貸金業債権の債権譲渡、行政監督機関の法執行権限

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金融庁処分にみる行政取締法違反の違法性の解釈と法執行権限の考察 ~ドイツ証券の証券化の時価評価を例に

2008-05-01 09:07:58 | 行政監督庁権限

ドイツ証券の証券化の時価評価にかかり、金商法51条をめぐる行政取締法規違反の違法性の解釈と法執行権限に関する基礎的一考察 (訂正1版)

金融庁が、法規則規範に照らして、個別事実を認識して、法的違法性を評価しない限り、経済社会に法的不安定性が募り、結果的に、そうした不安から、企業は、経済活動を躊躇、停滞させることにつながる。ここで、規範とは、関係者の誰もがそれが規範として認めるもので、公知の事実となっているものだ。したがって、法的強制力がある法、規則だけでなく、それ以外の指針、ガイドラインも違反判断基準になることもある。
法が法として、ひとに強制できる力をもつためには、最終的に裁判でそう支持評価され、強制できる力を意味するでしょうけれ。その前に、まず法が強制力ある法として機能するためには、法の実体(何々してはならない、しなければならないなど、禁止的、肯定的な行為規範など義務規定)とともに、罰則・救済規定がないかぎり、法の効力も抑止力も期待できない。
法を学び損なった法務部やコンプライアンスのうるさ方は、しばしば何々してはならないというところばかりに眼を留め、罰則規定がないことを知らない。違反しても処罰がなければ、誰がそれに従うか。通りで噛んだガムを捨ててはいけませんと、ガイドラインに書いてある。それをだめだと規則違反だと主張したところで、処罰して、裁けるものではない。裁判規範として確立されなければ、単なる倫理規定にすぎない。

ここで、処罰、救済とは、どういう意味か。被害を直接蒙った被害者は、法に従い、賠償請求の訴えを起こせるか。法が私人の訴えの権利のよりどころになるか。法の私的訴権private cause of action が認められれば、私人がその法にしたがい、独自に法の執行による救済を求めることができる。それが法が法であることの意味だ。裁判所は、訴えに対して、法規範にのっとり、要件が満たされているか事実を認定し、違法性を評価し、違法行為を軽重を考量して、処罰する。

行政取締法規については、救済、処分規定が設けられていない法がある。法が私的訴権を準備していないような、本来法が兼ね備えるべき法の執行規定を欠き、不備があることがある。そうした場合、行政監督機関が、被害者に代わって訴えを起こし、あるいは独自に法を執行する権限が法により付託されている場合となる。証券取引法というのは、どこを見ても、私人が訴えを起こせる根拠規定は、まれで、監督機関が法的保護の必要と判断される公益に照らし、独自判断して、処分を決める。独占禁止法、銀行法、貸金業法、信託業法、税法などが、それにあたる。

そうすると、しばしば出てくるのが、違法性がないのに、処分を受けたという話だ。
行政取締法規については、法の解釈や法の執行権限についての第一審管轄権primary jurisdictionは、行政監督機関に事実上与えられるのが通常だ。多くが裁判を受ける権利が、監督機関内にあるケースとなる。裁判所は、市場メカニズムも行政官のもつような専門的知識、経験もないので、行政監督機関の判断に謙譲的態度をとる。だから、第一審で展開された事実評価について再審する控訴審的役割になる。

法執行について、行政監督機関の処分決定に不服があれば、行政不服申し立て申請すればいい。違法性がないのに、処分されて、経営を委ねられた経営者が黙って違法処分にしたがっていれば、名誉毀損で業務、営業に支障が生じることもあり、結果的に利益に重大な影響を及ぼしかねない。株主や場合により、訴えを起こされかねないから、違法性がなければ、争わざるをえなくなる。権限外処分であれば、違憲審査を求めてを争うこともあろう。

したがって、処分決定にいたる事実上の「裁き」プロセスは、法的due processと同様な手続きを求められることになる。事実認定審は、行政監督機関において、なされる。具体的には、行政監督機関は、服す業者を定期的に検査している。検査中に見つかった処分に値する「違法」な行為について、監督機関は事実を提示して、業者に対して、営業行為にいたるまでの経緯、背景、理由、動機を文書によって提出を求める。業者は、違法性の解釈について、場合によって、外部専門家(弁護士、会計士)の鑑定意見書を添える。その上で、監督機関からの違法な事実の認識についての解釈の関する回答があり、そのとき争点が明確にされる。
業者には、それらについての聴聞の機会が与えられなければならない。指摘された違法な行為に事実認識について、違法性のないことについて争うのであれば、その根拠障害理由(本記事に書かれているような、債券は常時売買されないし、適正価格などないでしょうといった)となる反証の提示による抗弁をする。それに対して、再抗弁があり、決定が下される。そのなかで、業者は、裁判同様に、鑑定意見書(当事者により公開性が認められれば、裁判判決に関係する部外者のamicus currieのような意見書)を提示することも許される。審理過程は、裁判手続きとなんら変わりない。

私の経験から知るところでは、金融庁処分では、監督機関による当該指摘事実に関する検査が、3ヶ月ほど続くか。違法と疑いのある行為以外と一緒に目的が分からないように検査されることもあるが、検査期間は、検査項目による。監督機関は、数ヶ月(1~2月)以内に、集めた事実から違法行為があったことの証拠固めをして、違法性を判断し、ほどなくして業者に、検査で違法性が発見されたとの通知がある。業者は、事実の釈明のための機会が与えられ、上記のように、書面を交付を求められることになる。争点について、争う場合の審問、審査プロセスは、文書提出準備期間を含め、2~3ヶ月ほど。検査をうけもつ下部監督機関での審理プロセスが終了する時点で、行政監督機関は、業者が違法性について争う意思がなければ、「違法」行為についての経営者の責任の認識、経営陣の更迭・交代、今後の組織体勢整備、対応、社会への説明・開示方針を文書にして提出を求めることがある。
それが終わると、上部監督機関への処分勧告申請を経て、上部機関(監視委員会に対する金融庁、財務局に対する金融庁)による法執行決定にいたるまでの同監督機関内評価期間となる。3ヶ月ほどだが、少しの期間、数ヶ月、様子をもみることもある。違法な行為について、業者として認識し、反省があり、再発がない体制が整っているとなれば、処分の軽重は、軽減されたり、重要でなければ、法執行は見送られることがある。

行政監督機関での審理・裁決が、通常の裁判と違うのは、弁護士の立会いが嫌われることだ。それに対して、監督機関は機関内の弁護士資格者が随行している。また裁判は、通常、公開性があるが、秘密に行われ、審理の内容どころか、関係部署役員以外に、そうした審理手続きがなされていることさえも秘密にすることが求められる。すなわち審査プロセスで、提示された一切の違法性の証拠資料、反証、事実評価プロセスは、事案の性格から、公開されないことがしばしば。こうして処分は、適正な審理裁決プロセスを経てなされる。業者は、違法性がないとしたら、行政不服申し立てをせざるを得ない。

違法性が明確でなく、違法性による処罰理由が不透明で、違法性解釈について、争われるような疑念がある性格の営業行為についての法執行では、こうした審理、裁決の適正プロセスがあったと推定される。聴聞、審問もなく、釈明の機会もなく、違法性の法規範もなく、勝手に処罰されることは、逆に権限外の法執行のよる違法性を問われるからありえない。監督機関は、議会が付託していない権限のない違法な処分をしたとして、不服申し立てを受けることになる。したがって、監督機関が違法性が問えない営業行為にもかかわらず、責任を問うという場合には、業者は、そうした処分に障害事実を示して反論できないほどに、処分について実質的同意しており、不服申し立てのリスクが小さくなっているということを意味する。

業者が、どのような違法性認識を認めたかは、個別事実が不明なので、議論できない。しかしながら、実質的な弟一審に対する不服申し立てがく、業者が甘んじて処分を受けるというのであれば、金商法第51条(注1)では、公益に照らして、保護されるべき法益保護という規定があるから、それに違反したと評価される。公益保護違反営業がなされたことについて、業者には、すでに争う意思がないと法曹社会には受け止められることになる。

 

金商法にかかる法の解釈権限と法執行権限

そうすると、今回の処分があった場合に、実際の行政取締法の運用から抽出された実態は、同51条の証券取引に関して、おかしてはならない公益とはなにか、また当該公益の保護に値すべき法益の範囲に関する概念枠組みの解釈権限と法執行権限が、金融庁に付託されたということになる。通常の議会が法の特定の規定について、法執行をともなう施行細則などの規則制定権を、特定の行政監督機関に付託する方法としては、内閣府令で定めることも考えられる。今般は、それを明示の規則制定権付与なく、法の運用を行うものであるが、裁判所は、行政取締法の性格から、法の専門的技術性から、第一審管轄権の機能として、公益保護に関するそうした金融庁の事実に対する認識方法や違法性評価を重んじると考えられよう。

新聞では、違法性ある行為として問題視されるのは、以下の3点としている。
 1. 同一時点・同一商品の時価が顧客によって異なる。
 2. 同一時点・同一商品の時価について、複数の評価手法に基づく複数の時価を顧客に提示し、顧客にどの時価を採用すべきか判断させていた。
 3. 評価時点・時価の増減に関する事務ミス。

すでに広く指摘されるように(注2)、債券は、価格が決められて、売り出し、発行されてしまえば、毎日頻繁に売買されるものはない。流通の乏しい社債では、半年に一度しかない場合もある。上場はおろか、流通市場が成立していなくて、客観評価が難しく、取引値ということであれば、取引のあった日まで遡るという基準も使われることもある。

債券がロンドン、ルクセンブルク、アイリッシュ証券取引所に上場していた場合は、どうなるのだろうか。取引はほとんどされることがないだろうし、アイリッシュにいたっては、上場しているという基準を満たすためで、流通市場確立が当初の目的ではない。しかし公式な市場が存在する限り、その価格が使うことが妥当なのか。

債券の発行にかかり悪質な場合には、新規発行債券では払い込み前市場で、価格を吊り上げて、儲けようとする輩もいたりする。300億円しか発行がないところに、引受会社数社に同時に、総額200億円の買いをいれ、市場をスクイーズさせて、空売りの買戻しをできなくてして価格を吊り上げ、その後売りに出して、利益を上げる取引は、かつての大手の銀行すらしてきたモラルを欠いた悪行でもある。失敗すれば、値崩れもある。そうした場合、価格とは何か。

モデルなどという難しいことをいわなくても、10トランチを超える複雑なRMBSやCDOでは、証券ディーラーは、一旦ヘッジして、売れるまで買い持ちするだろうが、なかなか損をしてまでうろうとはしないので、債券市場が変動しても、当該証券価格は動かないことがしばしばみられる。伊万里焼のつぼや茶碗のセットの一部と同じで、それぞれにアルファベットの4文字のニックネームがあって、類似品はあるが、同一品はない。

流通市場評価の難しさは、2006年終わり、ディーラーが自己のポジションRMBSやCDOを評価するに、中間値を使うという便法が用いられ、非難されたことがある。買値30、売値90だったら、どう評価するか。60ではないはずだ。指摘されるように、1000億円の売りと、1億円の売りでは、買取リスクが違うし、現実にヘッジ可能かでも異なってくる。

モデルの必要性も付きまとう。RMBSは発行目論見書では、CPR、PSAの想定期限前返済率に応じた返済とプール・ファクター(残高)の予定表が必要記載事項とされている。それにあわせて、さらに金利の上下変動、デフォルト頻度の想定を加えた3次元マトリックスをつくって、想定価格を推定することは、配布される目論見書付録以外に、募集における電子媒体計算情報computation materialの提供は、は通常となっている。投資家は自分のもつ想定によって、さまざまな価格がえられることになる。CDOでは、債務不履行事由が発生すれば、キャッシュフロー配分変更されたり、支配権を有するトランチ所持人が担保売却して清算する権利を行使できるので、価格の推定には、そうしたデフォルト想定が必要になる。

このように債券では、特に証券化では、モデル想定を要するため、一物複数価になるのは、避けようのない取引慣行であることは、監督機関は調査により理解していると推認されうる。もし理解がないというのであれば、それ自体、専門監督官として、重大な注意義務違反であり、監督失格ということになるので、理解があると推定するのが説得的かつ合理的である。

個別の債券では値段がなく、流通市場が存在していないとすれば、上記3テストを満たすことは、現実的ではなく、通常の業務であっても、違反してしまう。テスト基準を示し、そこに例外取引を違反とすれば、違法性評価と法執行のあり方について、行政不服申し立てリスクが避けられない。そうすると、今回の処分というのは、具体的に債券評価方法についての違法性が発見されたというのではなく、金商法51条の保護すべき公益性に照らし、それを侵害する何か許しがたい行為があったことが推測され、その判断について業者が処分に甘んじれば、それを追認することになる。公益侵害行為が何かは、不明だ。しかし金融庁にその解釈、判断権限が付託されている以上、特に公開をもって、説明をしなくても、違法な法執行とはいえないという法律構成となると考える。むしろ公開が当事者にとって、不利益になることもある。

公益を考えるに、たとえば以下のようなケースを想定してみる。

● 投信に証券化商品が入っていた。投信の保有する規模から、それを受けられるようなbidがないのに、ファンドを清算できないほどの高い価格が提示だれ、投資家が虚偽の報告で欺かれ、損害を出す恐れがあった。(注3)

● 上場する金融機関や組織系金融機関で、資本に対して、複雑な証券化商品に大きな金額の投資をしていた。評価を誤り、結果的に、資本の毀損を隠蔽することになり、株式や証券を購入した投資家が欺かれ被害を蒙った。金融機関は、資金援助を受けて、資本を増強した。

下のケースで、減資でもして、資本を得た場合や、公的資金が使われたら、さらに公益に反する結果を招いたことになる。

発行証券を引受け、販売した証券業者に、無償で流通市場の証券取引所機能を求めたり、義務付けるのはあまりに酷である。しかし、仮に証券評価サービスを提供するのであれば、そうした公益に反することになる恐れがあるリスクを十分認識した上で、業務するよう注意が必要だ。今般処分がありえるとすれば、その専門販売業者としての注意義務違反が認められたということを意味するのだろうか。

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(注1)
第51条  内閣総理大臣は、金融商品取引業者の業務の運営又は財産の状況に関し、公益又は投資者保護のため必要かつ適当であると認めるときは、その必要の限度において、当該金融商品取引業者に対し、業務の方法の変更その他業務の運営又は財産の状況の改善に必要な措置をとるべきことを命ずることができる。

(注2) 

ドイツ証券、証券化商品ずさん時価評価につきSECが処分検討、との記事に釣られてみる     
証券化商品の「ずさん」評価   

(注3)

ニッセイ/パトナム毎月分配投信インカムオープン(委託会社ニッセイアセットマネジメント、販売会社みずほインベスターズ証券)投信の大半のポートフォリオは、さまざまなCMBS、ABS、CDOで構成されている。どのように評価されていたのだろうか。