さて、前々回に続いて、今回はいよいよ団地内に潜入です!
玄関に入ると、右側(北側)に風呂とトイレの水まわりが、左側(南側)にダイニングキッチンがあります。
今回は、まず、北側の水まわりの「お風呂」から見て見ましょう!
この写真の右側がトイレ、正面が浴室です。
現在では当たり前のように設置されている「脱衣所」ですが、公団団地には無かったため、入居者は、トイレと玄関の境目にカーテンを設置して、簡易式の脱衣所にしていたそうです。
でれすけが公団団地に住んでいた時も、そのようにしていました…。
ちなみに、ここの博物館は、数十メートル間隔で学芸員の方がおり、学芸員の方の説明を聞きながら展示を見てまわる事もできますので、団地初心者の方、または、学術的に団地を知りたい方(民俗学、社会学、建築学、家政学等の専門家の方など)は、是非、学芸員さんに声を掛けてみることをオススメします!!
また、ここの展示は「再現展示」で、「1962年」のとある日を再現しています。
団地の一室を完全再現しているのですが、この「2DK」という狭い空間の中に「920点」もの展示資料があるのです。
電化製品や生活雑貨、家具など、思わず「なつかしい!」という言葉が漏れてしまいそうな展示資料から、食品パッケージなど「よくこんなものまで集めたなぁ!」と感心してしまうもので様々です。
さて、お風呂の中ですが、「本当に細部までこだわって再現しているなぁ!!」と感心させられたのが、この写真なのですが、分かりますか???
…ある一定年齢以上の方なら「ピン!」と来たかと思いますが、実は、この石鹸「ミツワ石鹸」なのです。
「わ・わ・わ わが三つ~♪」のCMで記憶に残っている方もいるかと思いますが、こんなところまで手を抜かない「松戸市立博物館」のプロ根性に脱帽してしまいます…。
そして、何よりでれすけが驚いたのは「木製の風呂」!!!
…こんな木製の風呂に、でれすけは入ったことがありません!!
でれすけが入居していた昭和50年代初頭には、現在の風呂桶と同じようなものでした…。
ちなみに、初期の公団団地の浴室には写真のような、木製の【小判型】と呼ばれる、風呂桶に内釜が内蔵されたガス風呂が設置されていました。
風呂を沸かすには、まずパイロットコックを開き、パイロットに点火し、本コックを開いて、バーナーに点火する…と、まぁ、それはそれは、手間のかかるものでした。
(※ちなみに、松戸市立博物館では、当時の点火設備を再現できていない。)
しかし、当時の「外風呂」が一般的であった時代に、「内風呂」があるというのは、かなり贅沢なつくりだったのです。
ちなみに、公団は最初から浴室を装備していましたが、戦前の同潤会アパートでは「共同風呂」どまりでした。
戦後、昭和25年に建設された「国鉄アパート」は、最初に各居室に浴室が設置されましたが、シャワー室だけで、浴槽を備えたものではなかったのです。
このような歴史からも、各居室に浴槽を備えた浴室を設置した公団の功績は、大きなものがあると思います。
とりあえず今回は、「浴室」編でした。
次回は、「ダイニングキッチン」編です。
それでは、また♪
玄関に入ると、右側(北側)に風呂とトイレの水まわりが、左側(南側)にダイニングキッチンがあります。
今回は、まず、北側の水まわりの「お風呂」から見て見ましょう!
この写真の右側がトイレ、正面が浴室です。
現在では当たり前のように設置されている「脱衣所」ですが、公団団地には無かったため、入居者は、トイレと玄関の境目にカーテンを設置して、簡易式の脱衣所にしていたそうです。
でれすけが公団団地に住んでいた時も、そのようにしていました…。
ちなみに、ここの博物館は、数十メートル間隔で学芸員の方がおり、学芸員の方の説明を聞きながら展示を見てまわる事もできますので、団地初心者の方、または、学術的に団地を知りたい方(民俗学、社会学、建築学、家政学等の専門家の方など)は、是非、学芸員さんに声を掛けてみることをオススメします!!
また、ここの展示は「再現展示」で、「1962年」のとある日を再現しています。
団地の一室を完全再現しているのですが、この「2DK」という狭い空間の中に「920点」もの展示資料があるのです。
電化製品や生活雑貨、家具など、思わず「なつかしい!」という言葉が漏れてしまいそうな展示資料から、食品パッケージなど「よくこんなものまで集めたなぁ!」と感心してしまうもので様々です。
さて、お風呂の中ですが、「本当に細部までこだわって再現しているなぁ!!」と感心させられたのが、この写真なのですが、分かりますか???
…ある一定年齢以上の方なら「ピン!」と来たかと思いますが、実は、この石鹸「ミツワ石鹸」なのです。
「わ・わ・わ わが三つ~♪」のCMで記憶に残っている方もいるかと思いますが、こんなところまで手を抜かない「松戸市立博物館」のプロ根性に脱帽してしまいます…。
そして、何よりでれすけが驚いたのは「木製の風呂」!!!
…こんな木製の風呂に、でれすけは入ったことがありません!!
でれすけが入居していた昭和50年代初頭には、現在の風呂桶と同じようなものでした…。
ちなみに、初期の公団団地の浴室には写真のような、木製の【小判型】と呼ばれる、風呂桶に内釜が内蔵されたガス風呂が設置されていました。
風呂を沸かすには、まずパイロットコックを開き、パイロットに点火し、本コックを開いて、バーナーに点火する…と、まぁ、それはそれは、手間のかかるものでした。
(※ちなみに、松戸市立博物館では、当時の点火設備を再現できていない。)
しかし、当時の「外風呂」が一般的であった時代に、「内風呂」があるというのは、かなり贅沢なつくりだったのです。
ちなみに、公団は最初から浴室を装備していましたが、戦前の同潤会アパートでは「共同風呂」どまりでした。
戦後、昭和25年に建設された「国鉄アパート」は、最初に各居室に浴室が設置されましたが、シャワー室だけで、浴槽を備えたものではなかったのです。
このような歴史からも、各居室に浴槽を備えた浴室を設置した公団の功績は、大きなものがあると思います。
とりあえず今回は、「浴室」編でした。
次回は、「ダイニングキッチン」編です。
それでは、また♪
芦花団地には何人も友達がいて、お風呂があるお洒落な建物で羨ましかったのを覚えています
でも、木製の浴槽だったところまでは、記憶にありませんでした
ダイニング編も楽しみにしてますよ
「松の湯」の名前に、思わず涙が出そうになりました。
私も幼い頃、家の風呂が故障すると「松の湯」に行っていました(笑)
今では、京王線に乗る機会はあまりありませんが、実家に帰る時などは、想い出いっぱいの【芦花公園⇔千歳烏山】の間の車窓に釘付けになっています。