それから二年後、つまり終戦から
約二年後のこの日に私は生まれた。
横浜ではなく地方の町だったので
空襲の焼け跡も米軍基地も知らない。
学校ではもちろんのこと、周囲の大人達からも
戦争のことは何も教えられなかった。
日本中が、「あのこと」は忘れて、ひたすら
前に進みたかったのかもしれない。
だから欧米に悪い感情などみじんも抱かず
むしろ憧れて育った。
戦争も原爆も知っていたが、そのイメージはおぼろげで
意識としては「学校で一応、年号なんかを習った歴史」
の範疇を越えていなかった。
かなりの資料を読み始めたのは、デビュー作の
「花園の迷宮」を書いた頃から。
小説の舞台を満州事変の頃の横浜に設定したからだ。
その後、横浜だけではなく、上海や大連にも
舞台を移したので、そのつど、読んだり見たり聴いたりした。
思うことがたくさん生まれた。
ことに、戦争と女性、そして子供というテーマは
書くとか書かないとかを超えて、私の意識の中から
消えることは決してない。
まずは黙祷。
そして、ここまで生きてきたことに感謝。
とびきり嬉しいプレゼント。
向かって左は、四歳になる友人の子供(男の子)から
もらった「お誕生日おめでとう」の手紙。
プレゼントは、お母さんが選んでくれた日傘。
右は、私の名付け子一家が寄せ書きしてくれたバースデイカード。
プレゼントは素敵なブレスレット。
黄色は私のラッキーカラー(と、勝手に思っている)。
名付け子姉妹と幸せなハグ。
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冬桃
kanoko
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