ユニヴァーサル・ジャパンHP記事

市民社会フォーラムに投稿した記事を主として掲載してゆきます

橋下知事による解雇反対!・・府立高校「教務補助員」350人の首切り

2008-08-01 08:12:35 | Weblog
私の所属している組合の上部組織の会議で
来年4月から雇い止め(首切り)が提案されている
府立高校教務補助員の人が
次のような訴えをされたそうです。 

教務補助員は
年間100万円程度の収入で、20年・30年と働いてきました。
その350人全員が橋下知事によって
来年四月から解雇されます。
http://hatarakikata.net/modules/topics/details.php?bid=36
http://hatarakikata.net/modules/topics/details.php?bid=51&cid=1

まさしくこうした方々の雇用を守り
また収入を増やしてゆく中にこそ
地域経済の活性化の道があります。
(もちろん、基幹産業の重要性を否定するわけではありませんが、
こうした末端の人びとの雇用と生活を破壊する
改革になんの意味があるでしょうか)

本末転倒の橋本改革の本質が
如実に現れていることなので
以下、みなさんに紹介させてもらいます。


私たちは、大阪府立高校で教務、図書司書、化学・生物・家庭科の
実習補助員をしています。
私たち非常勤職員350名の一方的な首切りが発表になって・・・・・
(中略)・・・・

 試案が発表になってすぐに行われた
「非常勤教職員の縮減・廃止の撤回と制度の存続を求める要求書」
署名は、2週間という短期間にもかかわらず
11,997筆を集約することができました。・・・

 「これだけの人々が私たちを応援してくれてはる!
そうや!まだまだこれからや!」という気持ちでいた時、
6月20日に行われた府労組連による団体交渉に、
私を含め3名が参加しました。
もちろん、簡単に首切りが白紙撤回になるとは
思っていませんでしたが、
橋下知事から出た言葉は、
私たちの必要性は認めながらも、
あくまで自分の政治的判断で優先順位をつけて、
首切りをする!というものでした。

 「私たちの雇用は、知事の中では、
御堂筋のイルミネーションよりも優先順位は下
ということなのか?」
という問いに、知事は私の目を見てはっきりと
「私のビジョンではそうです!」と言い切りました。

一瞬、「えっ?いま、何て言いました?」って感じでした。
その上、私たちの首切りを止めさせたいのなら、
その分の予算を他の人件費を削って出すようにしてください!
とまったく問題をすり替えているのです。


 腹立たしいのを超えて、情けないです。

 これが府の長たる知事の言葉でしょうか?
知事のこの言葉に、その場の全員が怒りで騒然となりましたが、
一向に耳を傾けようとはしませんでした。

府民の生活を守るのが知事なんじゃないですか!
いま、まさに首を切られようとしている私たちも府民です!
私たちの解雇の本当の理由って何なんでしょうか?
大型開発はそのままで、
「解雇回避の努力」はしていただいたのでしょうか?私は納得でき
ません。


 私たちは、学期雇用でその上、
働ける日数は自分に意思に関係なく限られていて、
年間100万円程度の収入で、20年・30年と働いてきました。
それが、なぜいま、こんな扱いを受けなければならないのでしょう
か?
はっきりと、「あなた達はイルミネーションより下!」と言われた私
たちのこの気持ちをどう言ったらわかってもらえるのか、
言葉がみつかりません。


 それでもみんな、自分の気持ちを押し殺して仕事をしています。
これからの生活のことを考えると、不安でいっぱいです。
 私たちは、もちろん、生活のための仕事ではありません。
それだけではなく、それぞれ仕事へのプライドや情熱をもっている
し、
大袈裟かもしれませんが、私たちがいなくなれば、学校は回らない!
と言う気持ちを持っています。
 それをわかってもらえないのが、本当に残念です。私たちが辞め
て喜ぶのはたった一人!たった一人なんです!大阪府内で非正規で
働く百数十万人の方々のためにも、こんな「非正規首切り」の暴挙
を許すことはできません。

 いまここで、私一人がみんなの仕事に対する気持ちや思いを
伝えきることはできませんが、
少しみんなの声を伝えたいと思います。
 「私たちが仕事をしている、
化学・生物の実験室・準備室、家庭科の実習室・準備室には、
クーラーがありません。
そんな環境の中で、ある化学の実習助手の方は、
年間100~150回程の実験に取り組んで、
準備、後片付けはもちろん、340種類にも及ぶ薬品の管理もされて
います。・・・・(略)」と話されています。
・ ・・
・ (略)
 。
 「私は家庭科で実習助手補助をしています。勤続11年です。
針1本、鍋1個まで用意しています。
実際、楽しいことばかりではありません。
でもいままで続けてこられたのは、・・・・・・
、ミシンのないご家庭が増えていて、
ぞうきん1枚縫うことの少なくなっているいまこそ、自分の手で1
つの物を作り上げる達成感を味わってほしいし、
調理実習でも炊飯器ではなく、
鍋でご飯を炊いたり、
食べることや後片付けの大切さを知ってほしいと思っています。
 でもいま、そのわずかの機会さえもなくなろうとしています。
先生方は、担任業務や日々の雑務に追われ、
実験や実習の用意や後片付け、
食品の衛生管理など、到底無理な状況です。
あまりにも現場の声を無視しすぎです。
このしわ寄せがどこにいくかわかっていない!
私たちは、怒りと不安でいっぱいです!
でも絶対にあきらめません!
いまできることを精一杯して、雇用を守ります。
みんな働きたいんです!
 みなさん、力を貸してください。
よろしくお願いします

似て非なる「道州制」と「decentalized分権経済」

2008-08-01 08:09:32 | Weblog
(1)
橋本知事はテレビにで、自分の改革に見通しはなく、
場当たりだということを語っていました。
すなわち、
「当面の出血はとめた。
どうするかはこれから考える。
道州制の実現こそ私の目的だ」
というような発言でした。

「出血はとめた」というのは、
家計簿でいえば、過剰な支出をとめて、
収入のバランスがとれるように近づけたという趣旨ですが

貨幣を血液になぞらえるなら、
橋本改革は、
社会の「毛細血管」ともういうべき福祉、教育、賃金の部分をも
大幅に削っていますから、
実際には、出血を止めたのではなく、
大阪経済を血行不良の「冷え」症状をいっそう悪化させたに
すぎないと考えます。

橋本知事は天性の弁論家?であり
口がとてもうまく、人々の支持獲得を計算して発言するので
「これからどうするかはこれから考える」と
自分の考えが、行き当たりばったりであることを
正直に言っても、
人びとは、橋本知事のやっている方向しかないと思わせられ
その人気が落ちることはありません。

(2)
さて、「道州制」、あるいは市町村への交付金を自分達で使えるようにする
と語っている彼の「地域主権」についてですが
一見、私たちが主張している
「民主主義経済、decentralized非集権経済」への一歩に見えます。

支配層のイデオローグが「地方分権、地域主権」を
語らざるを得なくなっていることは
それだけ、経済における中央に決定権の集中するシステムが
中央に貨幣が集中しすぎて、
組織の末端や地方を貧窮化させており
支配層もなんからの手をうたざるをえなくなっている
反映だと思います。

しかし、橋本知事や支配層の語る道州制や地域主権は
言葉こそに似ていても、私たちのものとは似て非なるものだということを
述べさせてもらいたいと思います。

一見、道州制と似ている文章の箇所を紹介します。
「中央集権経済を廃止して分権decentralized経済、経済民主主義を提案する」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/theory/prout/bunkenkeizaiminshushugi2.htm
の中ほどに次のようにやや似ている文章があります。

「交通通信が発達しているため、
現代の日本は一つの社会経済単位と考えることもできます。
しかし単身赴任や出稼ぎをしなくてすむように、
北海道、東北、関東、中部、関西、
中国、四国、九州、沖縄レベルのそれぞれの地域で、
基本的必需品については自給できる
地域密着型の経済構造をつり上げる必要があります。
日本が農業や資源で外国にたよらなくてもよい経済構造を作り上げることは、
第一次産品を原料として輸出している国が、
自立的で経済単位として確立してゆくことに連帯することにもなります。
サルカールは「プラウトの計画機構は、中央、 州、地方、ブロックのレベルで機能し

ます」と述べ、
下からの計画経済を主張しています。
私見ですが、そこから類推すると、
日本の場合では、中央が日本全体で、
州が北海道、東北などで、地方が県レベルで、ブ
ロックが郡や市町村レベルだと考えます。
輸出入を調整できるのは日本全体のレベルですから、
日本という領域が一つの社会経済単位であるとしても、
州、地方レベルでも、限りなく生活必需品について
自足できるバランスのとれた経済構造(地域密着型経済構造)づくりを
めざす政策を実施することだと解釈しました。 
日本の場合も当面は現在の国家領域の範囲のもとで
社会経済単位」を各地域に確立することが、課題となります。」

以上が、「中央集権経済を廃止して分権decentralized経済、
経済民主主義を提案する」からの引用です。

この中では
第一に
ブロック⇒小地域⇒中地域⇒大地域という
「下からの民主主義的計画経済」を提案しています。
最下部のニーズを合意を深め、周辺地域と調整を重ねながら
下から上にあげてゆく重層的民主主義構造型(ホラーキー型)経済構造です。
ホラーキーというのは少数の上部のものが
決定権をもつヒエラルヒー階層構造への対案です。
橋下知事や支配層のイデオローグが提唱している道州制は、
ヒエラルヒー構造を変革して
社会の最下部のニーズを汲み上げてゆくてゆくための「地域主権」
という観点はさらさらありません。

第二に
それぞれの地域で可能なかぎり、農業、工業、商業などの
産業構造のバランスをとる必要があります。
そしてそのことは基本的生活必需を地域的に可能にすることにも
つながります。
それぞれの地域で自給でき、その余剰分を
周囲の地域と自由に交易するというのが
それぞれの地域の両者が利を受ける経済構造への道です。

ところが、橋下知事をはじめとする道州制の提唱者には
基本的生活必需品について自給できる経済単位にするという
観点は、まったくありません。

(まとめ)
私はWTO交渉が破綻したことを心から歓迎しています。
これからも破綻しつづけて
そして
世界中が自給的経済単位となり、余剰分を自由に貿易するという
合意をつくりあげてほしいと思います。
工業部門の一部幹部の意向にそってだけ
世界が動き、世界はとんでもないアンバランスを深めつつあります。
蓄積されたアンバランスが破裂することは
地震がそうであるように天地万物の理です。

民主主義経済システムこそ資本主義経済システムの問題を乗り越える道

2008-08-01 08:06:46 | Weblog
こんばんは
吉見です。
テーマソングです。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/1babanam.html
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/babanam2.wma



「もう一つの世界へ」の道を支持する立場から
紅林さんの投稿に発言させてもらいます。
こういう考えの人もいるンだなあという程度で
お受けとめください。

(1)
村岡氏の文章には、私が考えていることと共通の面があります。
たとえば、「粉砕」について、
またアルタナティブ(もう一つの道)の
ビジョンの重要性について
先日の私の投稿と同一の趣旨が述べられています。

「しかもその質が、従来の「抗議、粉砕」型ではなく、
〈政策主 張・対案提起〉型になってきたことに注目する必要がある」
とあります。

また私が、資本主義を超えるには、文化革命も必要であり
それは物的欲望という物質主義materialismから
内面の充実やスピリットも視野にいれたQOL(quality of life)の視点が必要だと
述べたことにかかわることに近い記述も見られます。

「そして、私たちは欲望追求や浪費に慣れたライフスタイルの自己変革に取り組 むことである。」

(2)
しかし、村岡氏の文章の中の次の点について私の意見を述べたいと思います。

「『赤旗』は 資本主義の 限界」を引用するようになったが、
限界を突破する方向を〈社会主義〉とは提示 しない
(志位和夫委員長の発言を見よ)」
とあることです。

この点については、「社会主義」をかかげるべきだ
とする村岡氏の意見より
私は、「民主主義経済」「経済民主主義」をかかげる
志位氏の発言の方を支持するものです。

志位氏のスピーチの関連するところを軽く読んだ範囲では、
たしかに資本主義の限界を突破する方向を「社会主義」とは述べず
「経済民主主義」の立場から当面の状況に対応すべきだ
と論じているように読めました。
私は志位氏の方が賢明であると考えています。

そう考える理由をいくつか紹介させてもらいます。

第一に、旧来型社会主義のイメージが払拭され、
リニュアルした社会主義イメージが国民の間で浸透していない
今の段階では「社会主義」をかかげても人々に展望を与えることは
できないと見ています。
第二に、資本主義経済からくる厄災に抗する策として
村岡氏は「民主主義経済」に触れませんが、
志位氏たちが、「民主主義経済」「経済民主主義」を掲げていることは
たいへん価値があることだと見ています。

どの用語を使うはこのコスモスに対して
当事者が考える以上に大きな影響を及ぼすと
この間「粉砕」と「materialism」について述べてきました。

志位氏たちの用いる「民主主義経済」「経済民主主義」の用語は
将来、その言葉を受け継ぐ思想家があらわれて
資本主義経済を超える社会像として深化させる可能性がある
用語だと思っています。

その点をもう少し詳述します。


私は、資本主義と旧来型社会主義は、
どちらも、中央部に所属する人々に
決定権が集中しているために
組織の下部が軽視され、
地方が軽視されるという特質を
もっていると思います。

だから、
現在の局面では、「社会主義」のイメージを
村岡氏のように資本主義のアルタナティブとして
提起するより
志位氏らのように「民主主義経済」を強調している方が
適切なスタンスだと考えるわけです。

もちろん、志位氏の「経済民主主義」は
私が述べているような
「人民の人民による人民のための民主主義経済」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/91minshushugikeizaisengen.html

すなわち企業内部の民主主義構造、
各地域が経済決定権をもって上に登る構造
すなわちホラーキー的な民主主義階層構造
まで徹底した民主主義経済のコンセプトではありませんが

「民主主義経済」という用語をもちていることは
「民主主義経済」の用語を受け継ぎ、
私が支持するような資本主義を超える
社会の根幹をなすものとしてとらえる思想家を
生み出すことになる可能性があると思うのです。

だから、私は、志位氏が「社会主義」を使わず
資本主義経済が今日問われているとして
「民主主義経済」を当面のこととして強調していることを
支持します。
そのことは、本人たちが意図したよりも、
今後の歴史に大きな影響を及ぼすとみています。

なぜなら、私は当面ではなく、「民主主義経済」こそ
資本主義を超える経済システムだと考えるからです。

(3)
「社会主義」は、とりわけ旧来型の中央集権経済の社会主義は
もう歴史的に「終わっている」と、私は見ています。
富を一部に集中させる資本主義構造は、「含んで超える」
民主主義経済構造に変革する道こそ、未来への道だと思います。

人々が古いタイプの社会主義というイメージしかもたない現在
「社会主義」をかかげることにどのような意味があるのでしょうか。

サーカーは資本主義を超える社会を構想しました。
(後ろに参考資料をあげておきます)
それをプラウトprogressive utilization theory=進歩的活用理論として
論じました。
数多くのスピーチの中て
私の読んだ範囲では、たった二度だけ、
資本主義を乗り越えたその社会は
「Progresive socialism進歩的社会主義」と
呼ばれるようになるだろう述べていました。
資本主義を超える経済として主に強調しているのは
民主主義経済とDecentralized(非集権、分散、分権) 経済です。

前にレオニードさんと論じた時
レオニードさんは民主主義経済構想は支持できるか
社会主義のネーミングは支持されませんでした。
私は、民主主義経済構造の社会をレオニードさんがめざす時
それをレオニードさんの立場からネーミングして進めばいいし
さまざまな立場から、民主主義経済構造の社会をめざせばいいと
いう趣旨の投稿をしました。
資本主義を超えたその社会のネーミングとして
「社会主義」の用語に愛着がある村岡氏たちは
一部に富が集中しすぎて
多くの人が苦しむ今の社会システム変革のために
「社会主義」と名付けて運動すれば、それはそれでいいと思うのです。

大切なのは多様なアプローチの多様さがあることが
価値あることだ認め合って進むことだとおもいます。

だから、「赤旗」が、今の国民意識の段階で、
資本主義の限界を突破する方向を〈社会主義〉とは提示 しないと
村岡氏が批判的におっしゃているのは疑問に感じるのです。

(4)
資本主義にかわるビジョンの浸透は
私たち市民グループで議論してゆき
新しいイメージをつくることは意義があると思います。
村岡さんのように、「社会主義」を資本主義にかわるイメージとして
前面に出したい人は、旧来型とは違うリニュアルした社会主義像を
人々の前に提出する必要があります。

(5)
村岡氏も全知の神様でもないし、共産党であれ、何党であれ
全知の神様ではない。
誰もが相対的真理を生きていて、
誰の真理がより深く、より広く、時、場所、人により対応しているかの
違いがあるだけだと思います。

せっかく「もうひとつの世界」をめざす
とてもいい企画をしておられるのだから
統合的立場(多様性における統一)の立場にたって
また他を批判しなくても自分の道を進んで
支持者を増やしてゆけばいいと思うのです。

そんなわけで
私はこの村岡さんたちのグループとも、
資本主義文明を超えるというビジョンを共有してゆきたいと思いますが
資本主義の限界を突破する方向を
「社会主義」という用語であらわさないといけない
というスタンスは賛成できません。

(6)
赤旗が、「社会主義」をかかげないからけしからんと村岡氏が言うなら
私が村岡氏のグループは、
一部の富が集中する資本主義的中央集権経済に対して
「民主主義経済、decentralized経済」と言っていないからけしからんと
言っているのと同じで意味がないことだと思うのです。

市民同士の相互交流の進めてゆく上で、
入り口の部分でそのようなことをいわなくても
交流の中で発言してゆけばいいことだと思うのです。
統合的立場にたって市民社会における意識覚醒に
「もうひとつの世界を」のグループのみなさんには
がっばってほしいと思います。

あわせて、もう一つの論点として私が感じるのは、
賢い知識人のみなさんの多くが
自分の正当性を主張するのに
誰かを批判しないといけないという
学問の世界で身につけたであろう
思考パターンをもっておられる場合が
多々あることです。
それは真理論に問題があると思うのです。
(長くなり、論点が多岐にわたるので、ここでは指摘にとどめておきます)

長くなりますので
投稿をここまでとし、後ろに参考資料として上記の論の補足をさせてもらいます。

ユニヴァーサル・ジャパン、 http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/

吉見道夫

資本主義にかわるビジョンとして旧来型社会主義はもう終わっていると考えるのは
まず、みなさんの共通理解ではないでしょうか。

ネーミングを社会主義とつけるかつけないかは別として
資本主義と旧型主義の中央集権的経済構造に対して
それを超える下からの民主主義的階層構造をもった
資本主義にかわる社会へのビジョンを提起しているものを紹介します。

(1) アメリカのデヴィッド・コーテンのビジョン
①『ポスト大企業の世界』
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/devidkorten/kaheichushinseimichushin/postdaikigyouyouyaku.htm

(2)インドのサーカーのプラウトのビジョン
①プラウティスト・グループ・ニューヨーク・セクター
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/theory/newpra.htm
②サーカーの言葉を引用して「民主主義経済、分権経済」を論じたもの
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/theory/prout/bunkenkeizaiminshushugi2.htm
③P.R.Sarkar ,”Proutist Economics”
サーカーの本は普通の出版社からはでていません。
http://www.pia.org.au/index.php?mp_id=61
で入手したらいいと思います。
私は、サーカーのスピーチをまとめたこの本を強く推薦します。
きっと驚かれると思います。

(3)
吉見(私)も「ホラーキー社会論」としてまったく別の言葉で
資本主義にかわるビジョンを提起しています。
ケン・ウィルバーの『進化の構造』のホロン論を活用したものです。
マルクスがヘーゲルを活用して人類解放理論をつくりあげたように
現代のヘーゲル(自称)たるケン・ウィルバーを摂取するなら
21世紀の人類解放思想につくりあげることが可能だと思います。
私の試論です。
以下の「ホラーキー革命」と「ホラーキー社会論」をご覧ください。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/horaakyshakairon/00hyoushi-mokuji.html


これらは、資本主義を超える旧来型社会主義像にかわる対案です。
この中でもっとも完成度が高いものは、
サーカーのものだと私は考えています。

こうした議論を旧来型社会主義像に
こだわっている人々ととも
論議し、市民の中にまったくリニュアルされた
資本主義を超える社会像を
浸透させルことか先行すべきだと思います。
それなしに「社会主義」をかかげても無力だと思うのです。