こんなのできた!

単調な生活に新発見を!  
日々の小さな出来事の写真日記

2009/12/11 IXY万写一写物語

2009-12-11 20:05:10 | Weblog

12月にしては暖かい朝。室温12.7℃、湿度69%。
昨日からの雨はやまず、8:40現在までの合計雨量は14mmになった。
今の時期としては多い。

おかげさまで投稿写真が10,000枚の大台に乗った。


塵も積もれば10,000枚、節目はもちろんタマちゃん。

掲載写真のほとんどが


『IXY900』


『IXY920』で撮ったもの。IXYが故障の間、少しだけ携帯のお世話になった。

「いいなあ」と感じたものや記録に残したいものをパチッとシャッターを押す
だけ。カメラの性能向上で「絞り」「シャッター速度」「焦点距離」は自動でや
ってくれる。シャッターを押すだけで綺麗な写真が撮れるようになり、楽にな
ったものだ。

デジタルカメラはいつごろから普及し始めたのだろうか?
ニコンが1999年にデジタル一眼レフカメラ『D1』、キヤノンが2000年に
『IXY DIGITAL』を発売した頃から性能は大幅に上昇し、価格も安くなり急
速に普及したように思う。
私は「流行に乗らない派」で最初にデジタルカメラを手にしたのは遅く、
2006年12月だった。デジカメの引伸ばした写真を見てフィルムカメラと比
べて遜色がないが第一印象だった。


昔愛用し、いま手元にあるカメラに登場願った。
最初に手にしたのは中学生の頃。姉婿が持っていた『二眼レフ』カメラを借
りてた。今思えばいいカメラだったが、当時は時代遅れのカメラに見えた。
最初に自分で買ったカメラは万博のあった1970年、 『Konica FTA』だった。
当時最初のTTL方式のシャッタースピード優先AE一眼レフカメラだ。
万博会場内で撮りまくった。

次の年に『Konica FTA』を友達に引き取ってもらい、欲しかった


『Nikomat FTN』
を買った。TTL露出計を内蔵している。


『Nikon F』
が製造中止になると聞き、無理して念願の『F』を購入した。
「105mmレンズ」がついている。ポートレイトには一般的に85mmがいい
とされるが、この『105mmレンズ』の「ぼけ味」もいい。絞りを開放にして
撮ると、女房殿でも美人に写った。


「大きいフィルムの方が綺麗に撮れるよ」と友達から『マミヤRB67』を売り
つけられた。このカメラは6X7サイズ、ブローニーフィルムを使う。撮ってみ
て大きく引伸ばしてもぼけないし綺麗だ。ただ、首からぶら下げると首が折
れるくらい重い。若かったから重いカメラと露出計をぶら下げられた。
一番よかったのは『マミヤRB67』を持って撮影会に行くと、黙っていてもい
い場所を空けてくれた。

あまりにも重いので少し小さい。


『ゼンザブロニカ』
に買い換えた。


子どもの誕生記念に『Nikomat EL』を購入した。
銘板は下の理由で『Nikon EL』
に取り替えてもらった。このカメラで最初
に撮影したのが初対面の生まれたての息子

Nikon最初の絞り優先AE機で、Nikonは耐久性に自信がなかったのか
「Nikon」名を冠しなかった。
5年を経て耐久性等に問題がないことが証明でき、新製品「Nikon EL2」
を発売した。このとき「Nikomat EL」ユーザの中で希望する人には
『Nikon EL』の銘板に取り替えてくれた。私も取り替えてもらった。
したがってNikon製品系列には『Nikon EL』は存在しない。
貴重なカメラになった。

ある時期、木村伊兵衛と同じ写真を撮りたくて同じカメラ、同じフィルムで試みた。


『Leica Ⅲf』
しかし木村のような写真は撮れなかった。

その後、ピント・露出・シャッタースピードが自動の


『Nikon TW2D』を買った。ピント合わせが自動なので片手で撮影できる。
また、軽いので首の骨が折れる心配もない。


APSフィルム販売を機に『IXY320』を買った。ポケット内にも入り長い間
重宝した。


デジカメへの転換のきっかけ
ポリテクで「Y内さん」が、デジカメをあたかも自分の目や手のようにかっこ
よく駆使
されていた。私もあやかろうと思い『IXY900』を購入した。
それまでは頑固にフィルムカメラを愛用していた。残したい写真はスキャナ
でパソコンに取り込んでいた。

デジカメを使い始めて3年になる。今はいつもポケットにしのばせ「いいなあ」
と思ったものを撮っている。

■ タマちゃん18歳、きょうも元気


10,000枚目の記念の写真。
活発なのを掲載したかったが、一日中雨で一日中こんな格好をしていた。

   

コメント (2)