参拝客が絶えない文殊堂。
文殊名物、知恵の餅。
向こうに見えるのが宮津の町。
背後がこんなに山だったとは……。
風水の研究家でもある宮津市長・井上正嗣氏によれば、
宮津は風水的に最高の地なのだとか。
京都(平安京)の街と同じく、玄武(大江山)、白虎(栗田半島)
青龍(丹後半島)、朱雀(宮津湾)という四神に護られている。
太極の構図を持ち、陰と陽の調和した永遠の都だという。
そういえば天橋立には元伊勢・籠(この)神社があり、
代々宮司を務める海部(あまべ)氏は天皇家より古い系図を
持つことで知られている。
戦前は皇室をはばかってその系図を公にできなかったそうだが
いまは国宝に指定されている。
地元のペットボトル水は、その名も「龍の水」。
籠神社の奥の院・真名井神社は有名なパワースポット。
静謐で神秘的な空気が漂う。
ここの湧き水を汲みに来る人も多い。
パワーをいただいたせいか、おなかがすく。
ランチは二日間とも、この海鮮丼。
やっぱり宮津は魚がおいしい!
この店(天橋立・松和物産)の跡継ぎはこんなイケメン。
お母さんによれば「お嫁さん募集中」だそうだが、
殺到するでしょう、彼なら。
店の前で焼いて食べさせてくれた「えのは」という
二センチくらいの小魚。癖がなくておいしい。
子供の頃、この町で、心ない大人にはずいぶんいじめられた。
でもありがたいことに、子供同士のいじめにはあわなかった。
今回、一緒に宮津へ行ってくれたMさんは、学校の先生の娘で
お兄さんは京大へストレートで入った秀才。
Mさん自身も勉強ができて人柄が良く、先生や同級生の信頼を
一身に集める人だった。
エリートグループの友人達に、いつも囲まれていた。
そのグループは誰一人として私など見向きもしなかったが
なぜかMさんは、私を親友とみなしてくれていた。
二人で自転車を並べ、よく天橋立へ行った。
狭い町なのだから、私にはやっかいな事情があることを
彼女もうすうすわかっていただろう。
でも何も訊かず、何も言わず、私がどこへ行こうと、
今日に至るまで、ずっと友達であり続けてくれた。
私は大人になってからも紆余曲折の人生で、連絡など
自分の方からはしなかったことが多い。
でも彼女は変わらなかった。
ずっと私を見ていてくれた。
いまになって、なんとありがたいことだろうとしみじみ思う。
「あなたね、中学二年の時、家出して東京へ行ったって
書いたり喋ったりしてるよね。でも、あれ間違ってるよ。
中学三年の一学期が終わるときだからね、あなたがいなくなったのは」
旅の初め、山陰本線に並んで座ったとたん、彼女が言った。
ああ、そういえばそうだ。
あれは14歳が終わろうとしていた時、中学三年の夏だった。
「それからね、高校二年の時、あなたは宮津へ一人で
来たのよ。そしてうちへ泊まったのよ」
え? まったく記憶にない。
家出から三年目にこの町へ? 人に見られたらどうするの?
旅費はどうやって工面したのか。
だけど彼女の手には、証拠写真まであった。
17歳。天橋立で、おどけたポーズをしている私。
思うに、彼女の家に泊めてもらい、一緒に天橋立へ
行っただけの旅だったのだろう。
言われてかすかに、彼女の家で、彼女のご両親も一緒に
食卓を囲んでいる光景が甦った。
あの時がそうだったのか。
でもほかのことは何ひとつ思い出せない。
今回の旅は終わったが、記憶を探る私の旅は、
生きてる限り続きそうだ。
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