ごく若い頃、数年間、コピーライターをしていた。
物書きとしての仕事は、それがスタートだった。
その頃のことをインタビューなどで訊かれると、
「最初は六本木の広告プロダクション、次に赤坂の広告代理店
に勤めました」
と、いつも答えていた。
でも今日、不意に「いや、その間にもうひとつあった」
ことを思い出した。
意図的に忘れたわけではなく、短い期間だったから
いつの間にか記憶から抜け落ちたのだろう。
六本木のプロダクションでは「コピーライター」という
肩書はあったものの、使い走りみたいな仕事しか与えてもらえなかった。
あげく、プロダクションの体制が変わる際、リストラでは
なかったが、出て行った方がいいんだろうなあ、
と自覚せざるを得ないような扱いを受け、辞職した。
キャッチーな短い文章を書く自信はあったのだが、
広告のなんたるかをちゃんと勉強していなかったし、
自己アピール力がまったくなかったのだから
まあ当然の結果である。
しかし、無職ではいられない。
コピーライターとしてのキャリアなど無きに等しかったが、
一年くらい「コピーライター」として、広告プロダクションに
在籍していたという事実はある。
しかも、後に名を成す若いデザイナーやイラストレーターが
何人もいたプロダクションである。
それを頼りに業界紙の求人広告など見るのだが
どこもちゃんとしたキャリアのあるコピーライターしか
求めていない。
キャリアが少なければ大卒が条件。
私は高卒で、久保田宣伝研究所という養成所を出ただけ。
となると、どこでもいいからとにかくコピーライター
として雇ってくれるところに入り、「キャリア」の年数を
稼ぐしかない。
だから、入れてくれる会社が見つかった時はほっとした。
その会社がどこにあったのか、覚えていない。
東京ではあったが、六本木だの赤坂だのといった
横文字職業の似合う場所ではなかった。
前にいたプロダクションに較べると小さな広告会社だ。
それでもデザイナー二人、カメラマン一人、
コピーライターが、新入りの私を入れて三人。
私以外は全員男性だった。
他には社長と女性事務員二人。
この会社のメインは某デパート(二流どころ)の
チラシ制作だった。
チラシの内容はイベントやセールのお知らせ。
某大手デパートのように「不思議、大好き」なんていう
おしゃれなコピーとは縁がない。
「買わなきゃ損! 家具半額はいまだけ!」とか
「帽子から靴まで、晴れの日のおしゃれ、大集合!」
といった、いわゆるストレートなものでないと駄目。
なんで三人もコピーライターがいるのかわからない。
入社して一週間はたっていなかったと思うが、ある日、
いかつい顔の社長がにこにこしながら私の席へやってきた。
「今夜、時間あるかな? 会社のことをいろいろ
知っといてもらいたいから、一緒に食事しよう」
「ありがとうございます」と私は頷いた。
新入社員にはまず社長がご馳走してくれる、
そういう習わしがあるのだろうと思った。
それから二分とたたず、いかにも「おばさん」な
中年女性事務員が私の席に飛んできた。
「いま、社長になんて言われたの?」
「今夜、お食事に連れて行ってくださるそうです」
「あ、そう」
彼女は押し殺した声でそれだけ言い、足早に去った。
それから約10分後、社長があたふたとやってきて、
小声で囁き、逃げるように社長室へ去った。
「あ、悪いけど用事ができちゃったから、食事はまたいつかね」
あとから知ったのだが、中年女性事務員は社長の「女」だった。
若い女が入社したので、彼女は社長の動きを油断なく見張っていたのだ。
そして私の席へ行ったと見るや、「あんた、あの娘を誘ったね!」
と社長をどやしつけ、どやされた社長はあわててキャンセルしたというわけ。
もちろん、二度と社長のお誘いはなかった。
私は若いほうの女性事務員と仲良くなった。
彼女はカメラマンの恋人だった。
社長と中年事務員の「わけあり」を教えてくれたのも彼女である。
男性コピーライターは小太り色白の四十代と、
色白痩せ型なよなよ二十代だったが、四十代はホモセクシャルで
二十代は、四十代がどこかから連れてきたのだという。
たぶん「できてる」仲だ、ということだった。
ある日、当時の恋人から会社に電話があった。
(まだ携帯なんかなかったからね)
私が欲しがっていた本を見つけたから、近くまで
持ってきてくれたのだ。
口実をつくって会社を抜け出した。
近くの喫茶店で恋人と会い、本を受け取った。
たった五分かそこらの時間だったのだが、外出から
戻ってきたデザイナーの一人にそこを見られた。
会社に戻ると、デザイナー二人が聞こえよがしに喋り出した。
「仕事の時間に男と会うなんてなあ!」
「信じられないよなあ、近頃の若い女はさあ!」
あ~あ、やだやだ!
私の人生、こんなところで終わっちまったらどうしよう。
と、思ったことも事実だが、最初から腰掛のつもりだったので
半年と立たずにそこを辞め、「ふたつの広告会社でキャリアを
積んだコピーライター」として、赤坂にあった中堅広告代理店に移った。
我ながら詐欺みたいなキャリアだが、ここでようやく、
一応、コピーライターらしい仕事を得ることができたのだった。
ある雨の日、前の会社の四十代コピーライターから
電話がかかってきた。
「あ、突然でごめんなさい。いま近くにいるんだけどさあ、
雨がひどくて、タクシーで帰ろうと思ったんだけど財布忘れちゃって。
悪いけど1000円貸してくれない? 明日返すから」
当時、1000円は私にとって少なくない金額だった。
あの会社を辞めてから、四十代コピーライターと
なんらかの付き合いがあったわけでもない。
新しく入った会社の名前は、仲良しだった若い事務員に
教えてあったから、おそらく彼女から聞いたのだろう。
「すみません、500円しか持ってないんです」
ちょっとためらった後、私は言った。
彼は切羽詰まった声で応じた。
「じゃあ、それでいいから、すぐ来てくれない?」
ビルの前で、彼は寒そうに肩をすぼめて待っていた。
私から500円をひったくるように取り、雨の中へ駆け出して行った。
それきり連絡はなかった。
なんとなくそうなるような気もしていた。
これも後でわかったことだが、もうその時、彼は前の会社にいなかった。
お金の問題を起こし、逃亡中だった。
たったの500円であっても、騙し取らなければならないほど
切迫した状況だったようだ。
彼がその後どうなったのか、私は知らない。
あれから半世紀余りの時が流れた。
いまはなすすべもなく、ぼんやりと時間をやり過ごすコロナの日々。
不意に甦った記憶の登場人物たちが、自分も含めて無性に愛おしい。
半世紀どころではなく、もっと久しぶりに見た「ミノムシ」。
写真中央の枯れ葉みたいなのがそれ。
昨日、横浜中心地の某所で会ったきれいな女性が
「ほら、そこにミノムシいるんですよ」
と、教えてくれたのだ。
子供の頃は、無情にもこの皮を破って中の虫を出し、
色とりどりの毛糸の切れ端などで、新しい蓑を作らせたりした。
もうあんなことはしない。
無事に冬を越し、立派な蛾になって翔び立ちますように!
物書きとしての仕事は、それがスタートだった。
その頃のことをインタビューなどで訊かれると、
「最初は六本木の広告プロダクション、次に赤坂の広告代理店
に勤めました」
と、いつも答えていた。
でも今日、不意に「いや、その間にもうひとつあった」
ことを思い出した。
意図的に忘れたわけではなく、短い期間だったから
いつの間にか記憶から抜け落ちたのだろう。
六本木のプロダクションでは「コピーライター」という
肩書はあったものの、使い走りみたいな仕事しか与えてもらえなかった。
あげく、プロダクションの体制が変わる際、リストラでは
なかったが、出て行った方がいいんだろうなあ、
と自覚せざるを得ないような扱いを受け、辞職した。
キャッチーな短い文章を書く自信はあったのだが、
広告のなんたるかをちゃんと勉強していなかったし、
自己アピール力がまったくなかったのだから
まあ当然の結果である。
しかし、無職ではいられない。
コピーライターとしてのキャリアなど無きに等しかったが、
一年くらい「コピーライター」として、広告プロダクションに
在籍していたという事実はある。
しかも、後に名を成す若いデザイナーやイラストレーターが
何人もいたプロダクションである。
それを頼りに業界紙の求人広告など見るのだが
どこもちゃんとしたキャリアのあるコピーライターしか
求めていない。
キャリアが少なければ大卒が条件。
私は高卒で、久保田宣伝研究所という養成所を出ただけ。
となると、どこでもいいからとにかくコピーライター
として雇ってくれるところに入り、「キャリア」の年数を
稼ぐしかない。
だから、入れてくれる会社が見つかった時はほっとした。
その会社がどこにあったのか、覚えていない。
東京ではあったが、六本木だの赤坂だのといった
横文字職業の似合う場所ではなかった。
前にいたプロダクションに較べると小さな広告会社だ。
それでもデザイナー二人、カメラマン一人、
コピーライターが、新入りの私を入れて三人。
私以外は全員男性だった。
他には社長と女性事務員二人。
この会社のメインは某デパート(二流どころ)の
チラシ制作だった。
チラシの内容はイベントやセールのお知らせ。
某大手デパートのように「不思議、大好き」なんていう
おしゃれなコピーとは縁がない。
「買わなきゃ損! 家具半額はいまだけ!」とか
「帽子から靴まで、晴れの日のおしゃれ、大集合!」
といった、いわゆるストレートなものでないと駄目。
なんで三人もコピーライターがいるのかわからない。
入社して一週間はたっていなかったと思うが、ある日、
いかつい顔の社長がにこにこしながら私の席へやってきた。
「今夜、時間あるかな? 会社のことをいろいろ
知っといてもらいたいから、一緒に食事しよう」
「ありがとうございます」と私は頷いた。
新入社員にはまず社長がご馳走してくれる、
そういう習わしがあるのだろうと思った。
それから二分とたたず、いかにも「おばさん」な
中年女性事務員が私の席に飛んできた。
「いま、社長になんて言われたの?」
「今夜、お食事に連れて行ってくださるそうです」
「あ、そう」
彼女は押し殺した声でそれだけ言い、足早に去った。
それから約10分後、社長があたふたとやってきて、
小声で囁き、逃げるように社長室へ去った。
「あ、悪いけど用事ができちゃったから、食事はまたいつかね」
あとから知ったのだが、中年女性事務員は社長の「女」だった。
若い女が入社したので、彼女は社長の動きを油断なく見張っていたのだ。
そして私の席へ行ったと見るや、「あんた、あの娘を誘ったね!」
と社長をどやしつけ、どやされた社長はあわててキャンセルしたというわけ。
もちろん、二度と社長のお誘いはなかった。
私は若いほうの女性事務員と仲良くなった。
彼女はカメラマンの恋人だった。
社長と中年事務員の「わけあり」を教えてくれたのも彼女である。
男性コピーライターは小太り色白の四十代と、
色白痩せ型なよなよ二十代だったが、四十代はホモセクシャルで
二十代は、四十代がどこかから連れてきたのだという。
たぶん「できてる」仲だ、ということだった。
ある日、当時の恋人から会社に電話があった。
(まだ携帯なんかなかったからね)
私が欲しがっていた本を見つけたから、近くまで
持ってきてくれたのだ。
口実をつくって会社を抜け出した。
近くの喫茶店で恋人と会い、本を受け取った。
たった五分かそこらの時間だったのだが、外出から
戻ってきたデザイナーの一人にそこを見られた。
会社に戻ると、デザイナー二人が聞こえよがしに喋り出した。
「仕事の時間に男と会うなんてなあ!」
「信じられないよなあ、近頃の若い女はさあ!」
あ~あ、やだやだ!
私の人生、こんなところで終わっちまったらどうしよう。
と、思ったことも事実だが、最初から腰掛のつもりだったので
半年と立たずにそこを辞め、「ふたつの広告会社でキャリアを
積んだコピーライター」として、赤坂にあった中堅広告代理店に移った。
我ながら詐欺みたいなキャリアだが、ここでようやく、
一応、コピーライターらしい仕事を得ることができたのだった。
ある雨の日、前の会社の四十代コピーライターから
電話がかかってきた。
「あ、突然でごめんなさい。いま近くにいるんだけどさあ、
雨がひどくて、タクシーで帰ろうと思ったんだけど財布忘れちゃって。
悪いけど1000円貸してくれない? 明日返すから」
当時、1000円は私にとって少なくない金額だった。
あの会社を辞めてから、四十代コピーライターと
なんらかの付き合いがあったわけでもない。
新しく入った会社の名前は、仲良しだった若い事務員に
教えてあったから、おそらく彼女から聞いたのだろう。
「すみません、500円しか持ってないんです」
ちょっとためらった後、私は言った。
彼は切羽詰まった声で応じた。
「じゃあ、それでいいから、すぐ来てくれない?」
ビルの前で、彼は寒そうに肩をすぼめて待っていた。
私から500円をひったくるように取り、雨の中へ駆け出して行った。
それきり連絡はなかった。
なんとなくそうなるような気もしていた。
これも後でわかったことだが、もうその時、彼は前の会社にいなかった。
お金の問題を起こし、逃亡中だった。
たったの500円であっても、騙し取らなければならないほど
切迫した状況だったようだ。
彼がその後どうなったのか、私は知らない。
あれから半世紀余りの時が流れた。
いまはなすすべもなく、ぼんやりと時間をやり過ごすコロナの日々。
不意に甦った記憶の登場人物たちが、自分も含めて無性に愛おしい。
半世紀どころではなく、もっと久しぶりに見た「ミノムシ」。
写真中央の枯れ葉みたいなのがそれ。
昨日、横浜中心地の某所で会ったきれいな女性が
「ほら、そこにミノムシいるんですよ」
と、教えてくれたのだ。
子供の頃は、無情にもこの皮を破って中の虫を出し、
色とりどりの毛糸の切れ端などで、新しい蓑を作らせたりした。
もうあんなことはしない。
無事に冬を越し、立派な蛾になって翔び立ちますように!