コトバのニワ

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わたしたちふたり

2010-06-26 | ソ・テジ

 少年ソ・テジのメモ帳に書かれた2つめの詩。(ここの「4.태지's WRITE」)
 フランスの詩人ポール・エリュアール(1895~1952)が、3度目の結婚をした1951年に発表した愛の詩で、ふたりで手をつないでいけば、どこであろうと我が家のように感じる、というシンプルな愛のよろこびを歌ったものだけど、韓国語訳では恋人同士の信頼の詩になっている。
 インターネットで検索すると、別の韓国語訳でも信頼の部分は同じなので、なにかの教科書にでも載っていたんだろうか。だけどこの詩に「信頼」を持ち出すのは、誤訳でなければ教育当局(?)の陰謀だろう。

 写真のテジ版の韓国語を直訳した太字の部分を、40年前の訳だけど、下の日本語訳(高村智訳)の太字の箇所と比べてみてください。

우리 둘이는 서로 손을 맞잡고         わたしたちふたりは たがいに手に手をとって
어디서나 마음속 깊이 서로를 믿는다   どこにいても心の奥深く たがいを信じる
아늑한 나무아래
 어두운 하늘아래       おだやかな樹の下 くらい空のもと
모든 지붕 아래 난로가에서            すべての屋根の下 炉辺で
햇빛이
내리쬐는 빈 거리에서          陽がてりつける ひとけのない通りで
민중의 망
막한 눈동자 속에서          民衆のうつろな瞳のなかで
현명한 사람이나 아둔한
사람 곁에서       かしこいひとや おろかなひとのそばで
어린 아이들이나 어른들 틈에서도
        こどもたちや おとなたちのあいだでも
사랑은 아무것
도 감추지 않느       愛は 何ものをも 隠しはしない
우리들
은 그것의 확실한 증거이다     わたしたちは その確かな証拠だ
사랑하는 사람들은 마음속 깊이       愛し合うひとたちは 心の奥深く
서로를 믿는다                 たがいを信じる
              - 엘뤼아르- (Paul Eluard)                                          ーエリュアールー
(追記:最初に載せた韓国語がテジ版と違っていた箇所を直しました。)

Nous deux        Paul Eluard
      
Nous deux nous tenant par la main  
Nous nous croyons partout chez nous  
Sous l'arbre doux sous le ciel noir   
Sous tous les toits au coin du feu    
Dans la rue vide en plein soleil      
Dans les yeux vagues de la foule     
Auprès des sages et des fous       
Parmi les enfants et les grands      
L'amour n'a rien de mystérieux     
Nous sommes l'évidence même      
Les amoureux se croient chez nous.
   

わたしたちふたり   ポール・エリュアール

わたしたちふたりは たがいに手に手をとって
わたしたちは どこでも じぶんたちの家にいるようにおもう
やさしい樹のしたで 夕ぞらのもとで
屋根屋根のしたで カマドのすみで
陽がてりつける ひとけない街のなかで
むらがるひとたちの うつろな眼のなかで
かしこいひとびとや おろかなひとびとのそばで
こどもたちや おとなたちのあいだで
愛は なんのふしぎもなく
わたしたちは 明白そのものだ
恋するふたりは じぶんたちの家にいるようにおもう
               (高村智編訳『エリュアール 愛 後期恋愛詩集』1969、勁草書房)

 手をつないで街を行く思春期の少年少女を思わせるこの詩を読むと、そのネガフィルムのような、フランソワーズ・アルディの<男の子女の子>を思い出す。
 弱冠18歳にして200万枚の大ヒットを飛ばした、1962年のデビュー曲だ

Tous les Garçons et les Filles


Tous les garçons et les filles       Françoise Hardy
男の子女の子                     フランソワーズ・アルディ詞・曲


Tous les garçons et les filles de mon âge se promènent dans la rue deux par deux.
Tous les garçons et les filles de mon âge savent bien ce que c’est d’être heureux.
Et les yeux dans les yeux, Et la main dans la main.
Ils s’en vont amoureux, Sans peur du lendemain.
Oui mais moi, je vais seule, par les rues, l’âme en peine,
Oui mais moi, je vais seule, car personne ne m’aime
Mes jours comme mes nuits, sont en tous points pareils,
Sans joie et pleine d’ennui,
Personne ne murmure « je t’aime » à mon oreille.

同じ年ごろの男の子と女の子は みんな2人で街を歩く
同じ年ごろの男の子と女の子は みんな幸せを知ってる
*目と目を合わせ 手に手をとって
  恋するふたりに明日はこわくない
    なのに わたしはひとり 悲しく街をさまよう
    なのに わたしはひとり 誰も愛してくれないから
昼も夜もわたしには まるで同じ
喜びもなく退屈なだけ
誰も耳もとで愛してるってささやいてくれない

Tous les garçons et les filles de mon âge font ensemble des projets d'avenir
Tous les garçons et les filles de mon âge savent très bien ce qu'aimer veut dire
Et les yeux dans les yeux et la main dans la main
Ils s'en vont amoureux sans peur du lendemain
Oui mais moi, je vais seule par les rues, l'âme en peine
Oui mais moi, je vais seule, car personne ne m'aime
Mes jours comme mes nuits, sont en tous points pareils
Sans joies et pleins d'ennuis
- Oh ! Quand donc pour moi brillera le soleil ?

同じ年ごろの男の子と女の子は みんな一緒に未来の計画を立てる
同じ年ごろの男の子と女の子は みんな愛の意味を知ってる
*繰り返し
昼も夜もわたしには まるで同じ
喜びもなく退屈なだけ
ああ、いつになったら太陽はわたしに輝くのだろう?

Comme les garçons et les filles de mon âge, connaîtrais-je bientôt ce qu'est l'amour ?
Comme les garçons et les filles de mon âge, je me demande quand viendra le jour
Où les yeux dans ses yeux et la main dans sa main
J'aurai le coeur heureux sans peur du lendemain
Le jour où je n'aurai plus du tout l'âme en peine
Le jour où moi aussi j'aurai quelqu'un qui m'aime


同じ年ごろの男の子と女の子みたいに わたしももうすぐ愛を知るのだろうか
同じ年ごろの男の子と女の子みたいに その日はいつ来るのだろう
彼と見つめ合い 彼と手をつないで
明日をおそれず 幸せに心はずむ日
もうぜんぜん悲しくなんかない日
わたしにも愛してくれる人がいる日は


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4 コメント

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うわぁ。 (sai)
2010-06-27 17:53:06
Aijoisteさん、こんばんは。

うわぁ、3ヶ国語の華麗なる競演。もう、テジを連れてアフリカに行ってください!

詩の訳って良く知らないのですが、ここまで意訳というか、勝手な解釈をして訳していいんでしょうかね。(それとも、単なる間違い?)

若かりしテジ君はどんな気持ちでこの詩をノートに書きとめていたんでしょうねえ。

フランソワーズ・アルディ、どこかで聞いた名、と思ったら、「さよならを教えて」でした。このタイトルも原題とはちょっと離れてますよねえ。アルディも懐かしく聞かせてもらいました。では、では~。
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>Sai 様 (Aijoiste)
2010-06-27 21:03:08
こんばんは~
重箱の隅をつつくようなことが気になってしまう性格、やはり「アフリカ」へ行かないと直らないでしょうか(笑)。付き合ってくださるSaiさんも大変だなあ。いつもありがとうございます。

韓国語のこのエリュアール、人様の訳にケチをつけたくはありませんが、2行目の誤訳のせいで「信頼」の詩になっているようです。
少年テジ君も信頼に結ばれた愛を夢見て書き写したのでしょうが… でも外国の歌を誤解して歌っていたりすることはよくあることでもあり…

「さよならを教えて」、なつかしいですね。フランソワーズ・アルディ、ボブ・ディランより3つ年下なんだけど、彼女も歌手としてまだ現役なんですよ。
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こんばんは (nyaon)
2010-06-28 23:52:02
Aijoisteさん こんばんは

このノートの詩、パラーッと見て解るところだけみて、すぐ忘れてしまう私なので、掘り下げていただいて ありがとうございます。翻訳の差がよくわかりました。じぶんたちの家というあいまいな感じではピンとこないのかなぁ?白黒はっきりした方がいいのか?とも思いました。
イラストがかわいいですよね。こういうノートをつける人はどういう人だろうか?と、いつも思います。
中学バンドのときの音源は、2007年のcoexでの15周年記念館では聴けたのではと思います。naverのページができたときから準備中のままです。

メビウス映画を見に行けず、ストレスなのか本当に頭がグラグラして気分が悪くなっていたのですが、ライブアルバムが7月16日発売という告知をみて、だいぶ良くなってきました。今やっとブルーレイプレイヤーを買って、シンフォニーを見てますけど、このときの「永遠」をみて、こんなノートをつけていた少年だったのかぁ~と、、

しかし、、やっぱりブルーレイは良いです。DVDでは見れなくなりました。これで、毎日テジさんが私の家で公演してくれています。^^

雨がすごく降りますね。食中毒にご注意を~
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>nyaon 様 (Aijoiste)
2010-06-29 11:46:11
こんにちは~
もしや玄界灘をはさんで葛藤されているのでは、と想像していましたが、やはり… ライブアルバム発売の告知で症状改善とのこと、なによりです。

この詩の「じぶんたちの家にいる」感じというのは、たとえばすごく居心地のいいホテルに出会って、「まるで自分の家みたい」(英訳だとat home)と叫びたくなる、あの感じなんですよ。
韓国語訳は誤読だと思いますが、「翻訳で大切なのはクライアントが読みたがっているドキュメントを差し出すことである」という考えに立つなら、韓国社会が「信頼で結びついた愛」についての詩を読みたがっているから、あの訳が流通しているのかもしれません。

中学バンドの時の音源、やはり最初から「準備中」だったんですか。教えてくださり、ありがとうございます。いつか「営業中」になる日が来るんでしょうか。

ブルーレイプレイヤー、買われたんですね。もしや大画面も?ホームシアター作ったら、招待してくださいね~
食中毒警報、お互い、腐ったものは火を通してから(!?)食べましょうね^^
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