鮮やかなグリーンのプルオーバーが似合う陽気な62歳。
ギャンブル依存症脱却を支援するNPOから、就労プログラムの一環として
寿に来ておられるようだ。
「俺、パチンコ依存症なんだよ。いや、依存症の上をいくかもしんないなあ」
「依存症の上って?」
「だって、ものごころついた時からパチンコ台の前に坐ってさ、玉打ってたんだもん。
オヤジに連れてかれて」
半世紀以上の年期が入った依存症なのだ。
「昔は指で弾くアレだったよねえ。そんで30年くらい前だったかにハンドル式になって……」
なんてことをAさんと話すうちに、私もパチンコにちょっと依存してた時代があったことを
思い出してしまった。
あれはちょうど、パチンコ台が指弾き式からハンドル式に変わった頃。
まだ夫がいて、二人ともテレビのシナリオを書いていたが、ほとんど失業状態だった。
夫は映画全盛期に活躍した人だが、もう歳で、この先、伸びるという可能性はない。
私も、もっといい脚本の仕事が入るという当ては何もない。
こうなったら脚本家を諦め、一念発起して小説家になろうと思った。
といっても出版社にコネなどないから、賞を獲ってデビューするしかない。
こつこつと江戸川乱歩賞の応募作を書き始めたが、それにしても時間だけはたっぷりある。
ギャンブル好きの夫は、お金もないのにパチンコ屋へよく行っていた。
で、私も暇に任せて時々、ついていった。
ちょうどその頃、ハンドル式に変わり、ヒコーキタイプという台が出現した。
それまではぽつんぽつんとチューリップが開くだけのものだったが、
ヒコーキタイプはいっったん翼が開くと、その中にどんどん玉が滑り込む。
どんどんといっても、いまの「大当たり」とは違ってささやかなものだったが
スリルは大きかった。
同じタイプでデザインの違うものが次々と現れ、楽しいのなんのって!
儲かるかといえば、もちろん最終的には損をするようにできている。
200円で延々遊べる日もあれば、あっという間に一万円が消える日もあった。
乏しい貯金を崩して生活していたので、私は一万円以上使うことはなかった。
でもこんなことをしてたらどうなるんだろうと、時々ひどく落ち込んだ。
そうやって一年たち、二年たち、いよいよお金がなくなるという頃、
運の良いことに賞をいただいた。
いまの乱歩賞は多額の賞金がついてるようだが、私の頃はない。
シャーロック・ホームズ像と受賞作の印税のみ。
それでも経済的には一息つくことができ、ほっとしたものだ。
忙しくなったので毎日とはいかなかったが、パチンコ屋へはその後も通っていた。
オールセブンタイプが出始めていたが、小心者の私は、ああいう射倖性の
強いものをやらない。相変わらず、少ないお金で長々と遊べるヒコーキタイプ。
小説のストーリーなど考えるのにちょうど良かった。
そんなある日、エッセイにパチンコが好きだと書いたところ、
パチンコ業界の組合のようなところから電話が掛かってきた。
パチンコのイメージアップ・ポスターをつくっているのだが、
それに出て欲しいというのだ。
このポスターは第二弾で、第一弾に出たのはフランソワース・モレシャンさんだという。
あまり深く考えずにオーケーした。スタジオで写真を撮るのかと思ったら、
街角でプロでもないおじさんがシャッターを一、二度押し、それで終わりだった。
送られてきたポスターを見て仰天した。
畳半畳ほどもある大きなものだった。
しかもそれが、うちの近所のパチンコ屋にも貼られているではないか!
うつむいて顔を隠しながら台の前に坐るのだが、パチンコ屋の
おばさんがめざとく見つける。
賑やかな音楽を押しのけるように、響き渡るおばさんのアナウンス。
「ただいま、作家の山崎洋子さんが来店されました! 皆様、
ポスターをごらんください。ご本人です!」
冗談でしょう! 私は大慌てで外へ逃げ出した。
結果的には良かった。
これをきっかけに、何年かに渡るパチンコ依存に、私は終止符をうつことができたのだ。
で、いまはウェブのジグソーパズルに依存している。
目が疲れるのはわかっているのに、毎日、二つくらい攻略せずにはいられない。
Aさんは結局、パチンコ依存から抜け出ることができたのだろうか。
今度会ったら、真剣に訊いてみようと思う。
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