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冬桃ブログ

その存在が語るもの~伊勢佐木町・不二家

 「不二家へ行くべきだと思わない?」

 日本大通りにある「ギャルリー・パリ」のオーナー
森田彩子さんから、そんなお誘いがあった。
 私も同じ思いにかられていたので、さっそく不二家でディナー。

 
 横浜で生まれ育った人から、
「子供の頃、祝い事があると家族で伊勢佐木町の不二家へ行った」
 という話をときどき伺う。
 不二家は横浜の子供にとって「ハレ」の場所だったのだろう。

 浜っ子の彩子さんにもそういう思い出があるかもしれない。
 でも今回、私たちが惜しんだのは不二家のビルそのもの。
 これはアントニン・レーモンドの作品なのである。

 世界三大建築家の一人と言われたフランク・ロイド・ライトが
帝国ホテルの建築を担った際、レーモンドはライトの助手として
一緒に来日した。
 建築家として独立してからはモダニズム建築を牽引し、
日本にも他の国にも、多くの素晴らしい仕事を残した。
 横浜に現存するものとしては元町公園に移築されたエリスマン邸、
フェリス女学院十号館(旧ライジングサン石油会社社宅)、
そして伊勢佐木町の不二家ビル。

 不二家の創業は明治43年。元町で洋菓子店として開業した。
 大正11年には伊勢佐木町に、12年には銀座へ進出するも、
関東大震災ですべて焼失。
 その後、各地で復興するが、伊勢佐木町に鉄筋コンクリート造り、
ガラス張りのビルが誕生したのは1937(昭和12)(不二家
公式サイトより)。建築家はアントニン・レーモンド。


 その後、第二次世界大戦が勃発。建物は空襲を逃れたが
終戦後の一時期は米軍に接収されていた。
 モダニズム建築として貴重なだけではなく、横浜の
激動期における歴史を、このビルは背負ってきた。

 来月の20日から不二家は休業し、老朽化した
ビルは解体されるという。三年後にリニューアル開業すると
聞いたが、元のビルはもう戻らない。
 仕方のないことかもしれないが、ビルと共に、
伊勢佐木町の文化がまたひとつ消え、歴史も
忘れられてしまうような気もして、なんだかねえ
……と、私たちは溜息をつく。

 そうしながらも女二人、顔を合わせたら女子トークも炸裂。
 まわる、まわるよ、時代はまわる♬
 今日、いまのこの時間を、とにかく大事に楽しまなければ!



 
 
 
 
 
 


 
 
 

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

yokohamaneko
酔華さん

 そうなんですよねえ。
 伊勢佐木町はなぜどんどん衰退(に見えます)
していくのか不思議です。
 昔は横浜一の繁華街だったというのに……。
 やはり映画館やデパート、老舗の店などが
なくなり、文化も同時に薄くなったせいでしょうかねえ。
 有隣堂はぜひとも存続してほしいです。
酔華
残念ですねぇ。
近いうちに行ってこなきゃ。
ビールとエビフライかな。
有隣堂もずいぶん前にレストランがなくなってしまったし、
松坂屋の食堂も消えてしまい、
伊勢佐木町も寂しくなりました。
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