昭和50年頃の航空写真と現在の航空写真を見比べていたら、神社の丘の南東部分の形状が少し違っていることに気が付きました。ブルーの斜線部分です。
下の写真が現在のものですが、ピンクのラインで昭和50年頃の道も入れてみました。
現在の写真で、参道下の離れ小島のようになっているブルーの斜線箇所ですが、以前はここは曲輪の先端だったようです。
この曲輪の部分は、下の写真の入口BとCの部分に該当します。
B⇔C間が昭和50年頃には使われていた旧道だったところだというわけです。
せっかくですので、入口Bから旧道に突入です。
入口Bは昭和50年頃は土のままの道ですが、現在は入口付近はアスファルトです。
少しだけ坂道になっていて、登っていくとすぐ土の道になります。これが昔のままの道。
道が曲線になっており、そのまま進むと入口Cに出るはずですが、、、残念。草木がボーボーで通れなくなっていました。
少しだけ進んでみると、進行方向の左手の薮の中に石垣が見えます。この石垣は、もしかしたら城があった時代の曲輪の一番下の段の石垣かもしれません。
それか昭和27.8年頃に神社建て替え時に道を作った時の石垣かもしれません。
今はどちらかは分かりませんが、城があった時代の石垣であることを期待したいですね。
曲輪の部分は石垣と旧道を残して、こんな感じになっていました。
写真を更に比較してよく見ていくと、「古地図から見る歴史(3)世之主神社の隠れた小道」で紹介した神社北側の車が入れる道の脇にある小道、これは昭和50年頃まで使われていた旧道だと分かりました。
この道は昭和37年頃に神社を建て替えるときに、重機などの機械を入れるために道を作ったといいます。それまでは人しか登れない道だけだったといいます。
現在の道は平成20年頃に整備されて今のルートになっています。神社の山の一部を切り崩して道にしたり、曲輪だった部分を切り離して間に道路を入れたりと、道路だけでも位置や形状が昔と違っています。
上空からの写真では分かりにくいですが、道の高低も変わっているようです。平成20年頃にできた新しい道は、旧道よりも低い位置に作られているようです。
今回は写真で辿ることができたのは、昭和50年頃と現在との比較ですが、この50年程で道や土地の形状が大きく変わっているようです。
まだまだ道シリーズは続きます。