RIVER SIDE

おっちゃんの独り言・・・

たま~に書くかも・・・。

ゴールデンウイーク(4)

2016-05-05 09:02:56 | 旅行

4丁目まで来ましたが、閉園時間(17:00)が迫ってきたのでちょっと急いで・・・。

 

 

 

第四高等学校武術道場「無声堂」

 

 

 

 

この「無声堂」は大正6年に金沢の第四高等学校に建てられたもので、柔道、剣道、弓道三つの道場を兼ね備えた大きな洋風建築です。

休憩所みたいになってますがw

 

 

 

名古屋衛戍病院

 

 

 

 

全国の鎮台配置に合わせて、明治6年の東京を皮切りに陸軍の洋風病院が順次整備されていきましたが、明治11年に建てられた名古屋衛戍病院です。

 

 

 

シアトル日系福音教会

 

 

当初はアメリカ人の住まいだったものですが、1930年代に日系移民の所有となったもの。

第二次世界大戦時、強制収容により家を追われましたが、戦後は日系一世のための福音教会として使われてきました。

 

 

このあたりは入鹿池に近く、先ほど見た車寄せも見えます。

 

 

 

 

鉄道寮新橋工場という建物があります。何の変哲もない建物です「機械館」として中には明治時代の貴重な機械類が展示されています。

 

 

 

 

 

 

 

これはプラット社製のリング精紡機で重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

宇治山田郵便局舎(重要文化財)

 

 

明治4年に東京江戸橋に日本最初の郵便役所(郵便局)が建てられて近代郵便事業が開始され、その後各地に郵便役所が建てられました。

明治5年、伊勢の宇治山田にもわずか4坪の小さな役所が開業しました。郵便事業が近代国家の一翼を担って発展し、電信電話事業をも行うようになると、事業の拡大につれて、宇治山田郵便局舎は移転につぐ移転を重ね、明治42年伊勢外宮前の角地にこのようなとんでもない建物を新築したんだそうです。

 

 

 

呉服座(重要文化財)

 

 

明治25年に大阪・池田市の西本町猪名川の川岸に建てられた芝居小屋で、地方巡業の歌舞伎をはじめ、壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才等様々なものが演じられました。また尾崎行雄や幸徳秋水らが立憲政治や社会主義の演説会に使ったりもしました。

 

 

 

大急ぎで5丁目に行きます。

 

 

聖ザビエル天主堂

 

 

 

聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年、かつてザビエルがいたことのある京都に建てられたカトリックの教会堂で、フランス人神父の監督の下、フランスから取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものだそうです。

中に入ってみましょう。

 

正面のステンドグラスに西日が当たって、幻想的です。

 

 

 

 

 

 

これは建物入り口正面の上にある薔薇窓と言われるもので、直径が4m近くあります。

同じものが入り口横に展示してあります。

 

 

 

 

金沢監獄中央看守所

 

 

八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配されているのは去年行った網走監獄と同じですね。

 

 

 

東京駅警備巡査派出所

 

 

明治41年、それまで品川を起点としていた東海道線を皇居正面の丸の内まで延長して新しい中央停車場を建設する工事が開始されました。その大工事は大正3年に竣工、東京駅と命名され開業しましたが、その時に駅前広場を整備する中でこの派出所が建設されました。

 

調和を図るためにデザインが東京駅に合わせてあるのが凄いですね。

 

 

 

大明寺聖パウロ教会堂

 

 

 

 

この建物は明治12年頃、長崎湾の伊王島に建てられた教会堂です。フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、地元伊王島に住んでいた大渡伊勢吉によって建てられましたが、若い頃大浦天主堂の建設にも携わった伊勢吉は当時の知識をこの教会堂に注ぎ込んだんだそうです。
内部はゴシック様式ですが、外観は鐘楼を除けば普通の農家の姿で、キリスト教禁制の影響を色濃く残していると言われています。

 

 

 

川崎銀行本店

 

 

川崎銀行(後に三菱銀行と合併)本店は、ルネッサンス様式を基調としていて、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築です。構造は鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートル。大正10年に起工され、昭和2年に竣工したもの。

昭和61年、ビル立て替えのために取り壊されることとなって、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築されたそうです。

 

 

 

内閣文庫

 

 

 

 

内閣文庫は明治6年、赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館で、この建物は明治44年、皇居大手門内に新築された内閣文庫庁舎のうちの本館・事務棟です。

 

手前に写っている電飾燈は明治20年12月に竣工した皇居正門石橋に6基設置された内の一つで、昭和61年9月、鋳型を取って新しく鋳造されたものと交換する際、ここに移設されたものです。

 

 

 

帝国ホテル中央玄関

 

 

 

 

これはアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年、4年間の大工事の後に完成した帝国ホテルの中央玄関部です。

 

早速中に入ってみましょう。

 

 

入って左側

 

 

 

右側

 

 

 

入口方向

 

 

 

三階までの吹き抜けになっていて、中央玄関内の全ての空間がこの吹き抜けの廻りに展開しています。床の高さ、天井の高さがそれぞれに異なっていて、景色も趣も異なる造りになっています。

 

2階に上がってみます。

 

 

ポーツマス条約のサインをしたテーブル

 

 

 

 

正面2階

 

 

 

右側

 

 

 

ちなみに、正面玄関入口2階にはカフェがあります。おばさん達でいっぱいw

 

 

 

5時近くなりました。

ここから正門までは結構距離があるので村内循環バスに乗りたいなぁ・・

 

って思っていると、バス停の前でおじさん(運転手さん)が、「正門行最終バス、間もなく発車しますよ~」って叫んでいるので ダッシュ!!

 

 

間に合った~w

 

 

 

さて、ホテルに戻って

 

明日は犬山城!

 

 

(つづく)



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