放っておくと、日がな一日、座ってるか寝ころんでるか
という自発的寝たきり人間なので、新年早々、腰が痛い。
運動を兼ねてご近所へ初詣。
まずは横浜橋商店街の裏にある真金町神社。

お酉様と年末年始以外は、存在を忘れるほど静か。
だけどこの神社は、横浜開港以来、遊郭と共に歩んできた。
開港時、太田屋新田(現在の横浜公園)に作られた港崎(みよざき)遊郭は、
大火で焼け落ち、転々として最後はこの真金町・永楽町に落ち着いたが
そのつど、神社も一緒に移動している。
私のデビュー作「花園の迷宮」は、昭和初期のこの遊郭を
舞台にした推理小説である。(昭和33年に遊郭は廃止)
書いた当時は橫浜郊外に住んでいて、このあたりのことは
何も知らなかった。
あれから30年。まさか自分がこのそばに住んでいるとは!
なにかの縁に導かれたのだろう。
「花園の迷宮」が発売されると、読者カードで
桂歌丸さんから「よく書けています」という感想をいただいた。
その時は、「あの有名な落語家が、私の本を!」と驚いたが
じつは、歌丸さんのご実家がこの町にあったことを後から知った。

中村川を渡って、中村八幡宮。

南区は横浜の中でも、太平洋戦争の戦禍が
とりわけ酷かったところ。
神社には写真がずらりと並んだ「忠霊祠」もある。
手を合わせずにはいられない。

私の住んでいるところは、江戸時代初期に
入り海を干拓・埋立して造られた吉田新田。
吉田勘兵衛という江戸の石材・材木商が幕府の許可を得て
入り海を田畑にした。(伊勢佐木町もこの中に入る)
埋立前と埋立後。下部が海。突き出た砂嘴はいまの関内エリア。
真ん中は現在、大通り公園となり、下を地下鉄ブルーラインが走っている。
(図は、横浜開港資料館のサイトより)
その工事の成就を祈願して建立されたのが日枝神社。
今年は吉田新田完成350周年にあたる。
記念イベントもさまざま行われるそうだ。

堰神社はお稲荷さん。(咳に掛けて、喉の神様にもなっている)

賽銭箱には油揚げも。

コスプレ・サンタじゃないよね?

陰陽石もあったりして。

日枝神社。

ここの狛犬は砲弾を抱いている。


2017年が、どうか平和な年になりますように……。

という自発的寝たきり人間なので、新年早々、腰が痛い。
運動を兼ねてご近所へ初詣。
まずは横浜橋商店街の裏にある真金町神社。

お酉様と年末年始以外は、存在を忘れるほど静か。
だけどこの神社は、横浜開港以来、遊郭と共に歩んできた。
開港時、太田屋新田(現在の横浜公園)に作られた港崎(みよざき)遊郭は、
大火で焼け落ち、転々として最後はこの真金町・永楽町に落ち着いたが
そのつど、神社も一緒に移動している。
私のデビュー作「花園の迷宮」は、昭和初期のこの遊郭を
舞台にした推理小説である。(昭和33年に遊郭は廃止)
書いた当時は橫浜郊外に住んでいて、このあたりのことは
何も知らなかった。
あれから30年。まさか自分がこのそばに住んでいるとは!
なにかの縁に導かれたのだろう。
「花園の迷宮」が発売されると、読者カードで
桂歌丸さんから「よく書けています」という感想をいただいた。
その時は、「あの有名な落語家が、私の本を!」と驚いたが
じつは、歌丸さんのご実家がこの町にあったことを後から知った。

中村川を渡って、中村八幡宮。

南区は横浜の中でも、太平洋戦争の戦禍が
とりわけ酷かったところ。
神社には写真がずらりと並んだ「忠霊祠」もある。
手を合わせずにはいられない。

私の住んでいるところは、江戸時代初期に
入り海を干拓・埋立して造られた吉田新田。
吉田勘兵衛という江戸の石材・材木商が幕府の許可を得て
入り海を田畑にした。(伊勢佐木町もこの中に入る)
埋立前と埋立後。下部が海。突き出た砂嘴はいまの関内エリア。
真ん中は現在、大通り公園となり、下を地下鉄ブルーラインが走っている。
(図は、横浜開港資料館のサイトより)


その工事の成就を祈願して建立されたのが日枝神社。
今年は吉田新田完成350周年にあたる。
記念イベントもさまざま行われるそうだ。

堰神社はお稲荷さん。(咳に掛けて、喉の神様にもなっている)

賽銭箱には油揚げも。

コスプレ・サンタじゃないよね?

陰陽石もあったりして。

日枝神社。

ここの狛犬は砲弾を抱いている。


2017年が、どうか平和な年になりますように……。
