崖っぷちばかり歩いてきたにしては
けっこう長く生きたことよと驚いています。
これも節目節目で出会った方々が、有形無形に
助けてくださったおかげです。

まあしかし、崖っぷちだらけだったのは個人的な人生。
「世代」ということで振り返れば、平和で贅沢な時代を
享受してきたと思います。
終戦から二年後。敗戦国日本は貧しかったけど
復興の意欲まで削がれたわけではなく、産めよ増やせよの
ベビーブーム世代トップとして、私はこの世に生を受けました。
まだ電化製品などほとんどなく、日本は後進国のひとつでした。
でもその貧しさやコンプレックスは、ハングリー精神と憧れを育てました。
焼け跡から立ち上がった日本人は、たちまち経済大国へと駆け上がったのです。
どこかで平和ボケしてしまったとはいえ、誕生日がくるたびに
体験したことのない戦争というものに思いを馳せます。
広島に原爆が投下されたのは、私が生まれるニ年前。
同じ八月六日。その三日後には長崎に投下。
核兵器が実戦で使われた唯一の国が日本でした。
私は民主主義国家に生まれましたが、そのたったニ年前まで
日本は軍事国家でした。
反戦を唱えようものなら非国民として逮捕され、
拷問されたあげく、命を失った人も少なくはなかったのです。
まだ、いまは自分の意志を表明できる世の中であることを
いつも意識しています。いまのうちに、自分の考えを声に出して
言っておかねば、書いておかねば、と思っています。
言論の自由なんて、薄氷の上にかろうじてあるものだと
香港の情勢を見ただけでも意識せずにはいられません。
日本だって他人事ではないのです。
友人が昨日、美空ひばりさんの歌う反戦歌を教えてくれました。
ひばりさんは1937年5月29日、横浜の磯子区で生まれました。
日中戦争が始まった年です。
そして八歳の誕生日を迎えた1945年5月29日、横浜は
米軍の大空襲を受け、焦土と化します。
反戦への思いは、彼女の心の奥深く、刻み込まれていたことでしょう。
ユーチューブで聴くことのできるこの歌のタイトルは
「八月五日の夜だった」。
歌詞には反戦の言葉などは出てきませんが、
翌日が八月六日であることを意識した歌です。
お聴きください。まぶたが熱くなります。
美空ひばり「八月五日の夜だった」
https://www.youtube.com/watch?v=AsO-6KBSL5A