「さなぎの家」がある。
来る人拒まずの場所だが、主たる仕事は路上生活者支援。
寄付でいただいた毛布、衣類、石鹸、タオルなどは
ここに集められ、それを必要とする人に手渡される。
さなぎの家

さなぎの家

週に一回、関内周辺の路上生活者の見守りとして
木曜パトロールも実地している。
1983年に横浜で中学生による浮浪者襲撃事件が起きた。
それを機に、1984年から、路上生活者の見守りと
支援を兼ねておこなわれるようになった。
私は何年ぶりかの参加。
夜、八時過ぎに「さなぎの家」へ行くと、
早くも数人のボランティアが来ていた。
女性は私を入れて3人。
本日、配られるものは、もうちゃんと準備されている。
毛布、下着、小分けにした洗剤、石鹸、カイロ、
髭剃り、タオル、スープ用の紙コップと魔法瓶など。

外に出し、すべて揃ってるかどうか確認。

10人ほどのボランティアが、横浜スタジアム、
関内地下方面の二手に分かれ、九時に出発。
私は関内地下方面グループに入った。
「女の人にスープを渡される方がね、相手は気持ちが
和らぐんだよ。今日は女性がいて良かった」
と、ボランティアの一人に言われ、ちょっと嬉しくなる。
まずは近くの文化体育館から。
冷たい敷石が広がり、まだ雪が残るこんなところにも
三人ほど、毛布にくるまって寝ている人がいた。

重たい荷物を担いで、関内駅方面へ向かうボランティア達。

写真は遠慮したが、関内地下道の一部は段ボールハウスの列だった。
でもここなら雨風を防ぐことができる。
わりあい、暖かいし。
女性も一人いた。
待っていた人達に、私は暖かいスープを渡す。

また外に出て、何人かの路上生活者と出会った後、市役所のそばへ。
ここにはいくつかのテントがあった。
おそらく夜だけで、夜明けと共に畳んで、別のところに移動するのだろう。
図書館とかファストフード店とか……。


「さなぎの家」の池田さん(男性)は、テントに声を掛け、
時にはそっとジッパーを開けて、中の人に話しかけ
安否確認をする。
「寝てた? ごめんね。なにか必要なものはある? 体、大丈夫?
良かったら、いつでも来てくださいね」
そっと、「さなぎの家」のチラシを置いていく。
ここだけではなく、どこでも、池田さんが相手に声を掛けるまで
ボランティア達はじっと待つ。
勝手に話しかけたり、物を配ったりはしない。
私も、向こうから「スープください」と言ってくる人には
カップを渡すが、それ以外は、池田さんから「この人にスープを」
と指示があるまで待った。
路上生活者達は、いろんな事情を抱えている。
心身ともに病んでいる人も多い。
働いてるけど家がなくて路上生活、という人もいる。
その人達のプライドを傷つけないよう、邪魔にならないよう
池田さんが細心の注意を払って対応しているのがわかる。
ボランティア達はみな、それがわかっているのだ。
「さなぎの家」には櫻井さんという大ベテランがいらっしゃるが
彼の元で、池田さんもそのやり方を謙虚に学んだのだろう。
傷を持つ人には、やさしい言葉を掛ければいいというものではない。
その言葉が、かえって傷をえぐることだってある。
それが充分にわかっているプロでないと、なかなかできる仕事ではない。
十時を回った頃、「さなぎの家」に戻った。
残ったスープを、私も一杯いただいた。
粉末スープを熱いお湯で溶いただけのものなのだが、
全身においしさが回った。
