昨年の秋、久しぶりに旅行する予定だった。
でもコロナ禍で中止。
若い頃は仕事でもプライベートでも、
年に二、三度くらいは旅行する機会があった。
年齢とともにその機会は少なくなり、
ついにはコロナ禍でまったくなくなった。
旅どころか、電車に乗る機会すら激減。
まあでも、ご近所を散歩できるだけでも
このご時世ではありがたいことかもしれない。
金沢八景駅を背に、平潟湾を左手に見て
住宅街へ入ってみる。
こじんまりした日本旅館が数軒。
長期滞在も可のビジネス旅館、という位置づけらしいが、
なぜ三軒もかたまっているのだろう。
以前、似た感じの旅館を取材したことがある。
横須賀市の追浜だったから、ここと近い。
その旅館は昭和31年創業だった。
いまは一軒残るのみだが、父親の代には、
この地域で四軒も経営していたという。
昭和40年代から50年代にかけて
横浜六大事業のひとつ「金沢地先埋立」が行われた。
八景島という人口島も造られた。
工事に携わる人々が全国から集まってくる。
彼らの宿泊施設として何軒もの旅館が建った、と
ご主人から聞いたことを思い出した。
当時は米軍施設や花街もあり、周辺は賑わっていたそうだ。
あとからこの三軒をネットで調べてみたが
追浜園は昭和18年、料亭としてスタートした、
ということがわかっただけで、あとの二軒の由来は不明。
静かな住宅地を進むと、こんもりした崖が出現。
そこには横穴墓の「やぐら」が。
先日行った上行寺裏遺跡だけではなく
そこここに中世の墓があるようだ。
平潟湾沿いのプロムナードに戻り、湾の真ん中に並んだ船を眺める。
どの船も無人のようだが、陸からあの船に乗るにはどうやって行くのだろう。
ボートで?
こちらは金沢自然公園。
アップダウンの多い広大な敷地。
動物園に隣接している。
豊富な木や花のどれにも、名前がしっかり
表記されているのが嬉しい。
春になったら文字通り百花繚乱が楽しめるだろう。
咲き始めた梅の花。
つわぶき。
水仙。
ぼけ。
ここではカワセミを見た。
自然の螺旋。
方向音痴でなければ、地図を読むことができたら、
トイレの心配がなければ、外反母趾や足底筋膜炎じゃなければ、
もうちょっと遠くへ足を延ばせるんだけどねえ。
でもコロナ禍で中止。
若い頃は仕事でもプライベートでも、
年に二、三度くらいは旅行する機会があった。
年齢とともにその機会は少なくなり、
ついにはコロナ禍でまったくなくなった。
旅どころか、電車に乗る機会すら激減。
まあでも、ご近所を散歩できるだけでも
このご時世ではありがたいことかもしれない。
金沢八景駅を背に、平潟湾を左手に見て
住宅街へ入ってみる。
こじんまりした日本旅館が数軒。
長期滞在も可のビジネス旅館、という位置づけらしいが、
なぜ三軒もかたまっているのだろう。
以前、似た感じの旅館を取材したことがある。
横須賀市の追浜だったから、ここと近い。
その旅館は昭和31年創業だった。
いまは一軒残るのみだが、父親の代には、
この地域で四軒も経営していたという。
昭和40年代から50年代にかけて
横浜六大事業のひとつ「金沢地先埋立」が行われた。
八景島という人口島も造られた。
工事に携わる人々が全国から集まってくる。
彼らの宿泊施設として何軒もの旅館が建った、と
ご主人から聞いたことを思い出した。
当時は米軍施設や花街もあり、周辺は賑わっていたそうだ。
あとからこの三軒をネットで調べてみたが
追浜園は昭和18年、料亭としてスタートした、
ということがわかっただけで、あとの二軒の由来は不明。
静かな住宅地を進むと、こんもりした崖が出現。
そこには横穴墓の「やぐら」が。
先日行った上行寺裏遺跡だけではなく
そこここに中世の墓があるようだ。
平潟湾沿いのプロムナードに戻り、湾の真ん中に並んだ船を眺める。
どの船も無人のようだが、陸からあの船に乗るにはどうやって行くのだろう。
ボートで?
こちらは金沢自然公園。
アップダウンの多い広大な敷地。
動物園に隣接している。
豊富な木や花のどれにも、名前がしっかり
表記されているのが嬉しい。
春になったら文字通り百花繚乱が楽しめるだろう。
咲き始めた梅の花。
つわぶき。
水仙。
ぼけ。
ここではカワセミを見た。
自然の螺旋。
方向音痴でなければ、地図を読むことができたら、
トイレの心配がなければ、外反母趾や足底筋膜炎じゃなければ、
もうちょっと遠くへ足を延ばせるんだけどねえ。