駄馬にも乾杯を

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【中央重賞懐古的回顧】2013年AJCCダノンバラード

2023-01-16 22:13:47 | その他の競馬話

お借りした)

この記事には、不評のJRA降着制度の事が出ていたのでアップしたんだが

「降着・採決制度(ルール)」は前も現在も裁決委員会の「主観」で決まるものだから(当然一定の判断基準はあるだろうが)

古くはメジロマックィーンの秋天1着→最下位降着とか

新制度へのきっかけになった2010年ジャパンカップのブエナビスタ&ローズキングダム&ヴィクトワールピサが絡んだ降着(ブエナビスタが1着→2着降着)事件とかもあって

制度内容の見直しになったんだろうが、逆に今度は「これはいかんやろ?」と言うようなものでもほとんど降着無しと言う変な形になってしまった

かと言ってもっと正しい基準とか正確な判断とかを求めすぎるのもちと難があるのは事実だろう

※末尾に過去の重賞における降着事案を載せたので興味のある人はどうぞ

 


【中央重賞懐古的回顧】2013年AJCC 新ルール施行直後の…「英雄の初年度産駒」ダノンバラード復権への道

 

週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第51回は2013年のアメリカジョッキークラブカップ優勝馬ダノンバラードを取り上げる。


今回は性質上デリケートなネタを取り扱う。そのため、いつも以上に言葉を慎重に選びながら書き進めていきたいと思っている。よろしくお願いします。

2012年6月10日の東京8Rにて、1位入線のファイナルフォームがゴール寸前で外に斜行し、3位で入線したランパスインベガスの進路を妨害した。入線後、約15分間に渡り審議が行われたが、結果として入線順通りで着順が確定した。勝ち馬の鞍上の内田博幸騎手には2日間の騎乗停止処分が下されたが、3着ランパスインベガスの小島茂之調教師が裁決に対して不服申し立てを行うも「降着にするほど致命的とは言えない」という理由により却下されたことで、ファンの間で降着ルールに関する議論が紛糾する事態となった。

その“事件”の影響がどれだけあったのかは分からないが、翌2013年よりJRAにおける降着・失格のルールが大幅に変更された。降着に関しては、それまでの「走行妨害が、被害馬の競走能力の発揮に重大な影響を与えたと裁決委員が判断した場合」から「入線した馬について、『その走行妨害がなければ被害馬が加害馬に先着していた』と裁決委員が判断した場合」に行われると新たに規定されたわけだが、先のファイナルフォームの件の裁決を追認する変更と受け取られたり、前年のジャパンCにおける物議を呼んだ裁決も相まって、新ルールの運用について疑問視する声も上がった。

2013年のG2・AJCCは、この新・降着ルールの施行直後に行われた重賞である。レース結果は、ディープインパクトの初年度産駒・ダノンバラードが約2年1ヶ月ぶりの重賞制覇をマークするという意義深いものだったのだが、その内容はちょっといただけなかった。直線で大きく内に切れ込み、2着トランスワープと9着ゲシュタルトの進路を塞いだのだ。

確定前にトランスワープを管理する萩原清調教師および鞍上の大野拓弥騎手が降着の裁決を求める申し立てを行ったことで審議の青ランプが点灯したが、「その影響がなければ5番トランスワープは3番ダノンバラードより先に入線したとは認めなかったため」という判断により、到着順位通り確定した。事態はまた紛糾した。ルール改正によって降着の判断を取りづらくなり、ラフプレーの“やり得”が横行するのではないか…と懸念されたためだ。そもそも「走行妨害がなければ先着していた」という判断基準がどうも不明瞭なのである。ちなみにダノンバラードに騎乗したフランシス・ベリー騎手には開催日6日間の騎乗停止処分が下されている。

F・ベリー騎手の本邦における重賞初勝利が後味の悪い形となってしまったのは残念だったが、翌日の京成杯をフェイムゲームで制すなど同騎手はその後も存在感を示した。そしてダノンバラードも数奇な運命を辿りながら、産駒キタウイングやロードブレスらの活躍により種牡馬として復権を果たした。一方、現行の降着ルールに関しては未だ議論の余地があるだろう。JRAには大多数のファンが納得する裁決を願いたいものだ。

 


重賞競走における1位入線馬の降着・失格


1991年 - 第104回天皇賞において1位に入線したメジロマックイーン(武豊騎乗)が発走直後左に進路を取った。しかし、その進路の取り方が他馬を妨害したとして18着(最下位)に降着となった(繰り上がりで1着となったのはプレクラスニー)。この年は降着制度が適用された初年度でもあり、降着について理解していなかったファンも多かったため、勝馬投票券の払い戻しなどをめぐり大混乱を招いた。1位入線馬、しかも圧倒的人気を背負っていた馬の降着は波紋を呼び、のちに東京競馬場芝2000メートルのスタート地点が改修されるきっかけになった。
1993年 - 阪神障害ステークス(秋) ヤマノジパング 1位入線3着降着 2周目第4コーナーで内斜行
1996年 - 函館記念 マイヨジョンヌ 1位入線4着降着 最後の直線で内斜行
1996年 - ユニコーンステークス バトルライン 1位入線10着降着 第4コーナーで内斜行
1999年 - アーリントンカップ バイオマスター 1位入線2着降着 最後の直線で内斜行
2001年 - 京都大賞典 ステイゴールド 1位入線失格 最後の直線で外斜行し、被害馬(ナリタトップロード)が落馬・競走中止
2002年 - カブトヤマ記念 カンファーベスト 1位入線10着降着 最後の直線で内斜行
2003年 - 東海ステークス ディーエスサンダー 1位入線3着降着 最後の直線で内斜行
2006年 - 第31回エリザベス女王杯で1位に入線したカワカミプリンセス(本田優騎乗)が最後の直線で右に斜行し、ヤマニンシュクルの進路を妨害したとして12着に降着となった(繰り上がりで1着となったのはフサイチパンドラ)。
2010年 - 第30回ジャパンカップで1位に入線したブエナビスタ(クリストフ・スミヨン騎乗)が最後の直線で急に左に斜行し、ローズキングダムの進路を妨害したため2着に降着となった(繰り上がりで1着となったのはローズキングダム)。
2020年 - 第50回高松宮記念で1位に入線したクリノガウディー(和田竜二騎乗)が最後の直線で左に斜行し、ダイアトニックの進路を妨害したため4着に降着となった(繰り上がりで1着となったのはモズスーパーフレア)。新ルール適用後、GI競走で1位入線馬・3位以内入線馬の降着はいずれも初めて。

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