北朝鮮が韓国を砲撃、のニュースにCOMA。となってはや4日。いたずらに傷つけ合う瓦礫の山が無残だ。どこの空であれ、突然空から爆弾が降ってくるような空でありませんように。
で、前回の続きです。
写真は、解散を経て10年ぶりに来韓したスマッシング・パンプキンズ(でもオリジナルメンバーはビリー・コーガンだけ)の公演のポスター。8月14日は、もし今年もETP FESTが開催されていたなら、彼らもきっと出演していただろうと思わせる日付ですね。日本ではスマパン、韓国での愛称は호박들(ホバットゥル:かぼちゃたち)だそうだ。
ソテジカンパニーが公演を後援したのは、もちろんソ会長のご意向でありましょう。
ソ・テジが昔からスマパンのファンであることは、2004年にラジオ番組「ぺ・チョルスの音楽キャンプ」に出演した時にも言っているし(拙訳参照。あの時テジは、ズワンの<Lyric>をかけた)、今年の来韓公演を共催したハンギョレ新聞の8/12付電子版には、「2001年にファンサイトのソテジドットコムを立ち上げた時、直接スマッシング・パンプキンズの曲<I am one><Zero><Thirty-three>などを推薦したりした」と書かれていた(ここ)。
続いて「ソ・テジが好きなミュージシャンを挙げる時、外せないバンドがスマッシング・パンプキンズであるという事実をアーティスト側に伝えるや、スマッシング・パンプキンズも国内最高の歌手ソ・テジとの出会いに関心を示し、2人のミュージシャンの出会いが可能かどうか協議中」と主催のアクセスエンターテインメントが明らかにした、と書いてあった。
結局、2人は会ったのだろうか、と思っていたので、先月見た次の動画に引きつけられた。
Billy Corgan: New song " Jesus needs a hit" @ Atout Livre, Paris Sept 30 2010
パリの東、12区にあるAtout Livre("切り札は本")という本屋さんで、数日前にできたばかりという新曲を披露するピリー・コーガン。最初に聴くんだからインターネットに悪口を書かないでね、と釘を刺してから歌い始めたのを中断して、隣の女性にギターを弾いてと渡そうとして、「それはあなたの仕事でしょ、私は歌いません」と親しげに言われている。
彼女が前回エコーの話で書いた、作家のクレール・フェルカック Claire Fercak さん。
この日はビリーとの共著『Chants magnétiques』(磁力をもつ歌)の出版記念の朗読会&ミニコンサートで、ビリーはギターで朗読の伴奏をし、新曲を含む8曲を歌った。
本屋さんで小さな聴衆を相手のコンサートがあまりにもうらやましかったので、どうしたらこんなことが可能になるのかな、と思って彼女の本を読んでみた。
今回の本は3作目で、2作目は『スマッシング・パンプキンズ/タランチュラ・ボックスセット』
The Smashing Pumpkins/Tarantula box set (2008年刊)という、スマパンを激しく愛する少女の「音楽フィクション」。
80ページたらずのこの本でビリーは彼女と出会い、友だちになったんだそうだ。
もしも表紙にクモの絵が描かれてなかったら、読まなかったかもしれない。テジが<レプリカ>を歌う時の映像にクモが出てくるので、何かわかるかもしれないと思って読んだ(笑)。いったい何を動機にして生きているのやら。
ちなみにこのクモの絵は毒グモのタランチュラで、噛まれるとタランティズム(舞踏病)にかかり、病気を治すには疲れ果てるまで踊り狂うしかない(その踊りの名前がタランテラ)という、あの伝説の毒グモです。
<Tarantula>はスマパンの曲名でもある。
物語は33の「トラック」で構成されていて、各「トラック」にはスマパンの実際の曲名がついている。主人公は、不思議の国のアリスがウサギの穴の中に落ちるみたいに、スマパンのボックスセット「The Aeroplane Flies High」(1996、収録曲数33)の箱の中に落っこちてしまう。
そこにはタランチュラがいて、少女は毒グモに噛まれたようにスマパンの音楽に取りつかれ、箱の中に自分の居場所を見つけて閉じこもる。
外の世界はあまりにも生きづらいからだ。
そして彼らの音楽が呼吸のリズムとなり、「コーガンの声はわたしの背骨」となった少女に、
「ついておいで、とビリー・コーガンが言った。」
この、どうしようもなく導かれていく感じ。皆さんもよくご存じですよね?
それで<Tonight,Tonight>の章(トラック)では、この曲のビデオクリップの下敷きとなっているジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」さながらに、砲弾ロケットに乗ってスマパンのメンバーたちと月に行ったりもするのだ。
Smashing Pumpkins - Tonight Tonight
「わたしたちは彼の子どもだ。わたしたちは迷っているという事実で結ばれている」
「ビリー、わたしを見て。わたしはあなたの歌だ」
自分の子どもだと言われて、誰がほっておくことができようか。
それで、ビリーはこの本の序文「トラック 0」と、隠しトラックを書いたのかな。
クレール・フェルカックと一緒にインタビューに応じている"How to work with a Rockstar?”と題された動画(ここ:すでに削除されています。)を見ると、ビリーはだいたい次のようなことを言っている:
大部分の人は、僕のバンドや音楽を通して、出会う前からあらかじめ僕のイメージをもっていて、ありのままの僕を見ようとしない。でもそれは僕の一部、「別の僕」にすぎず、全体的な人間としての僕に語りかけてくれる人としか友だちになれない。クレールはそんな数少ない友だちの一人だ。
なるほど、ロックスターとはそういうふうに友だちになるのか。
それから、やはり彼女と一緒の"How to create something new? "と題されたインタビュー(ここ:こちらもすでに削除されています。)では、こんなことを言っていた(仏語字幕より):
「僕はずいぶん前から、自分は何か新しいものを創造するのだという“神話的”信仰を捨てている。皮肉なのは、そのことで僕が解放されたということだ。もしも僕が自我(エゴ)の奴隷で、新しいものを創造すると信じていたら、いつもフラストレーションを感じていただろう。なぜなら、新しいアイデアを得るたびに、既存の何かを思い浮かべてしまうからね。(中略)何か新しいものを創造するという考えを捨てて以来、まさに僕は自分自身の声を見つけた。(中略)
だけど、それが“新しい”と感じたことは一度もない。すでに存在していたものの新たな組み合わせにすぎない。」※
この発言、この本の「トラック0」でビリーが言葉について書いていることと全く同じ。
「僕らが所有するものは何ひとつなく、どんな小さなものであれ、“それは僕のだ”と言うことはできない。(中略)あらゆるものは並べ替えでしかない。」
前回貼り付けた<Today>のイントロのことを考えると、おもしろいな。
11/29追記
※印のビリー・コーガンの訳を修正。直前で
「成功したアーティストがそうでないアーティストと違うのは、そのアーティストの声(ヴォイス)を識別できることだと思う」と言っています。
曲の借用問題を考えるとき、重要なのはそこにTの声(ヴォイス)がまぎれもなく刻印されている、ということなのでしょう。