぺい)

 民法915条(3か月以内に処理)

 

 父が遺したものは、

 ”兄弟姉妹が俗物の争いをしない”

 母の ”天然・・・” のお蔭か

 

 私は思う、(母の分与分を借金相続)の行為をした

 父の家族になった” もとで 幸せに暮らしたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 


足跡録(私のDNA)

2015年03月15日 | 足跡録

   2003年”蔵の家”にワンコ2と女人1の引っ越し

 東京には月3回仕事(レザークラフト教室)

 工房では週1回(趣味の陶芸クラブ)

 畑(初めてのジャガイモ植えつけ)

 追想に費やす時を忘れる程、疲れた!

 

 二人のオット君の慰霊と共に、

 14年経た”蔵の家”の永住民になり

 穏やかな終焉設計を考える暇も無く

 ”実父の死亡

   外に家族を持った父、日々の母の愚痴

 40年、私は父に何回会っただろうか?

 介護されたか?手首にロープの痕を残して横たわる

 凶暴性痴呆症ゆえベットにつながれて・・・

 

 思春期、父を恨み、嫌い、

 成人に達した頃、私は自身のDNAを傷つけた。

 父の死亡は深い呪縛からの解放であったが、

 亡骸からは なおも 嫌悪な問題を残して逝った…

 

 他人は云う、

 ”大人になったのだから親は関係ないでしょ”

 私は、自身に問う

 ”trauma・反面教師・罪の贖い”

 私の半分のDNA、上書きaruiwa削除したい

 

 静かに下り坂を歩、歩、歩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


足跡録(日本初の樹木葬)

2015年03月12日 | 足跡録

   "日本初の樹木葬"にNO2オット君は葬る

   2000年ごろ、新聞記事が記憶に留まった

   一関(祥雲寺)住職の樹木葬の発案、記事”

   里山の再生と自然環境を守る為の樹木葬地について

   認可待ちの記述を熱く書かれていた

   従来の墓のあり方に満足していなかった私は

   2002年檀家会員になり、オット君を先に葬らせた

  

   今は数千人の会員が集い、自然再生運動も活発になり

   日本中、アジア諸国、に発信している

  

   山梨からは遠方で頻繁には訪れることが無くなったが

 何時でも穏やかで暖かい空気が留まる、安心している”

 

 震災の被害も樹木葬地には無かった、が・・・・・