ユニヴァーサル・ジャパンHP記事

市民社会フォーラムに投稿した記事を主として掲載してゆきます

翻訳ベネズエラ革命とプラウト(後半)

2008-09-20 21:20:38 | Weblog
(翻訳)ベネズエラはプラウトに向かいつつあるのか (後半部分)
アンディ・マリナルコAndy Malinalco


1.基本的生活必需の提供 Providing the basic needs

プラウトによれば、
誰もが五つの基本的生活必需を買うゆとりがあるべきです。
五つとは、食料と飲料、衣服、住居、教育、ヘルスケアです。
これらは、パーソナリティの発達と
自分の経済的将来についての決める能力と
参加民主主義のために必要とされる生活の質Qaulity of life
のためになくてはならないものです。

ダダ・マヘシュヴァラナンダMaheshvaranandaは
「After Capitalism」の中で次のように書いています。
「基本的な生活必需の提供は、経済の主要な役割、義務である
べきです。
人間は、個々人の潜在能力を実現し、
文化的に発達し、
(今、多くの人が生命Lifeの最高のゴールとしている)
内的充足と自己実現を達成するために
これらものものを必要とします。・・・
この惑星の誰一人、
自分の家族のために
衣食住教育医療を得るに足る十分なお金を得ることを
心配しなくてすむようになった世界は、
どんなにすばらしい世界でしょう。」
Dada Maheshvarananda 'After Capitalism'
http://proutaftercapitalism.blogspot.com/


基本的生活必需を供給する上述のプラウトの観点と
同一と思われる権利と政策的指示が
1999年のボリバリアン憲法の次の条項にあります。

第82条項 
適切な住居? Proper housing - Article 82:
「あらゆる人が十分で安全で快適で衛生的な住居をもつ権利が
ある。
それには家族関係、近隣とコミュニティ関係を人間的にする住
区も含まれる。
この必要を進歩的に満たすことは、
すべての領域での市民と国家の共有される責任である。」
チャベス政権は、
人びとの基本的必需を供給する数多くのミッションmissionsを
確立してきました。
Mission Habitat,(住居のミッション)
まず子どもをもつ住む家のない家族と
建設チームとして組織したコミュニティに
あたらしい住宅を建設しています。
ベネズエラでは住宅供給は、
深刻な問題です。
人口の大部分が掘っ建て小屋に住むか、
貧弱に作られた壁のない家に住んでいます。

無料の教育 第102項
「教育は人間の権利であり、基本的な社会の義務である。
すなわち民主的で、無料で、義務的ある。」
教育ミッションは、社会的排除と闘い、参加民主主義を育むためにスタートしました。

読み書きできないことと学習機会の欠如は、
莫大な社会的格差を維持する要素でした。
ミッション・ロビンソンの目標は、
読み書きのできない人を無くすことでした。
2,003年6月にスタートした時は、
1,500万の人々、人口の6パーセントが読み書きできませんでした。
2005 年10月28日、ベネズエラは、
読み書きできない人のいない国であることを宣言しました。
ミッション・ロビンソンMission Robinson の後、
政府は、小学校を終えていない1,500万人以上の大人のために
ミッション・ロビンソンⅡに着手しました。
ミッション・リバスMission Ribas は、2006年9月までに、
2006, 以前に高校を中退した418,253の大人が、
卒業できるように援助しました。
国家Stateは、そのコースに出席できるように
教育プログラムへのあらゆる参加者に月に約100ドル支給しています。

基本的なヘルス・ケア
第83項「健康は、基本的社会的権利であり、国Stateの責任である。
それを生命権right to life.の部分として保障しなくてはならない。
国は、生活(命)の質the quality of life,、
共通の福利 common welfare 、
サービスへのアクセスaccess to servicesの
向上に向けた政策を促進し、発展させる。:
第84項「健康権the right to healthを保障するために、
国は、国民の公的健康システムnational public health systemを
創設し、導き、運営する。
それは各部門を横断するものであり、crosses sector boundaries,
本質的に非集権的decentralizedであり、
参加型participatoryであり、
社会保障システム social security system と統合され、
無償gratuity, 普遍性universality,
完全さcompleteness, 公平さfairness,
社会的統合social integration 連帯solidarityの原理のもとで運営される。」


バッリオ・アデントロ・ミッション Mission Barrio Adentro, は、
おそらく国際的見地からももっとも有名なプロジェクトですが、
スラムと地方の孤立した地域に基本的なヘルス・ケアを導入するために
2003 年4月にスタートしました。
それまでヘルス・ケアから排除されていた社会の大部分の人々に対してです。
政府は、無料の診察と医療を提供するために
年に 50億(5 billion)ドルを 使っています。
医師とスタッフは、本当にコミニュティにサービスするために
スラムの中に住んでいます。
現在、キューバから14,000 人の医師と3000 の歯科医、そして増加しつつあるベネズエラ人の医師が、
ほぼ170万人のベネズエラ人のヘルス・ケアを提供しています。


基本的食料Essential food:

ミッション・メルカルMission Mercalは, 政府の栄養摂取プロジェクトですが、
貧しい地域で基本的な食料を
市場価格の28-50% 以下で販売しています。
2004年の最初の波においては、
4,052 のそのような店を設立し、
2006年の9月には、その数が15,721に増加しています。
メルカルMercals は、国で売られているほぼ半分の食料を売っています。
加えて、無料の食堂free canteens が、スラムに現れ、
コメンドロレス・バリヴリアノス Comedores Bolivarianosと名付けられ,
600,000 人の人々に毎日、温かい食事を提供しています。

2. Endogenous development(自給の発展)

プラウトは、今日の集権化(centralized)した経済を、
経済的に独立した地域に
分散化(decentralized )することを提唱しています。
地域は、地理的条件よって、
そして住民の文化的遺産、言語、経済的問題と利害によって
定義されるでしょう。
これらの地域は自分の将来の経済を
そのコミュニティから出てくるプラニングによって
下から決定し、
それが中央政府の政策によって支持されることになります。

これらの地域は、ブロックに分割されます。
それは経済プラニングの土台basic levelとなります。



「ブロックレベルのプラニングには多くの恩恵があります。
プラニングするエリアが小さいので、
プランナーがそのエリアのすべての問題を理解することができます。
地元のリーダーシップで地元の優先順位に応じて
問題を解決してゆくことかできます。
プラニングはより実践的で効果的なものとなり、
早く、はっきりとした成果がでてくるでしょう」P..R.サーカー

「endogenous development」という用語で、
チャベスは、新自由主義の経済支配と
先進国の経済モデルの拒否を示しました。
それに代えて、彼は、ベネズエラに適した、ベネズエラのための、
ベネズエラの需要を満たす経済モデルを発展させようしています。

ゴールは、国民の経済主権national economic sovereigntyを創造することです。
チャベスによれば、ボリバルの時代には闘争は政治的独立のためでしたが、
今日の世代は、経済的独立をなし遂げなくてはなりません。

具体的な言い方では、これは、石油への依存を打ち破り、
国民経済の収入源を多様化することです。
石油の発見以後、衰退した農業を回復し、
食料の安定供給を実現することです。
(ベネズエラは、消費する食料の大部分を輸入しています。
ただし、食料自給率は、1998年に72%だったのが、
2006 年に64%になっています)
自給的なendogenous 発展のために五つのフロントを設定しています。
農業、工業、インフラストラクチャー、観光、サービスです。

農業を強化することは、経済的独立のための決定的要素です。
食料自給の目標が、憲法の中に書き込まれました。
(305項:
「安定した食料供給は、国内農業と家畜生産livestock production.を発展させ、
優先させることよって達成しなくてはならない」
それは、国による農村発展のサポートともに憲法に書き込まれました。
すなわち306項
「国は、農村の包括的発展、雇用の創出、
適切な福利レベルへの農村人口の確保を促進させる。
それは国民的発展の中に含まれる」

ベネズエラ経済の再組織化は、
グローバル資本主義システムの極端な不公平をいかに減ずるか、
そして、いかに地元経済を強めるかについての考えを深め、
プラウトの方向性をとっています。
農村の雇用と適切な生活水準を実現することは、
内部移住と国外への移住を減らすための不可欠の経済的要因です。


3. Cooperatives(協同組合)

「プラウトは、人民の人民による人民のためのダイナミック(動的)な経済
を提起しています。
プラウトは、経済の目標としての利潤追求profit-makingを拒否し、
消費にその経済政策の基礎をおきます。
すなわち、人民の実際の需要に応えることに経済政策の基礎をおきます。」サーカー
プラウトは、このことを実現するために、
三層の経済システムを提唱します。

資本主義の開かれた、刷新的なスピリットを保持しますが、
社会的コストと環境の低下を軽視する資本の破壊的搾取的影響を避けます。
プラウトは、小規模な私的企業を維持しますが、
私的事業は、拡張に上限を設けます。

戦略的重要性を持ち、協同組合によって経営するには、
あまりに巨大で複雑すぎる産業、
たとえば、エネルギー、鉱業、石油化学工業などは、
国有state-owned、
すなわち、国、地域、ローカルなレベルで大衆の利益において選挙された委員会
によって経営されます。

ボリバリアン革命は、その始まりから
基幹産業の国有を維持することを公約しました。
それゆえ、民営化を求める新自由主義の教義を拒否してきました。

新憲法の302項にこのことを付け加えています。
「国は、適切な有機的なorganic法律を通じて、
国民の便宜のために、国自身のものとして、
大衆の利益と戦略的性格をもつ、石油産業、その他の産業、経営、商品、サービスを保持する。」

プラウトは、これらの産業が
「利益も損失も無い “no-profit-no-loss”」原理で
経営されることを提起しています。
「これらの事業は、私的に所有されていないので、
株主や私的投機家に.配当金として支払われません。」

社会的使命social missionsに国有企業の利益を使うことによって、
政府は、無視された大部分の人々に焦点をあてて、
社会全体の利益のために国民の資源national resourcesを活用し、
プラウトのこの原理を実現します。

プラウト経済の大部分は協同組合によって構成されます。
これは経済的民主主義、疎外の減少、富のより公正な配分を保障します。
そして、本当の必要性を満たし、
すべての人々の福利well-beingを達成するために
利益profitの論理を変えることを可能にします。.

1999年にチャベスが権力についた時、
国にたった762の協同組合があっただけでした。
ボリバリアン革命のもっとも重要な目的の一つは、
このとても小さい部門を社会の重要部門にすることでした。
ボリバリアン憲法は、国が、民衆的な経済アルタナティブ(対案)として
協同組合を促進し、保護することを主張しています。

118項
「協同組合、基金貯蓄や共同基金、その他のアソシエイションのように
社会的で参加的な性質をもつアソシエインシン(連合、共同、提携)を
発展させるための労働者とコミュニティの権利が認められる。
国は、民衆的経済アルタナティブを改善するために
定められたこれらのアソシエイションを促進し、保護する。」

それは、(職業)訓練、技術的援助、適切な財政をも保障しています。
308項、
「国は、集合的所有arrangement ofcollective ownershipのもとで、
小規模、中規模の製造業、協同組合、基金貯蓄、家族経営のビジネス、
その他の労働、貯蓄savings、消費のコミュニティ・アソシエイションを保護し、促進します。
そして人民のイシニアチブにもとづいて、国の経済的発展を強化します。
(職業)訓練、技術援助、適切な財政が保障を保障します。」

けれども、協同組合特別法Special Law on Cooperative Associationsが、
制定された2001年までは重要な変化はおきませんでした。

2003年に銀行ローンが、
民衆経済省the Ministry of Popular Economy (MINEP)によって
提供されました。
この展開とともに、新しく登録された協同組合の数は、劇的に増加しました。.
2006年に15万に達し、どの国においても最大の数になりました。

協同組合を促進し、強化するため、
そして自給的発展endogenous developmentの基盤を生み出すために,
2004年1月に、政府は、一年間の長期の職業訓練プログラムである
ミッション・ヴァルヴァン・カラスMission Vuelvan Carasに着手しました。
参加者は、たいてい他の教育ミッションからやってきていますが、
特別の技術訓練を受けます。
そして大多数の人は、卒業した時に協同組合を作ります。」

4. 参加民主主義Participatory democracy

チャベス体制のもっとも重要な達成の一つは、
政治的決定プロセスに人民peopleを含めてきたことです。

それは1999年の新憲法で始まりました。
新憲法にすべきかどうか国民投票が行われ、
そして立憲議会のための選挙が行われました。
憲法の記述は広範囲の諮問consultationがなされ、,
そして最終的な草案の可否について、
さらに国民投票が行われました。

ボリバリアン革命が非常にカリスマ的リーダーにもとづいている時、
その時からずっと、チャベスは人々(people人民)に
権力を取るように絶えず呼びかけてきました。
彼の呼びかけを心に受け止め、
地方行政と市民は、密接な協力を始めました。
市民は、委員会committeesをつくり、
予算について自分たちの意見を表明し、
しなくてはならない課題を決定などしました。

プロセスのもう一つの部分は、
新しいコミューン評議会(自治体議会communal councils)の設立です。
(それは、都市では、200-400家族、
そして農村地域では 20-50 家族からなります)
それは、その地域の事柄を扱います。
それは、カラカスのスラムでも
上流階級のアルタミラ地区でも盛んになりました。

このモデルは、市民による草の根の組織化を必要としています。
今日、参加は驚くほど強化されていますが、
懐疑的な人は、同じ熱情が
イラン革命、キューバ革命、スペイン革命でも見られ、
後に消えてしまったと警告します。

それと対照的に、プラウトは、代議制民主主義により
説明責任をもたせることに焦点をおきます。
これを実現するために、
プラウトは、選挙のマニフェスト(公約)を法的契約とみなすべきだと主張します。
立候補者はそれに署名します。
そして、もし当選して、その公約を破ったら、
法廷でその行為について答えなくてはなりません。
その司法プロセスは、
公務 officeから除名させて終わることができます。

ボリバリアン憲法は、そのような選挙された公務員を
公式に評価するプロセスを含んでいません。
しかし、72項は彼らを除名することを可能にしています。
これは、任期の後ろ半分の期間にたった一度だけ手をつけることができます。
もし、その人を選出したのと同じか、
それ以上の人数が、リコールに賛成票を投じたら、
その人 the officialは公務から外されます。
この可能性は、選挙された公務員により説明責任をもたせます。
間接的に彼らがより投票者に忠実であるように強います。

もっともよく知られたベネズエラ民主主義の行使は、
2004年のチャベス大統領自身に対する国民投票です。
それは、実際には彼に対する大衆の信任を強めました。

そして(大衆の)熱情が高まったり、低下したりすることを予想して、
プラウトは、人々が、協同組合を通じてする決定に
参加することを奨励します。
そして、そして大衆の経済的利益に応じて
自分たちのコミニュティの経済的未来を決定するように導きます。

この変容の種子は、ベネズエラにも現れてきました。
チャベスによって激励された労働者たちは、
ほぼ1200の工場やビジネスを、所有者たちが閉鎖した後、占拠しました。
2002年のゼネラル・ストライキの日々に、
多くの場所でボスからロックアウトされた労働者たちは、
ロックを破って、自分たちの職場に入り、
そして経営者なしに運営することができました。

ある国有企業においては、
労働者協同経営worker co-management も、現れました。
たとえば、アラカサ・アルミニウム工場では、
労働者たちは、自分たちの経営者managersを自分たち自身で、
自由に選出でき、決定過程にも参加できました。

けれども、これらのケースは、国有セクターにおいても、
なおも例外的です。
幅広い再編成の一部分というよりも、
むしろ大きな期待を育む実験のようなものです。



(3)展望Perspectives

ベネズエラでおきていることは、
チャベスの使っている「革命」という言葉にもかかわらず、
資源(資産resources)のゆっくりとした再編成であり、
経済的参加、政治参加のための新しい場の始まりです。

ボリバリアン革命が始まったとき、
42.8%の家族が貧困ライン以下でした。
2005年の後半までに、
この率は、37.9%に減少しました。
この数字は、ベネズエラ国民統計局が
現金収入について計算したものです。

それゆえ、貧困者の全般的な生活の質QOLを向上させる
ミッション missions の効果については示されていません。

しかし、これらのすべての達成にもかかわらず、
ベネズエラ社会は、なおも広範に広がっている
貧困とひどい不平等の特徴をもっています。

協同組合ブームにもかかわらず、
ベネズエラの労働力のたった6%が協同組合で働いているだけです。
さらに、新しい協同組合のいくつかは活動していません。

いくつかは、政府の銀行ローンを受けるためにだけ設立されました。
このことは、そして国における協同組合経験の不足は、
協同組合がベネズエラ経済を支配するところから
遠くにあるいうことを示しています。

私たちがこれまでに見てきたものは、
21世紀の新しい社会主義、すなわちプラウトの経済民主主義の創造
を目撃しているのではなく、
代替経済システムalternative economic system.の実験室のようなものです。

その上、資本主義構造 capitalist structuresは、
ベネズエラでは、手をつけられていません。
チャベスは、彼のキューバの友人のフィデル・カストロと違って、
ブルジョアジーから何もとりあげず、
ベネズエラは、新自由主義ではないにしても、
なおも資本家の国capitalist countryです。

カラカスの通りを歩きながら、
あなたは、どこにでもあるのと同じ多国籍企業、
同じファースト・フードのレストラン、
同じショッピング・モールを見ます。
国の経済はなおも私的資本によって運営されています。

プラウトの自給的地域の見地からすると、
ベネズエラは、経済的依存を減らし、
自給実現に努力しています。.

全体として、ベネズエラは、
経済的不平等、石油価格への依存、
食料輸入、都市への人口集中率が88%、
教育の欠如など、プラウトから見て
非常に悪い事態から出発しました。

この状態から、ベネズエラは、
定義されていないゴールに向かって
ゆっくりと前進しつつあります。

しかし、これまでに取られてきた措置は、
半世紀前になされたインドの思想家のプラウトと呼ばれるビジョン
と驚くほどの一致があります。


日本語で、サーカーのプラウト思想をより正確に理解するには
『サーカーの思想1 進歩的活用理論 -資本主義とナショナリズムを超えて-』(ナチュラルスピリット)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4931449735
を推薦いたします。


翻訳ベネズエラ革命とプラウト(前半)

2008-09-20 21:15:46 | Weblog
(翻訳)ベネズエラ革命とプラウト
http://www.upyf.org/index.php?q=node/6
Is Venezuela heading towards Prout?
アンディ・マリナルコAndy Malinalco


今日、より公平で、持続可能で、
個人の安全と自由を保障する人間社会の創造のために闘っている
無数の運動と闘争があります。
これらの運動と闘争の中で、
数多くの進歩的な世界中の人びとが、
社会的現実を変える最大の可能性をもったものとして
ベネズエラのボリバリアン革命を見ていることでしょう。

プラウト (進歩的活用理論Progressive Utilization Theory)は
社会的正義の世界を生み出し、
資本主義にとってかわるようなホリスティックな視野をもった社会経済理論です。

それはインドのスピリチュアリティ哲学の指導者の
サーカー Prabhat Ranjan Sarkar (1921-1990)によって
1959年に考えられたものです。
プラウトは、新自由主義政策のような厳格な経済教義ではありません。
所与のどのような事態の必要にも適用できる諸原理の集合です。
それは、搾取と支配のすべての形態に反対するモデルです。
そして最終的に資本主義的経済発展を拒否するものです。
かわりに、プラウトは、社会経済生活の指導原理として
経済民主主義゛非集権化、参加民主主義、
地域自治、自給、すべての生命の福利
を提唱します。


ボリバリアン革命はほとんど試行錯誤の中で進んでいますが、
プラウトは、概念的に明確で、
一貫性のある(コヒーレントな)ビジョンです。
それは、現在まで、様々の国の
わずかな地域コミュニティで実施されただけでした。
この小論は、ボリバリアン(革命の)プロセスと
プラウトを比較するものです。
この比較から、ベネズエラがプラウトの基本原則のいくつかに
むかって進んでいると結論づけることができます。.


(1)道は闘争を通じてもたらされる(The path leads through conflicts)

ベネズエラのボリバリアン的変容は、
1998年にヒューゴ・チャベスの選挙勝利で、
国民的規模で始まりました。
そにれは、明確に定義されたドクトリンはありませんでした。
それは、新自由主義的世界秩序に反対する
今日の潮流のいくつかに思えました。
(たとえば、ザパティストthe Zapatistas,
世界社会フォーラムthe World Social Forum,
人民グローバル行動People's Global Action,
Reclaim the Streets??など.)
それらは、冷酷なベネズエラのエリートとアメリカ政府とその同盟者との
継続する闘争として描かれます。
これらの闘争は、革命的ドクトリンをもっていたわけではありませんが、
どんどんラディカルになってゆきました。

たとえば、最初に年に、チャベスは、確たる反帝国主義(の立場)に加えて、
「第三の道」「人間の顔をした資本主義」を語りました。
現在、チャベスはこれを反資本主義の言い方に変えています。
2005年の当初から、彼は、ベネズエラの方向として
「21世紀の社会主義」を宣伝しています。
これによって何を意味するから彼は明確に語っていませんが。

マルクス主義の教授のミカエル・レボヴィッツMichael Lebowitz (1),は、
ボリバリアンプロセスのイデオローグの一人ですが、
最初の段階でチャベス政府の次のような経済的青写真を示しました。

新自由主義を拒否する強い国stateにし、
基幹産業をコントロールし、
協同組合を支援することによって、
インフォーマルな部門を合法的な経済にもってくる。
その間、ずっと、経済の推進力とバックボーンとして、
私的資本主義と資本主義大企業は残る。


このコンセプトは、2002-2003年のクーデターと非合法の石油ストライキの
インパクトによって変化しました。.
政府を転覆しようとするこれらの二つの企ての悪意が、
これらの企てに抵抗して自らを組織した大衆の
政治的ラディカル化をもたらしました。
そして反資本主義の言い方をするように政府を変え
そしてアルタナティブとしての連帯経済を支持させませした。

チャベス追放への反対運動によって、
チャベス追放のあらゆる企てが
逆にチャベスの立場を強めました。
そしてボリバリアン革命の新しいチャンスを開きました。
2002年に企てられたクーデターは、
軍隊の司令官を一層しただけでなく、
スラムのチャベスの支持者たちに、
もし彼らが革命を維持することを望むならば、
活動し、参加し、組織した活動がきわめて重要であることを明確にしました。
クーデターの企ては、チャベス支持派のもっとも効果的な動員となりました。

2002年から2003年にかけて
チャベス反対派と結ぶ会社所有者のゼネストは、
労働者による経営workers' managementの実際的な模範を生み出しました。
そして国家石油会社PDVSA への政府のコントロールを強めました。
その時から、石油会社PDVSAの利益は、
政府の「大衆的使命popular "missions"」の財源となりました。

2003年のストライキの日々に体験した食料危機は、
国民の食料保障の重要性への理解を生み出しました。
軍がカラカスの主要道路に店を開き、
市場の値段で基本的な食料を販売しました。
これらの店はとても人気があることがわかったので、
危機が終わった後、商業的ミッションMission Mercalの枠内で、
そのような店のチェーンが国中に広がりました。


(2)ボリバリアン革命におけるプラウトの原理

このようにボリバリアン革命は、
将来社会についての首尾一貫した(コヒーレントな)詳細な
ビジョンをもちませんが、
その連帯と集合的福利の目標は、
プラウトの目標のいくつかに対応しています。
すなわち不平等を最小化し、
国民的自立 (national self-reliance)を達成し 、
誰もが基本的な生活必需を満たすことができる
経済民主主義の条件を生み出すという目標に対応しています。

ボリバリアン革命は、そのほとんどの部分は無意識的にですが、
次の四つの領域において、
プラウトの諸原理を適用するために始まりました。

①人びとの基本的生活必需の保障、
②経済的独立と自給の促進
(endogenous development),
③協同組合をベースとした代替経済モデル、
④参加民主主義の創造

(「ベネズエラ革命とプラウト、後半」でこの四項目がベネズエラ革命で
どう前進しているのかを見てゆきます。訳者)

教育についての橋下知事と聖者サーカーの言葉

2008-09-17 21:13:58 | Weblog

(1)
今、ニュースで橋下知事が市町村長を集めて、学力テスト公開をもとめている場面がでてきて
参加した市長の多くが迎合し、一部の市長が批判意見をいっていました。

この中にユーチューブがあり、橋下知事がでて
「くそ教育委員会と言ったのではなく、正確には教育委員会のクソ野郎と言ったのです」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00140150.html
と発言しています。
「教育委員会のクソ野郎」というような品性の低レベルの人間が
どうして、教育がどうのと強制してくる資格があるでしょうか。

日本では知られていないので、聖者サーカーの教育についてのコメントをいくつか引用させてもらながら
橋下知事の姿勢と比較していただきたいと思います。


①教育政策を政治家が決定するのではなく、教育者が決定する

橋下知事は、大阪の教師を学力テストで大阪の子が日本一の点数をとらせるための
教えるマシーンにし、その自主性を奪いつつあります。
 サーカーは、教師を教えるマシーンにするのではなく
教師が教育政策を決定する権利をもつ必要があると述べます。

「給料が上がることが自動的に理想的な教師を生み出すわけではありません。
なぜなら、今日、世界中の多くの国々で
教師は自分たちが教育政策を策定する権利を持っていません。
むしろ教育政策は、一般的に政治家によって決定されます。
政治家のほとんどは教育の体験を持ちません。
もし、教師が理想的な人間を育てることに責任を持っているとするならば、
教師を教えるマシーンにするのではなく教師自身に
教育政策を策定する権利を与えなければなりません」(Education)

橋下知事は教育の改革を叫び、教育を政争の具にしています。
それは政治の教育への介入として展開しています。
現場で経験を蓄積してきた教育者が教育政策の決定権をもつべきだという
このサーカーの主張は重要だと思います。

②教師の生活の保障の必要

橋下知事は、大阪の教員の給与を全国最低に下げました。
しかし、サーカーは、教師が家計を心配することなく
教育にうちこめるように給料を保障すべきだと次のように述べています。

 「どの国でも教師の給料は、裁判所や行政府の公務員の給料より高くはないとしても、
それと同じくらいです。
過去の聖者は寺院の寄付、王からの土地、定期的な祭祀の謝礼の贈与を受け取っていました。
彼らは家族の生計を助けるために家庭教師をしにあちこちの家にゆく必要はありませんでした。
なぜなら政府が直接に世俗的な問題については責任を負ってくれていたからです」(Education)

③橋下知事は、学力テストの公開に応じない市町村には教育予算の減を脅しにしています。
しかし、サーカーは、教師は、教育の高い理想を持ちつづけ、
教師でない人々に学校の管轄内でおきる教育上の事柄に対する干渉を許してはなりませんと
橋下知事のような教育介入に断固として反対

「政府は教師に政府の社会的政治的要求を提案するかもしれません。
しかし、教師が政府の提案を受け入れるか受け入れないかは自由であるべきです。
教師は干渉を受けるべきではありません。
もちろん、教師が国民の安全や全体としての社会の善のために、政府の政策を支持するならば、その実行に積極的であるべきでしょう。・・・
しかし、教師は、政治的利益に迎合してはなりません。
教師は、教育にあたってより高い理想を持ちつづけていなければなりません。
教師でない人々に学校の管轄内でおきる教育上の事柄に対する干渉を許してはなりません」(Education)


④橋下知事は、教育委員会をクソ野郎とよび、自分の僕としてコントロールしています。

そもそも、教育委員会の選出の仕方については、知事に屈する弱点があります。
 サーカーは、政と財の干渉から教師は自由であるべきであり、
教育政策、教育にかかわる一切は有能な教師からなる委員会が運営すべきだと考えます。

「教育政策の枠組み、教育制度のコントロール、教育に関する一切の活動は、
有能な教師からなる委員会で運営されるべきです。
この委員会は、十分な自由とその義務を実行する権威を享受すべきです。
教育はすべての政治的干渉から自由でなくてはなりません」(Education)

 このようにサーカーは、繰り返し、政治権力、財の力、
政治団体や社会運動による教育への介入、支配をきびしく批判します。
 教育者でない人を含む教育委員会は、含んでいますが、
私は。サーカーのいうように経験ある教師に教育にかかわる一切の決定権をあたえることが必要だと思っています。
しかし、現状のあり方からしても橋下知事の独裁欲は社会風潮としてとても危険に私の目には見えます。


⑤橋下知事の学力観は
、自分がテストできた人間で、そこにのみプライドがあるためか、
非常に卑小な人間観が見えます。
教育は友だちと強調してものごとを進めてゆくなど
社会の一員としての不可欠の資質をつけねばなりません。

 サーカーの教育論は、道徳性(徳育)も重視します。
、サーカーの徳育は、特定の集団への帰属意識であるナショナリズムではなく、
普遍主義と結びつけられます。
すべての人類、生命、天地万物への愛と共感を育てる教育です。
この普遍主義と結びつけられた道徳教育こそが現在求められているものです。

「私たちの教育システムでは、モラル教育と理想主義を教えることを強調します。
哲学と伝統だけでなく道徳性の実践はすべてのレベルの教育課程でもっとも大切な主題です。
それと同時に普遍主義の感覚を子供に目覚めさせる必要があります。
エチケットと上品な行いだけでは十分ではありません。
真の教育は、天地万物への愛と共感を育くむ方向に導くものでなくてはりません」(Some Educational Policies)

橋下知事の学力テスト公開の押しつけは、「天地万物への愛と共感を育くむ方向に導く」教育の方向ではありません。
人間をテストという矮小なものさしではかろうとするものです。

⑥無料であるべき教育費
橋下知事は、私学助成を減らしたり、教育費用をアップさせる方向です。
サーカーは教育費は、水と光のように無料であるべきだと考えています。

「教育のある人とない人を区別する架空のラインをなくし、
不合理な区別を取り払うために
人間の尊厳が認められなくてはなりません。
世俗的知識と精神的知識は光や空気と同じように
無料でなくてはなりません。
」(Social Justice)

さらに過去の聖者の生徒が衣食住まで公金から保障されていたことを評価します。
「過去の聖者は寺院の寄付、王からの土地と定期的な祭祀の謝礼の贈与を受け取っていました。・・・
そのような聖者は彼らの生徒(弟子)たちに衣食を与えていました。
その為のお金は公金や崇敬する人々の寄付でまかなっていました」(Education)

 そして高等教育についても、
才能ある学生が研究活動を生活苦から研究をつづけることができない場合は
政府が財政援助をすべきだと述べています。
 「有能な学生が、もし、貧しければ、特別な便宜が提供されるべきです。
高等教育の後、才能ある学生は、政府の財政的援助のもとに研究活動をする機会を得るべきです」(Some Educational Policies)

⑦知識を得て、権利意識を発達させる教育を妨害する橋下知事

橋下知事の推進する学力テストアップに全力をそそぐ教育は、
身についた知識を得て、権利意識と連帯意識を育みません。

サーカーは、知識を教える教育は、生活のあらゆる領域で権利意識を普及させることを担うべきだと考えます。っ
「既得権を持つ人々は人間の無知を利用してきました。
そして社会のあらゆる領域すなわち社会的、経済的、心理的、精神的領域を深く支配してきました。
彼らは人間の全活力を吸い尽くしたいと思っています。
 既得権を持つ人々は無知な人々が知恵の光明を見いだすことを望んでいません。・・・
迷信にとわれた人が独断的な信仰から解放されることを望んでいません。
人類が精神的知識を得、科学を完全に理解し、
光輝く世界に向かって進歩する機会を得ることを望んでいません」(Social Justice)

⑧自分たちの利益の観点からのみ見て
底辺層の人々をさらに悪化させる橋下知事の方向

足の早い人間と遅い人間がいるように、
覚えの遅い人間と早い人間がいます。
遅い人間も後でゴールにつくように
覚えの遅い人間は学力テストを時間内にとけません。
橋下知事は、たとえば、家族5人が6畳の間に生活し
学習環境劣悪な子が大阪の大都市に多いことを
無視しています。
学力テスト公開で競争をあおり、
教師の目を学力テストでいい点をとらせることに
集中するならば゛
覚えの遅い子や劣悪な環境にいる子は
おいてきぼりにされてしまいます。

 サーカーは、社会の様々の集団が
自分たちの利益のためにだけ社会問題にアプローチし、
社会の底辺層の問題の解決のためには尽力していないと次のように論じています。

 「まだ人間は社会を悩ます現実の病弊の方を見ていません。
様々の職業集団が、単に個人やグループの利益のために団体を作ります。
結果として彼らはすべての社会問題を自分たちの利益の観点から解決しようとします。
そして彼らは社会の底辺層の人々の問題の解決の援助はしません。
人々を社会のトップから引きずりおろすために
費やされるエネルギーの一パーセントすら、
底辺の人々を高めるために使われません。
これは大きな悲劇です」(Social Justice)

新自由主義的改革で「勝ち組、負け組」「強いものが生き残る」
という資本主義の論理がむき出しになりつつあります。
経済だけでなく教育にもその流れが及んできています。

公立小学校も学区をはずして自由に競争させるという動きが強まっています。
富裕層は授業料の高い私学へ子どもを行かせ、
底辺層の人々の子どもを公立小学校に集中させ、
隔離することで、自分たちの子どもを安心して学ばせます。

このような動きの背景にはいじめにあわず、
学力もつけてやりたいという富裕層の保護者の当然の願いがあります。
しかし、この方向は「教育問題を自分たちの利益の観点から解決しよう」というものです。

 教育問題についても社会の底辺層の人々をモ
ラルと精神性まで含めて全体的に高める援助の中で取り組む必要があります。
各地域の教育行政の中心にある人々は何人トップの大学に合格させたかだけでなく、
底辺層の全般的向上のために教育において何ができるか真剣に考えなくてはなりません。 

サーカーは言います。
「私たちの集合体の中でただの一人も、
軽視されたり、無視されたりする人がいないように常に注意深くあらねばなりません。
ただの一人の少年も少女も自分に関心をもっている人がいないと感じることのないようにすべきです。
ただの一人も『私が食べ物を得るか得ないか誰も心配しない』と考えることのないようにしましょう。
あなたは特にこのことを心に留めなくてはなりません」(Genius and Technician)


ユニヴァーサルジャパン
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/
吉見道夫