鼻声も治らないし、時折、ひどく咳き込む。
秋の花粉症だ。
2日はパシフィコ会議センターで読書推進活動の
イベントがあり、私は講演をさせていただいた。
「私と読書」というテーマで話すのだとばかり
思っていたのだが、「読書はミステリアスな旅」(だったかな?)
なんていう、思わせぶりなタイトルを、自分で出していたらしい。
会場へ行ってからそのことを知り、おおいにあわてた。
なんとか取り繕い、途中、咳き込むこともなく終了。
講演のあとは、たいてい後悔と恥ずかしさで哀しくなるのだが
今回も「ミステリー」を期待して来てくださった方を
裏切ってしまった。
よく笑ってくださったあたたかい観客に、心から感謝。
翌日、世間は「文化の日」とかで連休。
まだメランコリーを引きずっている私は、
思いたって母の施設へ。
バスを降りてから上る長い石段。
野の花が目にやさしい。

でもその向こうは鬱蒼たる崖の茂み。
こんな張り紙もある。

お昼にあわせて行ったので、昼食の介添えをする。
母は完食し、続けて、私が持っていったプリンも
飛びつくようにして食べた。

ほとんど認知症の人ばかりという食堂の光景を見ていると、
安楽死について考えずにはいられない。
ネットで安楽死宣言をした末期ガンのアメリカ人女性が
予告通り薬を服んで命を絶った。
だけど認知症になってしまうと、その選択肢もない。
そういう状況が、私は怖い。
「どうせ何にもわからなくなってるんだから、怖いわけないでしょ」
と言う人もいるが、「自分が自分でなくなる」という事態を
どうとらえたらいいのか、私にはわからないのだ。
認知症になった人も、亡くなった人も、誰一人として
「それはどういうことなのか」という問いに答えてはくれない。
だから人は、思考能力がある限り、「人間らしく生きるとは」とか
「死ぬこととは」という、堂々巡りみたいな問いから逃れることが出来ない。
宗教というのは、その答えを無理にでも欲しくて、
創りだされたものなのだろうと、私は思う。
帰りのバスを待っていたら「浜駅西口行」というのが来た。
衝動的にそれに乗り、終点で降りて高島屋へ。
華やかな場所へ行って気分を変えないと。
北海道展をやってるというので行ってみたら、まあ、凄い人。
たちまち怖じ気づき、同じフロアで開催中の「バラ展」に飛び込む。
大盛りの海鮮丼より薔薇。
メランコリーな女はこうでなくちゃ……のはずだったのだが
結局、地下の食料品売り場で大きな巻き寿司買って帰っちゃった。
