こんなのできた!

単調な生活に新発見を!  
日々の小さな出来事の写真日記

2009/12/15 レツゴー正児氏の「人がいて、ぬくもりがあって人がいて」

2009-12-15 21:16:52 | Weblog

昨年はいつ頃年賀状を作成したのかと、自分のブログを調べようとしたら、
9:30までメンテナンス中で見れなかった。


9:30に見るとメンテナンス時間をさらに2時間延長してた。ブログの作成は
無料。文句は言えないので待つ
ことにしよう。
11:50現在、まだメンテナンス中だった。


昼過ぎに女房殿が美術クラブから帰ってきた。


女房殿の作品 『静物』 制作中。先週とあまり変わらないように思う。
 

午後は人・愛・ふれあい 町民のつどい


12月4日~10日は人権週間。あらためて自分や自分を取り巻く人的・物
的環境を考える機会と
しようというのが目的。

町の広報誌に載っているが、主催者から町の各自治会に参加の依頼があ
った。当地区では自治会役員
・老人会・婦人会に声をかけた。
つどいの内容は「津軽三味線演奏」と「講演」。

無料で演奏や講演が聞けていいと思うが、なかなか人が集まらない。家で
コタツに当たりながらテ
レビを見ているよりも演奏や講演を聞く方が有意義
だと思うが・・・。

演奏は


彩雅ワールドの「津軽三味線」


強力な響きに感動した。


講演はレツゴー正児氏の「人がいて、ぬくもりがあって人がいて」


自分の半生を面白おかしく語ってくれた。あっという間の1時間半だった。
ちっちゃい丸っこいおっちゃんやと思ったら身長は160cm、体重は69kg。
私と全く同じ体型。
レツゴー正児氏は早朝の大阪地下鉄中津駅で見かけたことがある。

講演内容は思いつくままに書くと、
「ルーキー新一は実の兄、このことであとで苦しむ」

「小学生の頃は父は病気がちで、『ニコヨン(日雇労働者。定額日給が240

円程度であったからいう)』として働く母を助けるために、6年生の姉と交互
に妹を背負って学校へ行き
、オムツを換えながら授業を受けた」

「こんな家庭環境なのでいじめも受けた。加害者は鈍感、被害者は敏感
身をもって感じた」

「参加費70円の遠足も参加できなかった」
「一度だけ奈良へ遠足に行った。このときは母は30円の小遣いを持たせ
てくれた。奈良の大仏殿
の入場料が20円だった。母の苦労を思うと入場
せず、そのまま30円を持って帰った。母に話す
と倹約してほめられると思
ったのにひどくしかられた」

「しかし、小学校から市岡商業高校を卒業するまで学級委員長を務めた」
「高校のときはアルバイトでそろばん学校の先生をした」

「高卒後、関西汽船に3年間勤務。その後退職し、ルーキー新一をたよって
芸能界入り。横山やす
しと漫才コンビを組みデビューする」

「将来を嘱望されたが、ルーキー新一が不祥事で吉本を首になり、ルーキー
新一の弟という理由だけ
でレツゴー正児は首になった。
新しい小屋で舞台に立とうとすると、いつも吉本からの妨害が入り仕事が
できなかった。
こんなことが何回も続いた。こんなとき、タイヘイ洋児が救ってくれて弟子に
してくれた」

「いろいろな挫折で学んだのは『前進』 」


上は剣道の構え。
「そんきょのあと、素人は足を引いて構えるが、剣士は足を前に出して構え
る。剣道を通じていろいろなことを学んだ」


最後は『方丈記』の冒頭を空でしゃべって締めた。
 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうた
 かたは、かつ消えかつ結
びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とす
 みかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむ
ねをならべいらかをあらそ
 へる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、

 れをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
・・・・


感動・感銘が消えないままに、火曜日の買い物。


夜の店舗は色彩的に綺麗だ。

■ タマちゃん18歳、きょうも元気