▲7月30日に17歳でこの世を去ったディープインパクト (撮影:山中博喜)
わずか11日の間に、日本の競走馬生産界を代表する2頭の種牡馬が、相次いでこの世を去った。ディープインパクトは17歳(7月30日没)、キングカメハメハは18歳(8月9日没)だった。
同じ繁殖馬でも、牝馬は出産自体が非常に危険で、産後に命を落とす例は少なくない。だが、種牡馬の場合は20歳を超えても供用される例があり、有名どころではブライアンズタイム(1985-2013)が、死の直前、28歳の春まで供用されていた。
今回の2頭は早すぎたと言うべきで、思えばディープの父サンデーサイレンス(SS)も16歳までしか生きられなかった。彼らの短命さと引き換えに、3頭を抱えていた社台グループは、国内の競走馬市場を完全に支配下に置いた。早すぎる死が、偶然とは思えない理由だ。
首の手術直後に…ディープ
ディープインパクトの死は唐突だった。首の不調で3月半ばから交配を中止してはいたが、一報に接した時は「まさか」と思った。結果的に、死の2日前の7月28日に頸椎を手術したことが裏目に出たようだ。
米国の専門医が執刀したが、人間と同じく首は急所。落馬した騎手が頸椎にダメージを負う場合があり、治療・リハビリの過酷さは周知の事実。手術箇所が絶対に動かないよう、患部を固定する必要があり。事情を理解できる人間にも大変な苦行だから、何のために何をされたのかわからない馬に耐えられるのか? 実際、手術翌日の29日に起立不能となり、頸椎骨折が判明。30日には安楽死措置が取られた。
▲繋養先の社台SSで、放牧地を駆け回るディープインパクト (撮影:山中博喜)
手術の決断の背後には、来年から再び、正常に供用したかった関係者の意向がのぞく。昨年は種付け料を国内史上最高の4000万円に設定。交配数を絞ったが、それでも197頭。健康が許せば、当面は同じペースを維持する構えだったのだろう。
しかも、13年から体調不良で交配数を制限していたキングカメハメハが、今年は種付けを中止し、7月のセレクトセール(日本競走馬協会主催)期間中に正式に引退が発表された。両馬が一度に表舞台を去る事態だけは避けたかったのだろう。
体調悪化後も有力馬出したが…
キングカメハメハの方は前記の通り、13年からずっと体調が悪いままだった。当初は局部からの出血が止まらない症状と伝えられ、後に免疫機能の低下が判明。投薬や幹細胞移植など、様々な治療法が試されたという。
治療と並行して供用は続けられ、数を減らしたとは言え、14-18年以降は3桁を維持。16年は151頭と交配し、登録産駒(現2歳)は96頭。だが、昨年後半から投薬の効果も薄れ、今年は当初から交配を中止し、種牡馬シンジケート解散に向けた作業の後、引退した。
▲社台SSで過ごしていた頃のキングカメハメハ (撮影:山中博喜)
体調を崩した後でも、種牡馬としてのパフォーマンスはさほど低下しなかった。交配数が唯一、2桁に落ちた13年(81頭=14年産、登録産駒50頭)も、GIを2勝したレイデオロやGIII勝ちのエアウィンザーなどを出しており、その後も毎年、コンスタントに重賞勝ち馬を出し続けた。
今年のセレクトセールでは、1歳8頭、当歳6頭の上場馬が完売。1億円以上の馬も1歳、当歳各2頭ずつ出た。限られた数の交配相手を選ぶ基準は、「前年に予約があった」などの案件を優先したという。牝馬の質も高かったと思われるが、種牡馬としての資質を再認識させるに十分だ。
こうした経緯から見て、今季はよほど体調が悪かったのだろう。生産者・ノーザンファーム(NF)の吉田勝己代表も「最後は視力も失っていた」と話した。8月9日夜に容体が急変し、懸命の治療も効果がなかった。
問われる大量種付けの功罪
冒頭でブライアンズタイムについて触れたが、同馬は24シーズンで総交配数は2121頭、登録産駒数は1558頭だった。1年遅く国内での供用が始まり、16歳の8月に死んだSSは12シーズンで1837頭と交配し、登録産駒数は1514頭。SSはほぼ半分の期間でブライアンズタイムと大差ない登録産駒を残した。
実はSSも、当初の数年は目立って多くはなかった。交配数が3桁に達したのは4年目(118頭)で、96年に183頭に急増。セレクトセール創設翌年の99年に199頭を記録し、死の前年の01年に223頭。ディープインパクトもここで交配され、翌年3月25日に生まれた。
ブライアンズタイムの場合、当初の3年は62頭ずつの後、4年目が61頭。これは当時の種牡馬シンジケートの一般的な運用方式通りだった。種の希少性を損ねないために、口数(60口が多い)を大きく超えないようにしていたのだ。ところが、SSを抱える社台グループはこの「禁」を破った。希少性を守るのではなく、圧倒的な数で市場を支配する方向にカジを切ったのだ。
折しも、生産界には不況の足音が忍び寄り、生産頭数の減少傾向が見え始めていた。もとより、質の高い繁殖牝馬は数も限られている。SSの交配数が「青天井」なら、良質馬が吸い寄せられるのは必定。セレクトセールを経て、「気の利いたSS産駒は1億円以上で売れる」という新たな「常識」が生まれたことも大きい。
種牡馬生活の晩年に交配数を増やしたことが、SSの寿命を縮めた可能性はあるが、社台グループは揺るぎない国内市場支配権を手にした。
SSとブライアンズタイムの歩みを振り返ると、「種牡馬の運命は関係者次第」という身もふたもない真理を痛感する。ブライアンズタイム導入の主役を果たした早田牧場は、SSとの競争で押され、ただでさえ厳しかった財務体質がさらに悪化。
やむなく今世紀に入り、目先の収入確保のため、ブライアンズタイムの交配数を増やし始めたが、生産界では序列が物を言う。ひとたび「ナンバー2」の座に収まると、最上級の牝馬を集めるのは難しい。元来、抱えている繁殖牝馬の質も社台グループの方がはるかに上となれば、結果は見えていた。02年11月、早田牧場は札幌地裁から破産宣告を受け、表舞台を去った。
種牡馬運用でも閾値を追及?
国内無敵となった社台グループは、種牡馬の運用にあっても未踏の領域に踏み出していった。SSの年間交配数200頭超えでも十分に驚きだったが、キングカメハメハが参入した05年前後から、最大値が250前後に設定された模様。
同馬は初年度244頭で、2年目は256頭。フジキセキも14歳だった06年に252頭を記録。キングカメハメハより1歳上の二冠馬ネオユニヴァースも、06年が247頭で、07、09年に251頭の自己最多を記録した。
交配数が増えた背景には、「牝馬側の交配の適機を直腸検査などで的確に把握できるようになった事情がある」と説明される。そういう部分もあったとは思われるが、SSやブライアンズタイムの当初の交配数と登録産駒数を見ると、後年に比べて産駒の誕生する確率がかなり高い。おそらく、同じ牝馬が受胎するまで交配を繰り返したと思われる。
ディープの供用開始から17年交配(18年産)までに、登録産駒数は交配数の64.5%、当初5年に限っても66.3%である。これに対し、SSは供用開始から5年で81.7%、生涯では82.4%だった。授精能力の差もあったと思われるが、繰り返しを減らしたことも影響したのではないか。
ディープと世代的に近い種牡馬を見ると、キングカメハメハは17年までの数値が76.3%と抜けて高く、ダイワメジャーとハーツクライは仲良く67.7%で並んでいる。
10年代に入ると、1頭の交配数増加に拍車がかかる。キングカメハメハは10、11年が自己最多の266頭。ディープは13年に262頭の自己最多で、13-17年は5年連続で240頭を上回った。ロードカナロアが初年度から5年連続で250頭を超え、昨年は294頭。来年、初年度産駒がデビューするドゥラメンテは17年284頭、18年は290頭である。各馬の交配数は例年、8月中に各種馬場から発表されるが、今年は300の声を聞くかも知れない。
資源をほぼ独占しているから、外野に「ここまでやるか」と思わせる動き方ができる。例えば、今のNFなら育成段階で評価の高い馬を“閾値”レベルまで鍛えた結果、つぶれる馬が出たとしても、生き残った馬がトップに立つ可能性は高い。種牡馬にしても、限られた国内の繁殖牝馬を、社台スタリオンステーション(社台SS)が擁する種牡馬で「囲い込んで」しまえば、市場支配は鉄壁だ。
実際、ディープとキングカメハメハが消えた後の来年も、多くの生産者の足は社台SSに向かうだろう。既に対案はないのだ。2頭の早世を「人災」と規定する根拠は持ち合わせていないが、周辺の状況から、人間の意思が絡んで天寿を全うできなかった疑いは残る。
北米も200頭超え種牡馬が増加
日本のような多頭数交配は世界でも行われているのか? 米国ジョッキークラブの資料によると、今世紀最多は16年のアンクルモーの253頭。01-18年で200頭超えが出なかった年は5回だけで、過去5年は200頭超えが3-5頭出ている。
米ケンタッキー州でウィンチェスターファームを営む吉田直哉代表は筆者のメールでの質問に答えて、「米国では200頭以上を交配すると産駒の価格割れを起こすとの共通認識がありますが、産駒数が増えると総獲得賞金も増えランクが上がりますので、若い種牡馬は多少無理が掛かっても交配頭数を増やしていく傾向にあり、その後、様子を見て頭数制限をかけます」と、現地の事情を説明した。数の論理で市場支配を狙うのが、日本だけの話ではないのがわかる。
問題は、年間生産頭数が2万頭で世界最多を誇る米国に比べ、7000頭を超える程度の日本で、こうした市場支配戦略が、将来的にいかなる影響を及ぼすか。今やSS系とキングカメハメハ系があふれかえる状況で、何か新たな鉱脈を発掘しないと、血の偏りはさらに深刻化するだろう。
思えば、社台グループの中興の祖・吉田善哉氏(故人)は、当たるまでひたすら馬を買い続けた人だった。ただし、善哉氏の時代の社台は、上位に位置していても絶対王者ではなかった。
今後の生産界が直面する問題を解決できる主体は、同グループ以外に見当たらないが、巨大化した彼らは善哉氏という原点に立ち戻れるだろうか?