戦災孤児のことはいつも頭の中にあった。
空襲という無差別爆撃で、多くの子供達が焼け跡に放り出された。
平和な時代なら、災害で孤児が出ても、国や自治体が放っておかない。
でも戦時下では違った。終戦になってもたいして変わらなかった。
以前、小津安二郎監督の「長屋紳士録」という映画を観た。
終戦から二年後の1947年に公開されている。
私が生まれた年だ。
東京の、とある長屋に浮浪児が連れてこられる。
長屋の人々は本来なら人情のある善男善女なのだが
焼け野原の東京で、みな、自分が生きていくだけで精一杯。
「迷惑だ、どこかへ捨ててこい!」と、そっぽを向く。
おたねという、お婆さんが捨てに行く役を押しつけられ
必死で捨て場所を捜す……という話。
この人達が冷たいわけではなく、そうするしかない時代が
あったのだ、この日本に。
石井光太氏の「浮浪児1945ー戦争が生んだ子供たち」
という本が出たので、さっそく買って読んだ。
東京・上野にいた浮浪児達のことが中心になっている。
冒頭、浮浪児の遺書で始まるところが切ない。
書いたのは11歳で家も家族も失い、野良犬と一緒に
ゴミをあさったり、その姿をさげすまれたり、警察に
掴まって放り込まれた孤児院を脱走したりして15歳まで
生きた少年だ。
「悲しくて死んでいくのではありません。(中略)人間らしく
なかった過去の生活と立派に縁を切って、人間らしい心に
なって死ねるということを、幸福に思って私は死んでいきます」
という文面は、本心だったに違いない。
たくましく生き抜くことができた子はいいが、
餓死、凍死、自殺も多かった。
おそらく浜も同じだっただろう。
私だってその時代を体験したわけではないが
これは、そんな昔のことではないのだ。
世界にはこれが現実になっているところが実際にあるし、
日本だって、じわじわとまたそれに近づきつつ
あるような気がする。
だからこういう本を読み、想像力を働かせて疑似体験をしてほしい。
これは絵空事ではなく、現実にあったことだと認識して欲しい。
というわけで、気分を変えて古代蓮。
浮き葉ばかり七枚出ています。
立ち葉という、水面から立ち上がった葉が出ないと
いけないらしいのですが、まだ出ません。
蓮は日照時間が大事だとか。
植え付けがちょっと遅かったので、今年、立ち葉は無理なのかも。
だけどなんとか、来年も生き残って欲しいです。
で、私はとりあえず、本日、この瞬間の平和に感謝して
秋の恵みをいただきます。
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