冬桃ブログ

季刊誌横濱 60's 70's 横浜グラフィティ(保存版)

 暑さ真っ盛りですが、
 今号の季刊誌横濱は〝熱い〟です。

 1960年代の私にとって、横浜は遠い憧れでした。
 60年代の終わり頃には赤坂や六本木でコピーライター
などという横文字職業に就いていたのですが、
東京には馴染めず、横浜は相変わらず憧れのまま。
 70年代に入り、日吉(港北区)、根岸(中区!)
に、それぞれ二年、三年と住んだのですが、なんとか
元町へ買い物にいけるようになった程度。
 横浜に馴染んだとは、とうてい言えませんでした。

 いまはハマッ子の知人友人も多くいて
昔の話をいろいろ聞かせてもらえます。
 でもこうして一冊になったさまざまな「証言」を
読むと、私の知らなかった「熱い横浜」が見えてきて
正直なところ、その「熱さ」に衝撃を受けました。
 



 写真がいっぱいあります。
 私が釘付けになった一枚。
 
 九州から集団就職で来た子ども達が
橫浜駅東口で点呼を受けている写真。
 まだ中学校の制服を着たまま。
 みんな、私と同い年のはず。
 私は高校へ進学したけれど、この人達は
まだ子供なのに京浜工業地帯などに就職し、
懸命に働いたはず。
 みなとみらい、ベイブリッジ、おしゃれな郊外、
豪華客船の着く波止場……いまの華やかな横浜は
こうした人達の頑張りで出来上がったのです。
 同級生なんだ……と思うと、写真の一人一人が
会ったこともないのに懐かしく、なんだか涙ぐんでしまいました。
 
 米軍住宅が並んだ本牧、横浜スタジアオープン、
米軍機墜落、体を張った戦車阻止、水上生活者、
ディスコ、アメ車、市電、ドリームランド……。

 ここにいなかった私も、頁をめくるごとに
懐かしく、胸が震えました。
 働けば何とかなる、頑張ればどうにかなる
……そんな熱い時代でした。
 まさに保存版です。
 
 私の連載「横浜の底力」は
「空き家から地域コミュニケーションが生まれていく!」

 少子高齢化で、日本全国、空き家が増えています。
 横浜も例外ではありません。
 その空き家を上手に利用し、地域コミュニティーへと
繋げている人達がいました。
 夢のある、横浜らしい活用です!

 荻野アンナさんの「商店街はおもしろい」は
たまプラーザ伝説商店街」です。


 
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