ユニヴァーサル・ジャパンHP記事

市民社会フォーラムに投稿した記事を主として掲載してゆきます

農業協同組合についてサーカーの言葉

2008-10-31 20:47:04 | Weblog
資料1  

「協同組合の経営者は協同組合の共同所有者の中から選出されるべきです。

農業協同組合のメンバーは、二つの方法で分配を受けます。
一つは協同組合に提供している土地の大きさに応じてであり、
もう一つは彼らが肉体労働もしくは知的労働での生産に寄与に応じてです。

この分配を支払うにためにまず最初に生産物全体が50対50に二分されます。
50パーセントは賃金として分配されます。
そして50パーセントは、彼らが提供した土地の大きさに比例する持ち株所有に応じて支払われます。

地域の人々が最初に協同組合企業に参加する優先権を得るべきです。

 開発計画は、特定の地域に対してではなく、
すべての地域に平等な発展をもたらすようになされるべきです。

その地域の富やその他の資源や潜在能力をこの開発計画に活かすべきです。
 土地の所有についての議論のある問題は、
農業協同組合を通じて段階をおった社会化によって解決することができます。

協同組合の土地所有は、地域の経済環境と調整しつつ一歩一歩実施するべきです。
この過程において土地の所有権は特定の個人や集団の手にあるべきではありません。」

  

資料2

 「協同組合的な土地経営を導入する計画には段階があるべきです。

最初の段階においては、
すべての非経済的な土地保有地が経済的保有地になるように
協同組合制度に加わることを要請します。
(非経済的土地というのは、生産性の低いか、わずかな土地しかなくて
家族経営として自立してやってゆけない土地のこと=吉見)

この段階では、協同組合は非経済的な保有地を経済的にするために
土地を一つに合併させた人々からだけから成ります。
私的な所有は認められます。

たとえば、一人の人が1エーカーを所有するかもしれません。
別の人は2エーカー、また別の人は3エーカーをその協同組合の中で所有するかもしれません。

協同組合のメーンバーは協同組合に提供した 土地の割合で
全体の生産物にもとづく配当が与えられます。
個々人は所有地の権利証書を保持しますが、
農業活動は協同的に行われます。
したがって活用されていない境界線の土地が耕作されるようになります。
・・・

 計画の第一段階では、生産的な経済的保有地の所有者を
協同組合に加入するように説得する必要はありません。
しかし、もし、経済的保有地が小区画に分散しているなら、
一つの所有地に合併整理するべきです。
あるいは、小さく分散した非経済的な小区画は、協同組合の経営に加わるべきでしょう。


 第二段階では、すべての人が協同組合システムに参加することを促進すべきです。

 第三段階では、土地の合理的分配と所有権の再確定をすべきです。
この新しいシステムにおいては二つの要素が土地の合理的分配を決定するでしょう。
家族の生活を維持するのに必要な最低限の土地所有と土地を活用する農民の能力です。


 第四段階においては土地の所有権をめぐる紛争はないでしょう。
心理的拡大に適した環境が存在するでしょう。
人々は、自分の小さな利己的な利益よりも
集団の福利を考えることを身につけているからです。

 そのような変化は一夜では実現しません。
もし、内的な衝動と外的な圧力による適切な心理的な準備が、
時間の要素を考慮してなされていないなら、
人々はこのシステムを決して受け入れないでしょう。
強制的に人々に押しつけるべきではありません。

 ソ連の指導者たちは、集団の心理に無知でした。
だから彼らは力によって集団農場を押しつけようとしました。
これは深刻な飢餓 と大規模な国内の不穏を生み出しました。

これらの問題を処理しようとして政府は、心理的方策でなく野蛮な武力に訴えました。

そして結果として、彼らは多くの人々を力で抑えました。
サドビプラは決してある国 の精神に敵対した歩みを進め、
荒廃を引き起こすことはありません。

 多くの人々が協同組合に関して疑問を抱いています。
なぜなら、ほとんどの国で協同組合制度は失敗したからです。
時代遅れになった例をもとに協同組合制度を批判することは不適切です。
それらの国々は協同組合制度の成功のために必須の前提条件を発展させることができなかったのです。

協同組合の成功は三つの主な要素に依存しています。
それは、道徳性、強力な監督supervision 、大衆の心からの受容 です。
これらの三つの要素がはっきり表れているところは
どこでも協同組合は相応の成功を実現してきました。」

大多数の合意で資本主義を超える民主主義経済をめざそう

2008-10-31 20:45:23 | Weblog
大多数の合意で資本主義を超える民主主義経済をめざそう

「人民の人民による人民のための動的経済」
すなわち民主主義経済こそ、
資本主義を超える未来だと論じてきました。

(1)
経営形態は、
(1)小規模な私的経営
(2)協同組合
(3)国や自治体による経営
であり、
現代の中央の少数者に決定権のある資本主義企業から、
社員の合意と納得のもとに勧められる民主的経営になります。

橋下知事が
「会社の社長の言うことをきかないものは首であるように
府民から選ばれた知事の言うことをきかない教員は首だ」
という暴言を吐きました。
この背景には、
資本主義経営が少数の会社幹部による
非民主的専制支配の仕組みを
もっていることがあります。

(協同組合経営の民主主義企業では
経営者も一人の対等な社員(組合員)であり、
社員(組合員)によって下から民主的選出されます)

サーカーのプラウトの原理は、16項目をサンスクリット語で語り
その後で説明をしています。
会社(協同組合)の利益の配分は、全社員(組合員)合意で民主的に
決めるべき根拠は、次の文章にあります。


「12,Sama'ja'deshena vina' dhanasaincayah akartavyah
「集合団体の明白な承認もしくは許可なしには、
いかるなる物質的富の蓄積を誰も許されません」

趣旨
万物はすべての人の共同の的財産です。
すべての人は用益権を持っています。
しかし誰一人としてこの共同の財産を誤用する権利を持っていません。
もし、一人の人間が過度の富を手に入れたり、蓄えたりすれば、
その人は社会の中の他の人の幸福や便利さを直接削減したことになります。
このような行為はまぎれもなく反社会的です。
それ故、誰一人として社会の了解なしに富を蓄える事は許されません。」
(ここまでサーカーの言葉)

社員(組合員)の合意で企業が運営されてゆきますから
社員(組合員)の首切りを容易にできる雰囲気がなくなるでしょう。
「次の職場を見つけるまでは解雇できない」
という決まりができるでしょう。

(2)
このビジョンは、経営の才能ある資本家には
合意してもらえます。
民主的な協同組合企業において、
経営者としての才覚が発揮できるからです。

経営者としての才覚に自信がなく
自分の貪欲で既得権益にしがみつきたい
極端に富裕な資本家の抵抗が予想されます。

多くの良心的な資本家には
合意してもらえるビジョンだと思うのです。

下部小地域から立ち上る下からの計画経済

2008-10-31 20:42:57 | Weblog
下部小地域から立ち上る下からの計画経済

(1)
分権経済decentralized economyの原則によって
それぞれの小地域(小学校区大)の
小地域社会経済委員会が、短期の地域経済開発計画を立案し
住民総会によって議論され、決定されます。
それが小地域の代表からなる中地域の社会経済委員会によって
調整され、中期の地域経済開発計画としてまとめられます。
さらに中地域の代表者が、大地域の・・・
というふうに計画が調整されながら
下から立ち上ってゆきます。
中央政府はその民主的決定過程をサポートしてゆきます。
可能なかぎり農工商のバランスのとれた局地再生産圏を
めざし、衣食住教育医療(+エネルギー)の生活必需を
その地域で自給できるようにしてゆきます。

(2)
スターリン以来の上からの何カ年計画経済という
国家社会主義(=国家資本主義)によって
計画経済は悪名高きものとなりました。
他方、グローバル自由市場に調整させるという
市場とお金の崇拝者たちの論が今破綻しつつあります。

私たちは、上記のような
地域を限定した市場にもとづく
下からの計画経済を提起します。
インターネットの情報網の発達によって、
それが可能な段階になっていると考えます。

小地域の社会経済委員会は、
中、大、大地域の社会経済委員会の情報全体を
瞬時に入手し、それをもとに判断できます。

自分の地域の需要、他地域の需要の情報もって
生産計画を立てることができます。
生産の伸びに応じて、最低賃金をあげてゆき
需要とのバランスをはかってゆきます。

(3)
これはコスモスの原理にかなっています。
科学研究の発展は、「部分」は、部分の情報しか
持っていないのではなく、
「部分」は「全体」の情報をもっていて
適切な活動を自主的におこなっていることを
明らかにしました。

各細胞の遺伝子には、全体の情報が組み込まれていますが
これは静止的イメージですが、
それぞれの瞬間に細胞が全体情報を把握して動的な均衡を
作り出しています。

アメリカの細胞学者オシュマンによれば、
エネルギーは波であり、
その周波数が情報を持っています。

人体の個々の細胞や臓器が、エネルギー情報を人体全体に
発することによって、人体全体の各部分は
瞬時に必要な活動をしてゆきます。

「部分」は「全体」の情報を瞬時に入手して
バランスのとれた必要な活動をしているのです。

「部分」が「全体」の情報をもっていることを
ホログラムと言います。

「カール・プリブラムに代表される現代生物学者たちは,、
私たちの脳も、またホログラム的に働いていること
を理論づけています。
すなわち、脳がからだ全体から送られてくる
感覚的な印象を組み立てて伝達することにより
各部分が全体を再構築できるというのです。」
謝明徳『タオ人間医学』339ページ

インターネットによる情報革命によって
下部の小地域経済委員会は、全体情報を理解しながら
地域の計画を判断してゆくことができます。

これはコスモスの存在原理に合致しています。

人類を救うことはあなた方の使命です  サーカーの言葉

2008-10-31 20:36:30 | Weblog
「人類を救う」という短いサーカーのスピーチから

賢明な人々は、
過去、人間社会に
数多くの危機があった
と言います。
危機は、動いている存在にとっては
まったく自然なことです。
運動が、あるかぎり、そこには闘争があります。
不活性inertiaに対する闘争です。

過去に運動の過程で危機がありました。
それは、文明の様々な分岐での危機でした。

しかし、今日、全人類社会は
全体としての文明の危機に直面しています。
とくに、生存の領域における危機です。
人類社会は、今、生きるか、死ぬかを
決めなくてなりません。

もし、中傷と泥仕合と不寛容が助長されたら
人類に未来はありません。
未来は暗黒であり、
未来は永遠に封じられます。

しかし、私はペシミストでありません。
常にオプティミストです。
すべての人がオプティミストであってほしいと思います。
私は、すべての人に、
人類のこの死の兆候と闘ってほしいと思っています。
・・・
あなた方の本分dutyは人類を救うことです。・・・

あなた方のように、すぐれた人、良い人は
数において多くはないことを知るべきです。
何百万人、何億人はいません。
常に少数者です。
この少数者が、人類社会の先駆者です。
人類社会のパイオニアです。
人類社会の前衛です。

あなた方の本分は人類を救うことです。
自分の背にその荷物を背負うことができない人々
その荷物は、あなた方によって担われます。
あなた方、スピリチュアリスト(spiritual aspirant)の
人生は使命missionであることを覚えておくべきです。
その人の全人生が使命です。
その人の全存在が使命です。

あなたの使命は何でしょう。
この危機から人類を救うことです。
私はあなた方が成功することを期待しています。
期待だけではなく
私はあなた方が成功することを確信しています。


コメント
これは1979年にフランクフルトでなされたスピーチですが
人類史的に見るサーカーですから、
現在の金融恐慌に始まる世界経済の危機も含んでいる
と私は思います。
サーカーのヨガの弟子になされたスピーチですが
弟子がテープにとって記録し、
広めると考えていましたから
ヨガ集団とはかかわりない
私たちにも向けられた
メッセージとも考えられます。

人類社会の経済的ガン細胞に規制が必要

2008-10-31 20:32:09 | Weblog
(1)
その地域の人々の需要のために生産し、流通させている
その地域の事業者を優先するという原則が必要です。
その地域の外部の事業者は、
その地域の人々の福利に責任がありません。

農産物に例をとるとわかりやすいです。

次第に人々が事態の本質に気づきはじめているのでしょうか。
鹿児島県の「ど田舎で企業した社長」さんが次のように書いています。
http://yumeyuuki21.blog.shinobi.jp/Entry/93/
「モンサント社やカーギル社など、
一握りのアメリカ多国籍巨大アグリビジネス企業が、種子を独占支配し、
世界の農業や食料市場を支配下に置いて、
私企業の利潤追求の道具にしていることが、
日本の酪農、畜産農家の経営を直撃している。」

また
地域外部の事業者が、フィリピンでバナナを栽培させて
フィリピンの人々のための生産ではないケースは
わかりやすいです。
http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/Tainichi/data/agribusiness.html


地域の外と自由競争させるのが間違いであり
その地域の需要を満たした残りの部分を
外部に出すことができるという原則は
このような巨大企業に対する国際的な規制として
しか実現しないと思います。
それには各国でヴァイシャ(富裕者)支配に対して
闘うマインドをもった勢力が政権につく必要があります。

(2)
小地域、中地域、大地域、大大地域は
原子、分子、細胞、臓器、・・・
にあたります。
各レベルで構成要素は自由に活動しながら
高次の単位を形成するのが
このコスモスの自然のありようです。

レゴのおもちゃで、単位ユニットをつくります。
そのユニットを組み合わせて、複合ユニットをつくります。
複合ユニットを組み合わせて、複複合ユニットをつくります。

このように世界を組織する時、
貪欲な反人類的な多国籍企業の活動を規制することができます。

ガンとは、異常に肥大化した細胞だそうです。
正常細胞を圧迫します。
正常な生命活動をさまたげることになります。

多国籍企業は人類経済のガン細胞に
なっているのだと思います。

そうした立場から、多国籍企業の活動、
富裕者の天井知らずの蓄財に規制をかけ
ガン細胞を正常細胞にすることのできる政権が
出現してくることを期待しています。

でないと人類社会はもっと苦しむことになります。

日本農業復活は急務、「原料の生産地に加工工場を」 農村地域復活へ

2008-10-31 20:27:32 | Weblog
(1)
生活必需、すなわち衣食住教育医療(+エネルギー)の自給は、
世界のすべての地域で追求すべきでテーマだと思います。
その地域の人口全体の必要量を超えた部分だけが
他の地域に輸出できるという原則が。
今の新自由主義政策に抗して打ち立てられたらいいなあと
思います。

NHKスペシャルの食料危機の1回目の題が
「アメリカだよりの食が破綻する」でした。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081017.html
「今年、世界各地で同時多発的に食糧危機が起きている。
危機は貧困層だけでなく中間層まで広がっている。
日本でも食品の値上げが相次ぎ、
えさ代の高騰で畜産業などには深刻な影響が出ている。
なぜこんなことになったのか。
その実態と原因を見ていくと、
戦後世界に広がった
『アメリカ中心の食糧供給システム』が
破綻の危機にあることに行き当たる。」

出演した東大の○○教授が語っていました。
「命の前提というべき食べ物の自給追求を日本は
本気で実現しなくてはなりません。
もう、一刻の猶予も許されない時点にきている」と

NHKスペシャルの食料危機の2回目
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081019.html
の最後の方だけ見たのですが
食料危機の打開の道についての
最後のまとめは希望をもたせてくれました。
飼料用米と米から作るパンや菓子を紹介していました。

http://www.town.yuza.yamagata.jp/Files/1/3616/html/index.html
減反政策で稲作をやめた田んぼで新品種の飼料用米を栽培すれば、
畜産の飼料が100%自給できると
どっかの大学教授が言っていました。

そして、最近では
http://www.arif.pref.akita.jp/pdf/1709komeko.pdf
米の製粉技術が発達したのでパンやシュークリームや菓子などの
米を原料とした様々な食品を作ることができるようになっています。。

これは米の国内需要を増やす大きな可能性をもってます。
日本の米を使って生活維持のための食料の自給率の100%
実現も可能と受け取りました。

(2)
稲作の復活だけなく、日本の地方農村地域の経済復興に
サーカーの提唱する
「原料生産地で加工工場を作り、
完成商品を他地域に出すという」原則
は、重要だと思います。
それぞれの地域の加工工場を作るのです。
米を製粉し、パンや菓子を作る工場での雇用を産むからです。
そして地域の商業も発達します。
すなわち日本の地方における農業、工業、商業の復活につながります。


またサーカーは
米を原料にパンに加工したりする工業を
「農業後工業」と呼び
米づくりのために必要な肥料や道具を作る工業を
「農業前工業」
と呼びます。
農業前工業も地域に設立してゆくべきです。

昔は、肥料は山の木や草を取ってきて、牛小屋で踏ませ
鍬や鎌などの道具は村の鍛冶屋さんが作っていました。

農業後工業、農業前工業の復活も、
地域産業優先の原理によって、
地域外の企業が地域で活動することに
規制をかけるなら可能です。

今日の地方の衰退は富裕者がさらに肥え太る
新自由主義の規制緩和政策の産物にほかなりません。



局地再生産圏とサーカーとレーニン

2008-10-31 20:20:57 | Weblog
資料用稲作の推進のHPに「循環型農業」
http://www.town.yuza.yamagata.jp/Files/1/3616/html/recycling_farm.html
とありましたが、
私はこの人々の「地域循環」の方向を
「地域循環型農業工業商業」すなわち
「局地的再生産圏」の探求の立場から
さらに発展させてほしいと思います。

地方の復活のためには
その地域の産物と地域の原料で生産された商品を
その地域の人々が購入する方策が
必要なことを述べた部分のサーカーのスピーチです。

「地方分権経済の第五の原則は、
その地域外で生産された商品は、
地域市場から取り除くべきことです。
地方分権経済は地域産業を発達させ、
地域の人々の雇用を創出することを
目的にしていますから、
その地域内で生産されていない商品は、
可能なかぎり地域市場から追放す べきです。

その地域の人々が、
地域経済の繁栄を確保するために
自分の地域で生産された商品を活用することは、
必要不可欠なことです。
はじめのうちは地域の商品は、
外部の商品より劣っており、コストがかかったり、
入手しにくかったりするかもしれません。
それにもかかわらず、
地域の人々は、地域で生産された商品を用いるべきです。
もし、地域の商品が人々の必要と願望を満たさないなら、
すぐに質を向上させ、値段を下げ、
地域の商品の供給を増加させる措置をとらなくてはなりません。
さもないと不法な輸入を促進することになります。
 地方分権経済において、
この原則の適用は非常に重要です。
もし、それを怠るならば、
その地域の産業は次第に閉鎖となり、
地域市場はその地域の人々の手から離れ、
失業者は増大します。
いったん、地元で生産された商品が
原則として引き受けられるならば、
その地域の産業が生き残るだけでなく、
その将来の発達によって経済は繁栄してゆくでしょう。
地方の地域からの資本の流出は阻止されるでしょう。

そして資本がその地域に留まるので、
生産を増大させるために活用され、
地方の人々の繁栄度を高めるでしょう。
地元の商品への増大する需要とともに、
大規模、中規模、小規模工業すべてが繁栄するでしょう。」

ロシア革命前にレーニンはロシアの農業発展を分析して
プロシャ型発展とアメリカ型発展の二つの道を分析し
レーニンは農業のアメリカ型の発展の道を探求したと
私は理解しています。

プロシャ(ドイツ)型は、農奴支配の地主がそのまま
営利追求のために生産物を外部に輸出してもうける資本家型に
進化する道だと理解しています。
(黒百人組オクチャプリスト的資本主義)

もう一つのアメリカ型の道が農民・小生者大衆の内部から
自生的に形成されてくる資本主義
(ナロードニキ的・民主主義的資本主義)

ネップというのは、ロシア革命前に発生していた
アメリカ型民主主義的資本主義へのレーニンの探求の開始
ではなかったかと思うのです。
これはサーカーのプラウトが提起する人民が決定権をもつ
下から積み上げる民主主義的計画経済
の実施しか実現の道はありませんでした。

レーニンは志半ばで倒れます。
スターリンの農民強制集団化は
「農業前工業」と「農業後工業」を
になった農村クスターリ工業を破壊し、
モスクワ中央の経済決定に従う
国家資本主義の非民主主義的経済の道を進みました。

雀部幸隆著『レーニンのロシア革命像』未來社、1980年によれば゛

「こうして、ネップ下のソヴィエト・ロシアでは
『ナロードニキ的民主主義的資本主義』の再生を
導きの糸に、工・農・畜産の三者が農村内部で
相互に緊密に連携し、互いに刺激あって
力づよく発展してくる姿をみてとることができる。・・
これこそは、14~15世紀のイギリス
建国期のアメリカに照らしても
民富が広く深く形成されてくる本筋であった。・・・
この民富形成の王道・・・・
これまでの世界史の経験は結局そのことを教えている」373ページ


「歴史は、レーニンがアメリカ型とよんだ
ナロードニキ的資本主義=民主主義的資本主義が、
自然発生的には生まれず、・・『意識』性を
投入することを要請している。
この意識性は自然発生性に内在する健全な要素を
救い出し、育成するためにも必要である。
ここに過不足のない局地的再生産圏を
意識的につくりだそうとする
農工結合論の努力が生まれる所以がある」379ページ

この視点からもとのテーマを考えると
飼料用米の開発、米の加工技術の発達という条件によって
減反の田に飼料用穀物を植え
それぞれの地域に米の加工などの農業後工業、
さらには農業前工業も同時に発達させ
農村地域に「過不足のない局地的再生産圏」を生み出すことが可能になっています。

それは、村の人々の計画を上に積み上げ、
そのプロセスを中央行政が
サポートするシステムの中でこそ可能になると
私は思っています。

ソ連型社会主義(国家資本主義)もアメリカ型資本主義も
中央の人々が経済の決定権をもっています。
住民と労働者が経済決定権をもち、合意のもとで
民主的に経済をすすめてゆくシステムがベターだと思います。
経済における民主主義の徹底こそ、
私たちの進むべき道だと思うのです。


農業前工業と農業後工業についてのサーカーの言葉

2008-10-31 20:18:08 | Weblog
農業前工業と農業後工業についてのサーカーの言葉です。

「質問
農業前工業agrico-industries と
農業後工業agro-industries?の違いはどのようなものですか。
答え
農業前工業とは、収穫以前の一連の工業を表します。
農業前工業は、直接、間接に、農業生産の急速な質的量的発展を促進します。
農業後工業とは農産物を使った収穫後の工業からなります。

「農村や小さな町に農業前工業agro-industries と
農業後工業agrico-industries が
新しい雇用機会創出のために発展させられるべきです」。

 「鉄鋼工場、真鍮工業、採石業、石油精製、製塩業、非草製薬業などを
非農業工業と言いますが、
それは直接に農業前工業と農業後工業ではないものを意味します。
農業前工業とは、つるはし、斧、鍬、トラクターなど
農業に必要なものを作る工業です。
農業後工業とは、製粉工場、ジュート工業、油工業、織布工業、
製紙工業、ハーブ薬草工場など農産物を加工する工業です。
非農業工業に従事する人口の割合は、
農業と農業前後工業に直接依存する人口の割合を
減らすことによって増やされるべきです。
非農業工業に従事する人々の割合は
全体の人口の20~30%の間に維持すべきでしょう。
・ ・・
もし、非農業工業に従事する人々の割合が、
人口の20~30%の範囲に維持されたならば、
これは均衡経済の状態です。真にバランスのとれた社会経済構造です。
もし、その割合が30%を越えるならば、その地域は工業的に発展した地域になります。

この割合が30%を越えて大きくなればなるほど、
その地域はいっそう工業化します。
農業生産物を得るために、過剰に工業化した国々は、
生産的な農業地域や国々を自分の衛星地域にしようとします。
これら過剰に工業化した国々は、
自分たちの商品市場として工業的に未発達な諸国を
彼らのコントロール下におく必要性を感じます。
もし、自分たちの国で生産する消費財を売るための市場を
得ることができないならば、
経済不況と失業者の増加に苦しむことになります。」

「あらゆるタイプの農業前工業と農業後工業を
その地域の必要性と資源 に応じて発達させなくてはなりません。
そしてこれらの工業は協同組合として経営されるべきです。」



需要と供給のバランスと自給的小地域の形成

2008-10-23 11:21:44 | Weblog
(1)
サーカーは「恐慌」と「休止」という言葉で語っています。
人間に被害がない調整は、「休止」の用語で語っています。
それは、この世界にどこでもある小さなバランスの調整レベルです。

この世のすべてが拡大と縮小の運動過程の中で展開しており
歩く時、足をあげて前に出す前に、足を地につける瞬間があります。
それが「休止」であり
「休止」の瞬間というのは次の活力ある展開ために
必ず必要なものだと理解しています。

私は経済の素人なので経済のアカデミズムで
「過剰生産」がどのように定義された用語で流通しているのは
知らないのでご容赦ください。

「過剰生産」の用語を次の活力ある展開のための
微調整レベルで定義されおられます。

私の頭の中には、ラビ・バトラの『世界大恐慌』の本にある
『需要と供給』が経済理解の根幹であるというのがありました。

彼は、ほとんどの経済学者が供給サイドばかり見ている。
需要=購買力=実質賃金を見なくはならないと論じており
マクロのレベルでの「過剰生産」を見ていました。
すなわち1929年世界恐慌の原因は
需要(実質賃金)に対して供給が相対的に過剰になっている
「過剰生産恐慌」だとの理解があり
これから、資本主義世界は、
それと同じような『世界大恐慌』が来ますよー
という論だったと理解しています。

すなわち、実質賃金が横ばい(需要の横ばい)
それなのに生産が発展する(供給の増加)
したがって、需要に対する供給の相対的過剰が生じる。
この経済の深部における矛盾は、
いくら表層をとりつくろっても、最後に爆発する。
というのが、私の理解なのです。

(2)
テレビにでてくる経済学者や識者たちの語ることは
すべて「供給」の側の努力ばかりを説いています。
生産が伸びた分だけ
「需要」すなわち、どう人々の購買力を高めるかという論点を
まったく議論していないように思えます。
真理の半面だけを説くことよって(それも相対的真理ですが)
結果的に、真理の半面を人々の意識から
ドロップさせることによって
人々を奈落の底に導くことに加担してきたと思います。
と、私の目には映るのです。
需要と供給のバランス調整が
人間に被害を与えない経済システムを考える必要が
あるというのが私の問題意識の一つです。

(3)
もう一つは、
経済学者が、供給サイドのみを論じ
実質賃金の増加による購買力=需要とのバランスの
必要をドロップさせてきた世界観の中に
マクロは無限だという根本的な勘違いがあるのではないか
ということです。

水も海も大気も、無限ではないことを
私たちは思い知らされました。
地球人口は63億人であり、その人数が多くても
有限なのだということから出発すべきだと思うのです。

(4)
アルタナティブ、対案は、次のとおりです。

バランスのとれた小さい地域コミニュティ経済がある
その上に、中くらいの地域経済がある
その上に、大の地域経済がある
その上に、大大のグローバル経済がある。

まず、地球上それぞれの地域において
自分たちの標準的な生活が自立してにおくれるように
衣食住教育医療については自給できるようにする。
たとえば、生活必需の農産物は、その地域の人口分
を確保した分以上が輸出を許可される分という原則に
すべきだと思うのです。
その地域で生活必需品と定義される商品以外と
必需品であってもその地域の全員の需要を超えた分だけが
国際的な自由市場で取り引きされるという原則に
立つべきだと思うのです。

(5)
小地域においてももちろん
需要と供給のバランスは崩れます。
しかし、それは単なる調整のレベルですみ
リストラや工場閉鎖などの必要のない
範囲ですみます。
さらに
小地域の社会経済委員会が、
それぞれの地域で生産の増加に見合って
最低賃金=購買力をあげて
需要と供給のバランスを図ってゆきます。

この道は、資本主義と旧型社会主義の逆をめざすことです。
ソ連は国際分業論を説いていました。
自分の国は工業で、東ヨーロッパの地域は農業というふうに
国際分業を割り当てるのです。
それは間違っているなあと思っていました。

今の新自由主義改革から聞こえてきたのは、
洗練された巧みな言い方が違うだけで、ソ連の国際分業論と
同じでした。
日本は工業、技術立国でゆく。
競争力ある産業分野に力をいれて
農業など競争力のない産業は、つぶれてもいい。
オーストラリアや東南アジアや中国に担当してもらおう。

この道は、農産物の値上がりなどで破綻しつつあります。
地球上のそれぞれの地域をバランスのとれた自給的経済に
してゆく必要があります。

(6)
もとの「需要と供給」の論点にもどりますと
この小地域において生活必需品の
需要と供給のバランス回復は微調整レベルです。
自給的生活圏を確立しているからです。

マクロのレベルで
たとえ需要と供給のバランスがくずれても
小地域、中地域、大地域が
自給的経済圏の上に重なっていますから
世界大恐慌のようなことは生じません。
大きなレベルでの経済変動の中でも
安定した暮らしが確保されます。

しかし、今日、進んでいる新自由主義経済政策のもとでは
一部の富裕者に富が集中するばかりでなく
ある地域は農業、ある地域は工業と
国際分業があるいは国内でも分業が進むために
マクロなレベルでの変動、
(これはミクロと違って大きなスパンで波が襲ってきますが)
その時、人々の苦しみは甚大なものとなると思うのです。

大衆の実質賃金の長期低迷と生産の伸びの差に今日の苦難の遠因がある 資本主義の問題点

2008-10-23 11:12:45 | Weblog
経済は、需要と供給のバランスであるという点を
もう少し補足して論じさせていただきます。

一部

サーカーの言葉です。
「恐慌は自然現象ではありません。
休止 は自然現象です。
プラウトの構造では休止はおきますが、
恐慌はおきないでしょう。
社会を救うためにプラウトのアプローチは購買力を強化し、
生産を増大させ、
財産の価値におるけ不均衡を減少させることです。
すなわち貨幣を回転を維持することです。
空虚なスローガンではうまくゆきません。
生産の水準を向上させることに注意が向けられるべきです。」

おっしゃっている生産が需要に対して
過剰になったために生産縮小して
均衡が保たれるというのは
ここでサーカーが「休止」と述べている
自然現象における脈動の範囲に入ると思います。

しかし、資本主義は、
人々の生活を破綻させながら、
すなわち経済を破綻させながら、
深刻な内在的矛盾を抱えながら、
今日まで発展してきました。

ここでは、サーカーは
資本主義におけるような恐慌を引き起こさないための
アプローチとして「購買力の強化」と「貨幣の回転の維持」の
二つを述べています。

では恐慌は何故おきるのか。
この前に紹介したサーカーのスピーチの一部ですが
「富の集中」と「貨幣の回転の阻害」の二つが経済恐慌の原因だと述べています。
「経済恐慌には二つの主な原因があります。
一つは富の集中です。
二つ目は貨幣の回転の阻害です。
もし、資本が少数者や国家の手に集中したら、
ほとんどの人々は、一握りの搾取者によって搾取されることになるでしょう。
厳しい搾取の過程の結果として、深刻な爆発がおきるでしょう。
この爆発は経済の世界においては恐慌として知られています。
富の集中、とくに富の価値の集中が、恐慌の根本的な原因です。
第二に、個人や国家の所有する貨幣が回転をやめる時に恐慌がおきます。」

「富の集中」は、現在は次のようにあらわれています。
破綻したリーマン・ブラザーズの最高経営責任者の
ファルド氏のこの7年間の収入は、487億円でした。
一年間にぼぼ69億円、月にすると
えっと12で割って、月収が5~6億円ですね。
アメリカの最高富裕者の400人が、
アメリカ人口の半数の1億5000万人の財産と同じだ
という統計を、先日の「アメリカ社会の崩壊」番組で
専門家が紹介していました。

それは、富裕者たちが、その貪欲のために独占している
収入を労働者の実質賃金の中に還元しているならば
国内需要は向上し、生産上昇と対応して
経済の破局を迎えないのだと思います。
つまり、実質賃金、労働者家庭の収入が上がらず
購買力(需要)が低迷していることにあり
過剰というのは、実質賃金(需要)に対して
生産が相対的に過剰ということです。

家計を温めて、購買力を強化することは、
絶対に必要な経済対策だと思います。

今の日本の政治経済の指導層は、
そのもっとも重要な点をドロップさせていると
思います。
(自分たちの収入が高いので、人々の苦境が理解できず
そこに気がつかないのだと思います)

二部
(1)
少し、サーカーから離れて、資本主義の歴史を振り返ると
やはり、需要と生産の均衡は重要なテーマでありつづけたと思います。

産業革命期の資本主義では、ほぼ10年周期で恐慌がありました。
今日からすると小規模の企業の自由競争だったと思います。
各企業が自由に競争する「生産の無政府性」の時代ですから
生産が多い場合は、倉庫に在庫の商品が残り
その工場は運営できず、会社はつぶれ「生産は減り」ます。

この経済調整を通じる均衡への到達は
自然現象ではなく、人間世界の現象なので
その中に失業や家族生活の維持が困難になるという
人間のうめき声と人々の社会へののろい
が聞こえてきます。

(2)
さて,資本主義を発達させた諸国では
その後、銀行と産業が結びつきながら
独占的な大型企業が発達してきます。
そして、より多量の原料、商品市場
そして国外に工場を作り、安い労働力をもとめます。
「生産の無政府性」は、そのままあり
商品の過剰生産の処理の形態が、違ってくるのだと思います。
国内の工場の操業をストップするより
国外の植民地、従属国など勢力圏とした地域に
進出した工場の操業をストップし、
植民地、従属国の人々に塗炭の苦しみを
なめさせることによって、
「過剰生産」を調整し、均衡を回復できたのだと
思います。

(3)
植民地勢力圏獲得競争と
その結果として世界再分割戦争(第一次大戦)が生じます。
(第二次大戦も再分割戦争の側面もあったと思います)
それは同時に兵器を作る軍事産業の時代でもありました。
金融資本と大企業は、国会で活躍する政治家たちの
スポンサーとなって政治を動かします。
国家予算を軍事費にまわさせます。
兵器の購入者は国です。
過剰生産は、軍事産業に転換することによって
「均衡」を回復することができます。
しかし、兵器の消費は戦争です。
多大な血と涙と恐怖の上に、
「過剰生産が調整」され
「均衡?」が回復します。

(4)
1929年の世界恐慌の脱出の際、
ニューディールのダム建設などの公共工事
ナチスドイツのアウトバーン建設などの
国民の税を公共投資に使って
雇用を創出し、賃金と購買力を生み出すアイディアがでてきました。
これは、資本主義の無政府性による過剰生産を克服する
軍需以外に補完する方法だったと思います。
これがケインズだと理解しています。
(しかし、自然環境破壊を進行させながら進んできましたので
資本主義のこのあり方も見直さなくてはなりません)

(5)
またニューディールは労働組合を強化し,
労働条件を向上させ
賃金を上昇させて購買力を強化しようとする
発想があったと思います。
中でも、この実質賃金強化の購買力増強路線は、
市場経済の生産の無政府性を克服する上で
私は継承すべきだと考えています。
(この点については別の機会に論じさせてもらいます)

(6)
以上のまとめですが
資本主義においては
周期的におきていた「相対的」な過剰生産の
リストラや失業という苦痛を伴っていました。
① 経済の未発達な国々の人々に、
その調整の苦しみを押しつけてきたし、今もそうしている。
② 軍需産業と戦争によって生産物した兵器を消費するという
恐ろしい形で資本主義は過剰生産にならないよう調整し
生き延びてきた。
③ ダムや道路などの公共投資によって需要を生み出し
調整してきた。しかし、
それは、今日、環境破壊というつけがまわってきている。

④ マルクスの資本論の中に工場法のことが詳しく書かれていますが
労働者や大衆の経済的苦境を救おうとする人々が
今日の労働基準法につながる労働者保護の法律をつくり
資本家の搾取の可能性の余地を狭めてきた。
労働運動の春闘などよる賃上げが
人々の購買力を強化していた。
これが資本主義の本性の顕現を緩和してきた。

しかし、労働者の側の連帯が弱くなり、
搾取的資本家に迎合する学者や政治家たちが
規制緩和とか称して
どんどん労働者の諸権利を奪う法律に改悪していった。

今のアメリカの経済破綻は
庶民の購買力の強化を怠り
人々を経済競争にあおりたて
生産によって富をまし
その富を富裕者層に集中させました。

それは需要に対して
生産の相対的な「過剰」が
おきていることではないでしょうか。

それは、新自由主義経済政策が
資本主義のもっている本性を
露骨にださせたことによるものではないでしょうか。
と私は思っているのです。