それどころか中年もいいとこだったのだが、正直なところ
あの頃はまだ、横浜についてろくに知らなかった。
デビュー作の舞台が昭和初期の横浜。
二作目の舞台は横浜中華街。
知らなくてなぜ書ける、と言われるだろうが
もちろん書くにあたってはいろいろ勉強をした。
が、後から思えば、その時、必要なことを知っただけで
なんというか、「外見」は知っていたが「内臓」
や「心」まで覗いたり触ったり、ましてやえぐったりは
していなかった。
郊外に住む横浜市民ではあったが、横浜に知人も友人も
いなかったのだから。
それが一転したのがいまから25年ほど前。
野毛のイベント「野毛大道芝居」に参加したことと
「天使はブルースを歌う」というノンフィクションを
書いたことがきっかけだった。
名刺交換から入らない、利害関係がない、という
知人友人が瞬く間にできていった。
横浜の人達は一見、冷たい。こっちから近づいて
いかないとほっとかれる。よく言えばほっといてくれる。
でも「それ、なに? どういうこと? 教えて!」
と、真摯な知識欲を持って懐に飛び込んでいくと
なんでも教えてくれる。
そうやって友達になったのが、寒いこの夜、
久しぶりに飲んでお喋りに興じた鈴木信晴さんと小嶋寛さん。
鈴木さんは元町の仏蘭西料理店「霧笛楼」の会長。
小嶋さんはイベント会社「ハッスル」の代表。
生粋の「ハマっ子」であるお二人には、この長い年月に渡り、
仲良く遊んでいただく一方で、横浜のあれこれをたっぷりと教えていただいた。
鈴木さんと私は同い年だし、小嶋さんは少し若いのだが
会えばいつでも、幼馴染か同級生みたいな気分。
関西の港町から流れてきた私が、横浜のことを書いたり
喋ったりすることができたのも、こうした友人たちのおかげである。
元町・「濱新」にて鈴木さん、小嶋さんと一緒に。
「天使はブルースを歌う」の執筆でメイン取材させていただいた
エディ潘さんは、鈴木さんの幼馴染。
そして故人となられたジョー山中さんは、その後に書いた
「女たちのアンダーグラウンド」に登場していただいた。
そういえば中華街の春節に行われるパレードで
なぜか王妃の扮装をして先頭を歩いたこともあったっけ。
大王役は横浜中華街の重鎮、林兼正さん。
見物の群衆の中にエディ潘さんを見つけ、喜んで手を振ったら
「なにやってんだか」という感じでエディさんが苦笑してたっけ。
元町「濱新」の行燈。作者は創作家具作家の安藤和夫さん。
安藤さんにも横浜のアンダーグラウンドをずいぶんと教えていただいた。
あれから四半世紀もの年月が流れ、先日来、安藤ニキさんの
絵が「濱新」に飾られている。ニキさんは安藤和夫さんの
お嬢さんで新進気鋭の画家。私は朝日新聞神奈川版に
10年くらいコラムを連載しているのだが、その挿絵を
長年にわたってニキさんが描いてくださっている。
昨年は山手の岩崎ミュージアムでその挿絵展が開催され
コロナの最中だったにも関わらず大盛況だった。
時とともに街も人も移り行く。
新しい才能が輝き始める。
(右上の丸く白いものは、映り込んでしまった光です)
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