コトバのニワ

出会った音やコトバのことなど

エコーと ビリー・コーガン

2010-11-27 | ソ・テジ

 北朝鮮が韓国を砲撃、のニュースにCOMA。となってはや4日。いたずらに傷つけ合う瓦礫の山が無残だ。どこの空であれ、突然空から爆弾が降ってくるような空でありませんように。
 で、前回の続きです。 

 写真は、解散を経て10年ぶりに来韓したスマッシング・パンプキンズ(でもオリジナルメンバーはビリー・コーガンだけ)の公演のポスター。8月14日は、もし今年もETP FESTが開催されていたなら、彼らもきっと出演していただろうと思わせる日付ですね。日本ではスマパン、韓国での愛称は호박들(ホバットゥル:かぼちゃたち)だそうだ。
 ソテジカンパニーが公演を後援したのは、もちろんソ会長のご意向でありましょう。

 ソ・テジが昔からスマパンのファンであることは、2004年にラジオ番組「ぺ・チョルスの音楽キャンプ」に出演した時にも言っているし(拙訳参照。あの時テジは、ズワンの<Lyric>をかけた)、今年の来韓公演を共催したハンギョレ新聞の8/12付電子版には、「2001年にファンサイトのソテジドットコムを立ち上げた時、直接スマッシング・パンプキンズの曲<I am one><Zero><Thirty-three>などを推薦したりした」と書かれていた(ここ)。
 
 続いて「ソ・テジが好きなミュージシャンを挙げる時、外せないバンドがスマッシング・パンプキンズであるという事実をアーティスト側に伝えるや、スマッシング・パンプキンズも国内最高の歌手ソ・テジとの出会いに関心を示し、2人のミュージシャンの出会いが可能かどうか協議中」と主催のアクセスエンターテインメントが明らかにした、と書いてあった。
 結局、2人は会ったのだろうか、と思っていたので、先月見た次の動画に引きつけられた。
  
Billy Corgan: New song " Jesus needs a hit" @ Atout Livre, Paris Sept 30 2010

 パリの東、12区にあるAtout Livre("切り札は本")という本屋さんで、数日前にできたばかりという新曲を披露するピリー・コーガン。最初に聴くんだからインターネットに悪口を書かないでね、と釘を刺してから歌い始めたのを中断して、隣の女性にギターを弾いてと渡そうとして、「それはあなたの仕事でしょ、私は歌いません」と親しげに言われている。
 彼女が前回エコーの話で書いた、作家のクレール・フェルカック Claire Fercak さん
 この日はビリーとの共著『Chants magnétiques』(磁力をもつ歌)の出版記念の朗読会&ミニコンサートで、ビリーはギターで朗読の伴奏をし、新曲を含む8曲を歌った。

 本屋さんで小さな聴衆を相手のコンサートがあまりにもうらやましかったので、どうしたらこんなことが可能になるのかな、と思って彼女の本を読んでみた。
 今回の本は3作目で、2作目は『スマッシング・パンプキンズ/タランチュラ・ボックスセット』
The Smashing Pumpkins/Tarantula box set (2008年刊)という、スマパンを激しく愛する少女の「音楽フィクション」。
 80ページたらずのこの本でビリーは彼女と出会い、友だちになったんだそうだ。
                 
          
 もしも表紙にクモの絵が描かれてなかったら、読まなかったかもしれない。テジが<レプリカ>を歌う時の映像にクモが出てくるので、何かわかるかもしれないと思って読んだ(笑)。いったい何を動機にして生きているのやら。
 ちなみにこのクモの絵は毒グモのタランチュラで、噛まれるとタランティズム(舞踏病)にかかり、病気を治すには疲れ果てるまで踊り狂うしかない(その踊りの名前がタランテラ)という、あの伝説の毒グモです。
 <Tarantula>はスマパンの曲名でもある。
 
 物語は33の「トラック」で構成されていて、各「トラック」にはスマパンの実際の曲名がついている。主人公は、不思議の国のアリスがウサギの穴の中に落ちるみたいに、スマパンのボックスセット「The Aeroplane Flies High」(1996、収録曲数33)の箱の中に落っこちてしまう。
 そこにはタランチュラがいて、少女は毒グモに噛まれたようにスマパンの音楽に取りつかれ、箱の中に自分の居場所を見つけて閉じこもる。
 外の世界はあまりにも生きづらいからだ。

 そして彼らの音楽が呼吸のリズムとなり、「コーガンの声はわたしの背骨」となった少女に、
 「ついておいで、と
ビリー・コーガンが言った。」
 この、どうしようもなく導かれていく感じ。皆さんもよくご存じですよね?
 それで<Tonight,Tonight>の章(トラック)では、この曲のビデオクリップの下敷きとなっているジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」さながらに、砲弾ロケットに乗ってスマパンのメンバーたちと月に行ったりもするのだ。

Smashing Pumpkins - Tonight Tonight


 「わたしたちは彼の子どもだ。わたしたちは迷っているという事実で結ばれている」
 「ビリー、わたしを見て。わたしはあなたの歌だ」
 自分の子どもだと言われて、誰がほっておくことができようか。

 それで、ビリーはこの本の序文「トラック 0」と、隠しトラックを書いたのかな。
 クレール・フェルカックと一緒にインタビューに応じている"How to work with a Rockstar?”と題された動画(ここ:すでに削除されています。)を見ると、ビリーはだいたい次のようなことを言っている:

  大部分の人は、僕のバンドや音楽を通して、出会う前からあらかじめ僕のイメージをもっていて、ありのままの僕を見ようとしない。でもそれは僕の一部、「別の僕」にすぎず、全体的な人間としての僕に語りかけてくれる人としか友だちになれない。クレールはそんな数少ない友だちの一人だ。

 なるほど、ロックスターとはそういうふうに友だちになるのか。
 それから、やはり彼女と一緒の"How to create something new? "と題されたインタビュー(ここ:こちらもすでに削除されています。)では、こんなことを言っていた(仏語字幕より):

「僕はずいぶん前から、自分は何か新しいものを創造するのだという“神話的”信仰を捨てている。皮肉なのは、そのことで僕が解放されたということだ。もしも僕が自我(エゴ)の奴隷で、新しいものを創造すると信じていたら、いつもフラストレーションを感じていただろう。なぜなら、新しいアイデアを得るたびに、既存の何かを思い浮かべてしまうからね。(中略)何か新しいものを創造するという考えを捨てて以来、まさに僕は自分自身の声を見つけた。(中略)
 だけど、それが“新しい”と感じたことは一度もない。すでに存在していたものの新たな組み合わせにすぎない。」※

 この発言、この本の「トラック0」でビリーが言葉について書いていることと全く同じ。
「僕らが所有するものは何ひとつなく、どんな小さなものであれ、“それは僕のだ”と言うことはできない。(中略)あらゆるものは並べ替えでしかない。」
 前回貼り付けた<Today>のイントロのことを考えると、おもしろいな。


11/29追記
 ※印のビリー・コーガンの訳を修正。直前で
成功したアーティストがそうでないアーティストと違うのは、そのアーティストの声(ヴォイス)を識別できることだと思う」と言っています。
 曲の借用問題を考えるとき、重要なのはそこにTの声(ヴォイス)がまぎれもなく刻印されている、ということなのでしょう。


ナルキッソスとエコー

2010-11-22 | ソ・テジ

 ある本を読んでいたら、ギリシア神話のナルキッソスとエコーの話が出てきた。美少年ナルキッソスが水面に映った自分の姿に恋焦がれて死に、水仙の花になった話は有名だけど、ナルキッソスに恋した妖精(ニンフ)、エコーの話はよく知らなかった。
 Tの「僕たち、また会えるよね?」の黄色い花を見ては、ナルキッソスの変身した水仙みたいだと思っていたので、エコーというのはもしやわたし(たち)のことかな?と思った。

          
                            (写真はseotaiji.com の入り口画面から)

 こだまの妖精エコーは、ゼウスが山でニンフたちと寝ている時、妻の女神ヘラをわざと長いおしゃべりで引きとめては、ニンフたちに逃げる時間を与えていた。それに気づいたヘラは、おしゃべりなエコーが他人の言葉の最後を繰り返すことしかできないようにしてしまう。
 そんなエコーはある日、美しいナルキッソスを見て激しい恋に落ち、こっそりと跡をつける。

「ああ、いくたび甘い言葉をささやきかけて彼に近づき、しおらしい願いをつたえたいと思ったことだろう!しかし、彼女の性(さが)がそれをさせてはくれなかった。こちらから言葉をかけることは許されないで、許されることはといえば、言葉を返すための、相手の言葉の響きを待つことだけだった。」(オウィディウス『変身物語』中村善也訳、岩波文庫)

 相手の言葉を繰り返すだけのエコーは、Tの言葉を繰り返すだけの自分のようでもある。
 
あの架空の黄色い花は、ペチコートスイセン Narcissus bulbocodiumという水仙に似ていなくもない。
          
         写真はこの方の美しい「花のダイアリーII」からお借りしました。

 だけど、である。わたしはエコーではない。
 高慢なナルキッソスから「いっそ死んでから、きみの自由にされたいよ!」(同上)と一蹴され、悲しみのあまり声だけになってしまうなんて。

「はねつけられた彼女は、森にひそみ、恥ずかしい顔を木の葉で隠し、それ以来、さみしい洞窟に暮らしている。だが、それでも恋心は消えず、しりぞけられただけに、悲しみはつのる。夜も眠られぬ悩みに、みじめな肉体はやせほそり、皮膚には皺が寄って、からだの水分は、すっかり枯渇する。残っているのは、声と、骨だけだ。いや、声だけで、骨は石になったという。以来、森に隠れていて、山にはその姿が見られない。ただ、声だけがみんなの耳にとどいている。彼女のなかで生き残っているのは、声のひびきだけなのだ。」(同上

 引用したのはオウィディウスの『変身物語』だけど、エコーの物語は、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンと、クレール・フェルカック Claire Fercak というフランスの若い作家が9月に共著で出した『Chants magnétiques』という本で読んだ。題名は、磁力をもつ歌、人をひきつける歌、というほどの意味かな。
 本の前半はフェルカックによるエコーの物語で、後半はビリーによる、やはりギリシア神話の王女メデイアの復讐物語。
 ビリー・コーガンと、82年生まれの女性作家とのこのコラボレーションは、どうやって実現したのだろう?(つづく)
 
 スマパンついでに、この映像を。
 あまりにも美しい<Today>のイントロは、いろんなミュージシャンが借用・引用・サンプリングしているというけれど(たとえばこれ)、このピョンピョンしてるのを見ると、Tのあの曲も影響を受けているのは確かですね。
Smashing Pumpkins - Today @ Live Rockpalast 1996 DVD RIP


Dをみた

2010-11-18 | ソ・テジ

 変わりばえのしない1週間前の写真ですみません。
 
  ロシア語のことわざに、「仕事はオオカミではないから、森に逃げない」というのがあるそうだ。仕事はいつでもできるから急いですることはない、人生の優先順位は他にある、というほどの意味らしい。
 でもそうも言ってられないので、4日間、メビウスツアーのDVDは全くみなかった。
 テジはオオカミではないから、森に逃げない。

 Dがちゃんと待っていてくれたので、昨日、最終リハーサル(実際の公演の映像とダブらせた編集がカッコいい。朝4時の無精ヒゲにやられた。)と、スタッフインタビューと、アンコール公演最終日のライブ映像をみた。ライブはもっとMCがたくさん入っているのかな、と漠然と思っていたら、ほとんどCDと同じバージョンでキリリとまとめてある。
 ムダなことは言うまい。
 見た後はただもうひたすら、今度はいつ会えるんだろう、早く会いたいよう(少し涙)、という思いばかり。

 昨日はいっしょうけんめい見すぎてどっと疲れて寝てしまったので、先週見たメイキングを今日また見直した。
 美しすぎて君がこわい(笑)。この愛にあふれる世界は何なのだ。
 うーん、もう何も言えない。言いたくない。
 感想なんか、書けない。
 「草食動物の中で世界で一番怖いバッファロー」(@テジ)の皆さま、どうぞ許してくださいね。

P.S. テジ様、感謝の言葉すらまともに書けないわたしを、どうか火星に追放してください。


青いDが来た

2010-11-12 | ソ・テジ

 とうとうDが来た。
 あまりにも美しい箱に入っているので、感動にふるえた。
 なんだか夢の中に入っていくような。
 開閉部はマグネット式になっています。そうっと、おそるおそる開けました。
 あまりにも意匠が凝らされたつくりにため息が出ます。
 ハコからしてこの力の入りようだとすると、4枚の円盤の中身がおそろしくなります。
 
 とても特別な贈り物であることはまちがいありません。
 おもわずひざまずいて天とテジ様に感謝しました。
 ありがとうございます。
 では、これからみることにします。

 1時間後 追記:
  みはじめて15分もしないうちに、急な仕事の依頼の電話。
 こ、このタイミングって…T_T


メビウスDVD発売日

2010-11-10 | ソ・テジ

 ソテジバンドのメビウスツアーDVD&ブルーレイ特別版の発売日。
 オンラインで注文した人にも、宅配便が今日届いたというのはすばらしい(韓国内の話)。
 縦37センチという奇妙な大きさは、ちょっと置き場に困りそう。うちに届く前に居場所を作っておいてあげよう。

 発売されるや韓国のオリコン、ハンターチャート(ここ)のデイリーランキングで1位!
 というNATEニュースの記事(ここ)を見ていたら、約400件のコメントの中にアンチの方々もけっこういらっしゃる。わざわざ自分の時間を使って嫌いな人の悪口を書いてくれる人々は、
「Live Wireで縛ってバミューダトライアングルに飛ばし、ウルトラマンチョップを食らわせ、それでも懲りなければイースター島へ送ってしまえ」(って島が困ると思う)という意見に笑った。
 ただし、同じ内容のDVDとブルーレイを一緒に売るのはちょっと、という意見には同感です。
 
 ついでに言うと、このメビウスの輪、メビウスの輪ではなくて、オモテが永遠にオモテのままぐるぐる8の字を描いているのが気になるといえば、気になります。
 これではウルトラマンメビウスではなく、ウルトラマンエイトだ(そんなのいたっけ?) 
 余計なことが気にならないように、D君、早く届け~

11/11後記:昨夜アンチについて余計なことを書いて今朝気分が悪くなったので、大幅に書き換えました。
   
           


本日のジョーク

2010-11-08 | 言葉
 時々ジョークを送ってくれるアルジェリアのアメルさんから、久しぶりに新作が届いた。
 例によって悩める男女がテーマだけど、今回のは日本でも十分通じる。2本だけ削除して、以下そのまま訳してみました。
 ちなみに写真は、トポールのまねをしようとして奇怪なことになった。
 エアープラントは、アラブの甘~いミントティーの湯気のつもりだったんだけど。

*長続きする愛
 私は49年間、ひとりの女性を愛し続けた。
 もし妻がそれを知ったら、私を殺すだろう。

*手をつないで
 私たちはいつも手をつないでいる。手を放したら、彼女はショッピングに走るのだ。

*エステティシャン
 妻は2時間、エステティシャンのところにいた。
 見積もりのために…

*本日の思索(熟考すべし)
 2002年、豊胸術とヴァイアグラのために世界中で使われたお金は、アルツハイマー症の研究費の5倍だった。
 そうすると30年後には、デカイ胸と見事な勃起を備えながら、それがいったい何の役に立つのかさっぱり思い出せない人々が大勢いるということだ。
 以上、本日の思索でした。

*女はもう結婚しない
 なぜ85%の女性は、もはや結婚しないのだろうか。
 たった60グラムのソーセージのために豚を丸ごと買う必要はない、ということを女たちはついに理解したのである。

*男性ニューロン
 ニューロンが1個、男性の脳に迷い込んだ。中はまっくらでカラッポで何もない。
 「おーい」とニューロンは呼んでみた。
 が、カラッポの空間に響きわたるばかり。そこでもう一度、
 「おーい」
 すると突然、別のニューロンが現れて言った。
 「こんなところで一人で何してるんだよ。みんな下に行ってるんだぜ!」

*結婚か蜃気楼か
 結婚は砂漠の蜃気楼のようなものだ。宮殿、ヤシの木、ラクダたち。
 突然、すべては消え… そこにいるのはラクダ1頭だけ。
 (*結婚mariageと蜃気楼mirageの類似による言葉遊び。)

*だれ似?
 今にも赤ん坊が生まれそうな妻に、夫が言った。
 「もしも君に似てたら、すごいことになるね」
 妻が答えた。
 「万が一あなたに似てたら、奇跡だわ」

*この父にしてこの子あり
 産科の看護婦が若い母親に言った。
 「天使みたいな赤ちゃんね。寝たらもう、じっとして動かないんだもの」
 「まあ父親そっくり!」

*完全ダイエット
 妻が夫に電話して言った。
 「痩身クリニックで2週間過ごしたら、半分になったのよ!」
 夫が答えた。
 「あと2週間いなさい」

*図書館
 男が図書館にやってきて、職員に尋ねた。
 「本を探してるんですが」
 「どんな本でしょう?」
 「『オトコは強い性である』という題です」
 すると職員は言った。
 「SFの本は、地下にあります」

 
アメルさん、ありがとう~


あとのまつり

2010-11-06 | 日記

 先週、ある先生が「画家トポールは、旅人を足枷に鎖でつながれた姿で描いた」と言ったので、どんな絵だろう、と思って探してみた。
 たぶん、この絵のことだろう。「旅行鞄をもつ男」という題名がついている。
 旅人は過去の記憶をどっさり抱えて旅をしており、異国の見知らぬ風景の中にあっても完全に自分を解き放つことはできない、というようなことを先生は言われたのだったっけ。

 ポーランド系フランス人の画家ローラン・トポールRoland TOPOR(1938~1997)は、シュールなブラックユーモアで知られる、作家・映像作家・歌手・俳優でもあった奇才である。(伝記作家によるこのサイトが映像資料も満載で詳しい。)
 日本でも、彼の最初の画集『マゾヒストたち』(1960)が澁澤龍彦編で出版された(1972、薔薇十字社刊、このブログを参照)のをはじめ、小説『幻の下宿人』や、彼が原画を描いたアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』(1973)などが紹介されている。
 トポールのことはよく知らなかったので、今回初めて彼の絵をまとめて見た。

Grand Macabre (The 'panic' drawings of Roland Topor)
 
(背景の音楽はストラヴィンスキー「春の祭典」)

 彼についての別の動画を見ていたら、トポールが「“経験とは、禿げ頭にとっての櫛である”という中国のことわざが大好きだ」と言っていた(これ)。
 はて。そんな中国のことわざがあったっけ。
 どういう意味なんだろう。
 経験なんて無用の長物ということか?
 経験というものは、男が禿げ頭になる頃に与えられる櫛である→経験するのを待っていては何もできない→見る前に跳べ、ということか?

 そんなことを考えていたら、今朝、佐野洋子さんの訃報を知った。
 本業は絵本作り(と、本のあとがきにあった)だけど、彼女の歯に衣着せぬエッセイのファンだったので、好きな人がまた一人いなくなっちゃったなあ…と思いながら、以前読んだ本をぱらぱらめくっていた。
 そしたら、「あとのまつり」と題された文が目に止まった。

人生は長い。長いが短い。長い人生をやっていると、うすぼんやりと、あるいははたと、あるいはピカッとわかる事がたちあらわれて来る。(中略)
 しかし、わかった事はもう手おくれな事が多い。人生は短い。例えば、結婚とは、恋愛とか理想とかなりゆきとか半狂乱とか打算とかいろいろ動機はあるが、つまるところ相性がいいかどうかという事なんだと気がついた時は、離婚したあと、失敗したあとのまつりだったりする。しかし相性が悪いなどという事は長い年月がたってからわかる事であって、発情期の未熟な若者になどわかるはずがあろうか
」(
佐野洋子『ふつうがえらい』新潮文庫、1995)

 そうか、「経験は禿げた人のための櫛」というのは、「経験しても、あとのまつり」ということでもあるんだな。髪の毛がなくなっってしまった悲哀は、まつりのあとの悲哀に通じるし。
 経験した時には、すでに手遅れ。いつもすでに、あとのまつり。(ってわたしのことか)

 とはいえ、「自分はアーティストというより、バカなことをする人(déconneur)なんだよ」と言うトポールが、「あとのまつり」の苦い後悔に浸ったりするとは思えないので、少なくとも彼はこの中国のことわざを、経験など新しいことをするのに何の役にも立たない、というほどの意味で使ったのだろう。冒頭の絵に結びつけて言うなら、過去の経験は足枷である、ということかな。

 佐野洋子さんのご冥福を謹んでお祈りいたします。


メビウスツアーDVD発売

2010-11-02 | ソ・テジ

 ソ・テジのメビウスツアーDVD&ブルーレイ4枚組のスペシャル版が11月10日発売、今日から予約開始。
お店によって、スペシャル版は1万5千枚セット限定と書いてあったり、なかったり(ETPショップには書いてない)。
 同じ内容のDVDとブルーレイがそれぞれ2枚ずつ入っているので、やがて出るであろう普通版でどちらか一方を買えばいい気がするけど、全国ツアー前日の最終リハーサル映像はスペシャル版のみとなると、選択の余地なんかあるはずもない。
 
 あわてることもないと思ったけど、精神の安定のため教保文庫でさっそく予約した。
 定価82000ウォン、今日のレートで約6000円。
  19歳未満購入不可となっているのは、<F.M BUSINESS>の歌詞の ♪Fucked upという表現が青少年の健全育成に望ましくないため(苦笑)。

Disc 1 : 2009 SEOTAIJI BAND LIVE TOUR[The Mobius] "THE CONCERT"
(8月30日のオリンピック体操競技場でのアンコール公演全24曲)

Disc 2 : 2009 SEOTAIJI BAND LIVE TOUR[The Mobius] "SPECIAL FEATURE"
・Making 1+1 = ∞         (11回の公演のメイキング映像 2時間)
・Talk about The Mobius    (スタッフインタビュー)
・The Final Rehearsal Special (Techno-Tスタジオでの最終リハ映像 30分)

 ソ・テジの映像作品としては、これまでで最長のランニングタイム280分。
 4時間40分は、秋の夜長でもいっぺんには見られそうもない。あの人にひと晩中付き合う覚悟で見よう。
 初回限定で、携帯ストラップになった液晶クリーナー付き。