ミキサーにかけた。
ジュースと呼ぶにはあまりに濃厚なこの飲み物を
ごくごくと飲み干す。
甘い、おいしい!
だけどねえ、バナナは一本にしときゃよかった。
ボリュームがありすぎて、直後から苦しくなった。
おなかは壊さないけど、胃が重苦しくて体がぐったり。
この胃は、なんだな、ゆうべの真夜中、思い立って
ナスとピーマンの煮物、甘唐辛子のカツオブシ炒め、
ポテトサラダなんかをせっせとこしらえ、できたら
できたで、どうしてもこのおかずで御飯を一杯
食べたくなり、ついに実行しちゃった……という
暴挙の影響もあるに違いない。
まあいい、急ぎの用もないから、今日もぐたっとしていよう。
という、ぐうたらな日常を送る中で66回目の誕生日を迎えた。
肉体は正しく年齢に従っていく。
けれども他のことは、とうてい追いつかない。
年相応に振る舞えず、自分の幼稚さを恥じるばかりだし、
経済力もステイタスもないし、「この歳になりました」と
誇れることはなにもない。
一見、元気に飛び歩いているように見えるらしいが
実は閉じこもっている。
楽しく閉じこもっている。
世渡りにはなんの役にもたたない本を読み、
映画DVDやテレビのお笑い番組を観ながら。
なんだか大岡川に漂う海月みたいだな、と思う。
大海に泳ぎ出すでもなく、生活排水やスーパーのビニール袋や
朽ち葉なんかの間を、ただゆらゆらと漂っている海月。
それがまた、これまでの人生でいまが一番幸せかも、
と思うほど心地よい。
振り返ってみれば、雨に濡れた野良の子犬みたいな
時代があった。
「スガンさんの山羊」(アルフォンス・ドーデ作の童話)
みたいに無謀で、一見、溌剌としていながら悔やむことばかり
という時代もあった。
それから、気味が悪いほど無風な時代を経て、
いまは海月。
日本人は勤勉だから、こういうことを言うと
「だめよ、もっとポジティブに生きないと!」
と励ましてくれたりする。
この歳になってもそんなことを言われてしまう。
海月はポジティブに見えないかも知れないが、ネガティブでもない。
流れに抵抗せず、分をわきまえ、風や波のせいで
周りの様相がちょっと変わったりするのを、充分楽しんでいる。
ときおり、夜光虫の一群に囲まれ、その光を浴びたりもする。
長生きなんか決して望まないから、あとほんの数年、
この幸せな海月人生が続きますように。
海月満つ川面に黄泉の花のごと (冬果)
フータとノア。うちへ来たばかりの頃。
いつもぴったり寄り添っていた。
だけど、二匹とも、この6年で変わった。
いやでも起きるのよねえ、変化というやつは。
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