コトバのニワ

出会った音やコトバのことなど

ワダツミの木

2010-04-29 | 音楽

 瀬戸内海を泳いでいた小イカの骨。
 ニワトリの羽根の骨のような、海の木の葉っぱの化石のような。
 このようなものを背中に入れて、水中を群れになって泳いでいたんだな。

 夜、イカの体から抜き取った直後はしなやかにツヤツヤしてたのに、朝になったら乾いて触るとカサコソと音がする。
 一度写真を撮った後、光が足りない気がしてベランダで撮り直そうとしたら、ひゅっと風が吹いた瞬間、飛んでいってしまった。
 なので、暗いまま。
 暗い海を泳ぐイカのことを考えてたら、なぜかこの歌が。
(小イカはトマト煮にして、イタリアンパセリをいっぱい散らした。)

 2002年に元ちとせの歌でヒットしたけれど、プロデュースした上田現(元レピッシュ)のセルフカバーバージョンは、海の水がずっと冷たく感じられる。

 ここにいるよ あなたが迷わぬように
 ここにいるよ あなたが探さぬよう

 本を読みながら、死んでしまった人と話をしている気になる時があるけれど、一昨年、47歳の若さで逝った上田現も、ソロアルバムを聴くとそんな気持ちになる。

 上田現 ワダツミの木 (アルバム「十秒後の世界」から)


アンヴィル

2010-04-23 | 日記

 昨日、「夢を諦めきれない男たち」アンヴィルのライブ@広島クラブクアトロに行ってきた。
 
 昼前に頑張って仕事を終え、このところ2~3時間睡眠だったので、まず昼寝。
 午後3時に起きたら、まだ冷たい雨が降っていたので、おじさんたち(アンヴィルのことです)が心配になった。
 広島で、まともなホテルに泊まれただろうか。
(映画では、東京のホテルは狭いビジネスホテルだった。)
 広島で、美味しいものが食べられるだろうか。
(クアトロのあるパルコのすぐ裏に、お好み焼屋25軒が集まる「お好み村」というビルがある。通訳の人は、“鉄板(メタル)焼き”と紹介してほしい。)
 そして今晩、客はたくさん入るだろうか。
(東京と大阪は盛況だったそうだけど、ここは広島である。)

 結論(いきなり)。楽しかったー。
 お客さんは、このくらい入れば上々かな、という程度に埋まっていたし(客を前に集めるためか、後段のフロアには上がれないようになっていた)、何よりも、皆さん映画を観ているからでしょう、雰囲気が暖かいのである。
 登場するなり、「アンヴィル!」コール。

 そして、ギター&ボーカルのリップスが、こんなことを言っては怒られるかもしれないけど、愛嬌があって可愛いのである。ロブのドラムスはカッコよくてビックリした。
 日頃ヘヴィメタルとは縁が薄いながら、2曲目の<666>で変幻自在にコントロールされる拍子とテンポに身を任せる快感に開眼。
 しばらく一緒に楽しく疾走していたら、例のバイブレータによるギタープレイ(だから昔、「色物バンド」と言われたのだ)が始まって、ちょっと引いた。

 でもまあ、いいや。
 きょうはロブの誕生日だそうで、みんなで♪ハッピーバースデーを合唱。
 五十何歳になったんだろう?
 リップスが、みんなに「映画を観た?」と聞いて、「観たー」と言うと、「みんな友だちだよ。オレの母さんを知ってるんだから」と言った。息子だって奥さんだって知ってるよ。

 27年ぶりの日本公演、と言うので、あれ、映画の冒頭を飾るSUPER ROCK ’84は26年前なのに、と思ったら、その前年にも単独公演で来日していた。
 フロアにSUPER ROCK’84のタオルを持ってる人がいて、それをリップスが広げて見せてくれて、そのヨレヨレ加減に流れた年月を感じた。
 けど、アンヴィルは、売れなくてもぜんぜんヨレヨレにならなかった!

 途中で、あ、と気がついた。
 ANVILっていうバンド名、英語の「鉄床(かなとこ)」だと思ってたけど、ANGEL(天使)+DEVIL(悪魔)=ANVILの合成語じゃないか。
 そんなこと、どこにも書いてないけど、そうに違いない、と確信した。

 アンコール前の最後の曲は、映画でもやっていた“メタルのアンセム”<METAL ON METAL>。みんなでコブシを振り上げて合唱。
 我ながら、こんなことをする日が来るなんて。
 今日は、昨日とは違うことをするためにあるのである。

 広島は、“ジャパンツアー”の4日連続公演の最終日。Dreams come true.と言っていたけど、まだ夢の終わりではないはず。
  アンヴィルのおじさんたち、ありがとう。
 どうか、元気でいてください。 


ソテジシンフォニー通常版

2010-04-14 | ソ・テジ

 メモ。2月19日のソテジシンフォニー限定版発売から2ヶ月、昨日やっと通常版の発売が発表された。見開きのデザインがカッコいい。
 ディスク4枚の内容は限定版と同じ、4月13~20日まで予約を受け付け(通常版なのに予約販売?)、4月23日に発売。定価 42,000ウォン。
 限定版の定価は 110,000ウォン(1万5千セット、まだ買える)だから、通常版はかなりお得ですね。
(4/15追記:すみません。ブルーレイとDVDは別売りでした。
 ブルーレイは1枚で定価 36,500ウォン、DVDは3枚セットで 42,000ウォン。)

 限定版のDVDは2月末に見たきり、なぜか見えない所に仕舞い込んだまま。
 その理由を考え中。

             


騒音作戦

2010-04-10 | ソ・テジ

 昨日、「米陸軍、メタリカを使ってテロ掃討作戦を展開?」という記事を読んだ。(ロッキング・オンのNEWSより)
 
アフガニスタンでタリバン掃討作戦を展開しているアメリカ陸軍の特殊部隊が、メタリカやオフスプリング、シン・リジィなどの音楽を大音量で鳴らすことで、寒村にひそむタリバンの兵士を追い出し、同時に海兵隊員の士気を高めてるんだそうだ。

「2キロ先まで音がゆうに届く「超強力なスピーカー」を装備した改造装甲車を使って部隊はオフスプリングの“プリティ・フライ(フォー・ア・ホワイト・ガイ)”を含むラウド・ミュージックをかけまくっているという。」
(同上) 

 そういえば、<プリティ・フライ(フォー・ア・ホワイト・ガイ)>は、2004年にテジがラジオ番組「イ・ボンのボリュームを上げて」に出演した時、リスナーに聴かせた2曲のうちのひとつだった(去年7月30日の拙ブログ)。
 メタリカも、言わずと知れたテジの愛するバンドだし(「ソ・テジを育てた音楽」拙訳3/5)、テジの好きな音楽は、タリバンの大嫌いな音楽なんだな。

 だけど、アメリカ軍の道具に使われるなんて、最悪。
 タリバンに音楽を禁じられるのも御免だけど、聞きたくもない音楽(=騒音)をムリヤリ聞かされるのも、まっぴら御免だ。<プリティ・フライ>の♪アハー、アハーとかが、悪意を持って大音量で流れてきたら、タリバンじゃなくたってアメリカ軍に殺意を抱くだろう。

 ところでメタリカは来年、ピンク・フロイドの「ウォール」のようなツアーをすると言っているそうだ(ココ)。「ウォール」もテジが影響を受けたと言っているアルバムなので(「ソ・テジを育てた音楽」拙訳 5/5)、つながっているのが面白い。
 メタリカの「S&M」にソテジシンフォニーで迫ったテジ、次なる目標はもしかしたら「ウォール」か?

 アメリカついでに、次の<Replica>の音楽に乗せた動画も。ダッコムの書き込みで知った。
 これを作ったアメリカのテジファンは、メビウスツアーの竜山(ヨンサン)公演も観たそうだ。
 動画が終わった後に表示される関連動画の中の、青空のをクリックすると、もうひとつお楽しみが出てきます。(4/11追記:あ、その隣の白黒の沼のも…)
 
 
A video about Freedom. Music "Replica"by Seotaiji. 


アタカマ砂漠

2010-04-08 | ソ・テジ

 <Replica>が頭の中で鳴り止まないので、チリのアタカマ砂漠に行ってきた。 
 レプリカの歌詞とブックレットの絵の血の色を連想させる、「月の谷」の夕焼け。
 写真を転載させてくださった長谷川芳典先生(岡山大学)によると、月の谷の地質は「全体に赤みがかっており、“月の谷”というよりは“火星の谷”といった感じ」だそうだ。(出典はこちら。アタカマ砂漠の美しい写真がいっぱい。)
 
 ソ・テジの<Moai>のミュージックビデオは、イースター島のモアイ像ばかりが印象に残るけれど、途中まるまる2分間は、チリ北部のアタカマ砂漠の映像だ。
 平均標高2000m、世界で最も乾燥している土地だという。
 MVでは、テジ様ご一行はイースター島の後、チリ本土にワープし、アタカマ砂漠のタティオ間歇泉(標高4300~4500メートル)で歌ってから、「月の谷」へ。
 次のHP(チリ一人旅)に行くと、MVで見覚えのある月の谷の風景がいっぱい見られます。
 タティオ間歇泉は、動画で見ると迫力あり。

Los Géiseres del Tatio (Chile)

 こんな所でよくMVなんか撮ったな~ 
 高山病に苦しんだTOPがかわいそう。見ているだけで頭痛と吐き気がしそうだ。

 アタカマ砂漠の映像で一番気に入ったのは、これ。
 一箇所にカメラを据えて、微速度撮影で天と地の移り変わりを撮っている。
 太陽が昇り、沈み(空を落ちていく球体は、UFOではなく太陽)、天の川が夜空を回る。タイトルに24時間とある通り、同じ映像が2回繰り返されています。
 こんな空を、テジは見てたんだな。

 24h in Atacama

 去る2月27日に起きたチリ地震は、南北に細長いチリ中央部の首都サンティアゴの南西325キロが震央だった。規模はM8.8で観測史上5番目、その影響で地軸がずれ、1日の長さが短くなった可能性があるという(ココ)。
 800人を超える死者の大半は、津波の犠牲者らしい。1960年にも大地震が起きている地震国。地震で犠牲になった方のご冥福と、迅速な復興を祈ります。

           


空を飲みほす

2010-04-06 | 日記

 桜の季節はやっぱりいいな。
 今年はなぜか、花粉症にもならなかったので、春が楽だ。
 きのう、『フリードリヒへの旅』の著者に、空の飲み方を教わった。

 「私は喫茶店ではなくむしろいい風景の空間をさがして、これを飲むほうがいい(持ち歩いているペット・)ボトルを傾けるときの楽しみの一つは、目を空に開いて、ふだん見忘れがちな空の色を飲みほしてみること。」
(小笠原洋子『ケチじょうずー美的倹約暮らしー』2003、ビジネス社)
  
 驚いたことに小笠原洋子さん、「貧しさを極上の贅沢として堪能する」超節約生活の実践者だった。フリードリヒへの傾倒のことを知らなかったら、たぶん読まなかっただろうし、読んでもあまり感じるところがなかったかもしれない。

 フリードリヒのためだけに10年間に4度もドイツに渡り、「結果というものに辿り着けるのは 偏執狂だけである」というアインシュタインの言葉を思い出させる彼女、最小限のスペースに暮らし、電気釜も、電子レンジも、食器棚も、洋服ダンスも、本棚も持たず、最後は無一物になることを理想とし、自由と孤独の生活を送る人だった。

 居はできるだけ定めないのが理想だそうで、
 「引っ越しのだいご味は、だいじだと思いこんでいた物を捨てることにある。一つの価値観から解きはなたれるように。」
 
 物はもちろん、極力買わない。
 「私にとって商店街は博物館のようなものだ。歩きながら、仮に手に入れたとして、そのあとの想像をもって心を満たしていく。」

 「実は蕎麦やうどんも、私にはタレがいらない。(中略)私は醤油もめったに買うことがない。小瓶を一本買えば一年でも使いきれない。」 
 煮物をするにも、納豆やお弁当についてくる醤油の小袋を使い、それも一鍋に一コあれば十分なんだそうだ。それが味の好みだから。

 
「禁欲のだいご味は、欲望という重たき枷(かせ)を、わが身からはずすことだ。言い換えれば、縛られるような執着を削ぎおとして、客観的に愛すべき対象へと変換することだろう。それができるかどうかは別としても。」

 うーん。究極のシンプル・ライフ。逆立ちしても真似できない。
 空をいくら飲んでみても、わたしはぐちゃぐちゃ。


レプリカ

2010-04-03 | ソ・テジ

 誰かがYouTube にアップした、ソ・テジの8集の<レプリカ>の背景に使われている絵。去年初めて見た時、妙にピッタリだな、と思った。
 でも<レプリカ>は、生硬な歌詞とか、ドラマチックなメロディーライン(<死の沼>系とでも言おうか…)がちょっと苦手なので、何となく心にひっかかったけど、放っておいた。  

 先日、ふとしたきっかけで、この絵の主を知った。
 ドイツロマン主義の画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840)。
 絵のタイトルは、「雲上の旅人」(ただし本人は、数点の例外を除き、作品に題名もサインも残さなかった)。
 フリードリヒは、当時「高級な壁紙」とまで見下されていた風景画に新境地を開き、一時期はもてはやされたものの、晩年は過去の画家という刻印を押され、死後50年あまりもの間、忘れ去られていたという。再評価されたのは20世紀になってから。

 彼が描いたのは、廃墟や墓地や、内省的な精神性の漂う北の風景ばかり。
 しばしば点景のように描かれる小さな人物は、いつも後ろ向き。(参考HP
 13歳の時、スケート遊びをしていて氷の裂け目に落ち、自分を助けようとした1つ下の弟が溺死するという悲劇的な幼児体験が、彼の絵の原点にあるらしい。
 
 気になったので、『フリードリヒへの旅』(小笠原洋子、角川学芸出版 2009)を読んだ。ドレスデン時代のシューベルト(1797~1828:たった31歳で死んだのだ)と親交を結んだり、 自然科学者でもあったゲーテ(1749~1832)から雲の挿絵の注文を受けて、断ったりしている。

 「彼の作品の最大にして唯一ともいえる特徴は、風景画でありながら、目に快適で心の癒される美景ではなく、個人的な思いを社会的なテーマに交差させながら、世界観や宇宙観へと拡大する風景画だという点だろう。」(同書)

 「肉体の目を閉じて、心の目で見よ」と言ったこの画家を、10年前に出会った1枚の絵をきっかけに、著者は突き動かされるような衝動に駆られて、どこまでも追いかけていく。画家のゆかりの街はもとより、彼の描いた風景の中に身を置こうと、北ドイツの最果ての島や岸辺を、時には息ができないほどの嵐に打たれながら、訪ねて回るのである。

 何のため?と聞かれたら、たぶん、ソ・テジゆかりの地の「聖地巡礼」とそう変わるところはないんだろうけれど、この人の画家フリードリヒとの交信の仕方は、尋常ではない。
 死者、あるいは他者からのメッセージを受け取る、ということは、時には大変なところまで連れていかれるんだな。

 YouTubeで<レプリカ>の曲にフリードリヒの絵を貼り付けた人は、テジのことはもちろん、フリードリヒのこともよく知っているのだろう。
 下の動画の中の4枚の絵は、どれもフリードリヒのもので、彼の風景画に漂う荘厳な悲壮感や冬の情景は、<レプリカ>の歌詞になぜかよく合うから不思議だ。
 画家のことを考えながらこれを見ると、前奏の不協和音からして何やら胸騒ぎなしには聴けなくなった。
SeoTaiji- Replica
 
 これを機会に<レプリカ>の理解を放棄していた態度を改め、ワケのわからない歌詞を日本語にしてみた。
 だけどこんな歌詞、サビの部分とはいえ、よくメビウスツアーで観客に歌わせたよな。

Replica レプリカ

머나먼 저 우주 위로 종을 울리면
이 높은 산 위에서 서 있는 나를 누가 발견해줄까
나를 태워주렴 네 음성으로 저 찬란하던 햇살로

遥かなるあの宇宙へと 鐘を鳴らすなら
この高い山上に立つ僕を 誰か見つけてくれるだろうか
僕を燃やしてくれ お前の音声で あの輝いていた陽の光で

나의 서툴던 이 소망은 모래로 쌓여 흩어지고
내 이름조차도 무리들 속에서 모두 지워져 가고
그 기억 속의 불편한 부분들의 섹터를 다그쳐 마비를 시키고

 

僕の不器用なこの願いは 砂となって積もり散らばり
僕の名前さえも 人の群れの中で すべて消えてゆき
あの、記憶の中の不都合な部分たちのセクターを 責め立て麻痺させて

구차한 관념들로 비롯된 그 알 수 없던 물음에
 날 가득 채운 피의 흐름이 멈추는걸
 그 온도의 차이 내 안의 추운 겨울

 貧弱な観念を集めて
始まった あの答えのなかった問いに
 僕をいっぱいに満たした血の流れが止まる
 その温度差 僕の中の寒い冬

내 머릴 비추던 저 햇살에 나의 그림자는 움츠리고
우린 서로를 그저 닮으려고 무리한 애를 쓰는 것일 뿐
그 기억 속의 불편한 부분들의 섹터를 다그쳐 마비를 시키고

僕の頭を照らしていた あの陽の光に 僕の影は縮み
僕らは互いに似た姿になろうと 無理な努力をしているだけ
あの、記憶の中の不都合な部分たちのセクターを 責め立て麻痺させて

*繰り返し

지탄 받는 자아에 붉게 물든 핏빛 햇살과
이런 내 아픔 위로 쏟아 내리던 현란한 너의 능숙한 더러움

非難される自我に赤く染まった 血の色の陽の光と
こんな僕の痛みの上に降り注いでいた 絢爛たるお前の巧妙な汚なさ

나를 태워주렴 네 음성으로 저 찬란하던 햇살로
僕を燃やしてくれ お前の音声で あの輝いていた陽の光で

*繰り返し