スコティッシュ・フォールドのひとりごと

スコティッシュ・フォールドの「ひー(オス・18歳)」とその妹「こっちゃん・10歳」、その飼い主「でれすけ」のブログ

新宿御苑

2016年05月22日 | 「博物館・科学館・動物園」
今週の週末は関東地方は晴れだったので、新宿御苑に家族でピクニックに行って来ました。

綺麗に刈り込まれた芝生広場には、息子と同じくらいの沢山の赤ちゃんがハイハイをしたりヨチヨチ歩きをして遊んでいました。

芝生広場も素晴らしい新宿御苑ですが、フランス式庭園のバラは息を飲む美しさです。





中曽根総理大臣の名前のバラ



ラ・フランス



トランペッター



ラ・パロマ

















フレンチレース



















有名なプリンセスアイコ





オリンピックファイヤー













バラに癒されて優雅な気持ちになった1日でした。

東京の牧場~磯沼ミルクファーム~

2015年11月05日 | 「博物館・科学館・動物園」
「東京の観光名所は?」と聞かれて、まず思い浮かべるのはどこでしょうか?

◆ 東京タワー
◆ 皇居、東京駅、有楽町
◆ 浅草寺、浅草六区、花やしき
◆ 東京スカイツリー
◆ 新宿、渋谷、原宿、お台場
◆ 秋葉原、中野 など

…挙げればキリがありませんが、大体思い浮かべるのはどれも【自然】とはかけ離れた場所ばかり。

しかし…東京には高尾山や檜原村をはじめ、実は自然がいっぱいで、自然体験出来る場所も沢山あります!!

なんと東京にだって…牧場があるのです!


東京都八王子市に【磯沼ミルクファーム】という牧場があります。

磯沼ミルクファームhttp://isonuma-farm.com/

JR八王子駅のセレオには磯沼ミルクファームの直売店があり、よくアイスクリームなどを購入したり、イートインで食べていましたが…実際に牧場に行ったことがないので、先日、遊びに行ってきました!!



牧場に到着すると、すぐ入口に生まれたばかりの子牛たちがいっぱい!



好奇心旺盛な子牛は人が近づくとすぐに寄ってきます。

子牛の大きさに、そーちゃんはすっかり固まってしまいました…(笑)




奥の牛舎には沢山の乳牛がいます。






お天気がいいと、牧場の放牧地で草を食む牛や羊を見ることもできます。




自動でブラッシングできる便利な機械もありました。

牛のお乳に目をやると…パンパンに張ってとっても痛そう!!
(´;ω;`)

現在「授乳婦」の自分にとって、牧場の牛たちの気持ちがよ~く分かる!!(笑)




この牧場では、牛の乳搾り体験や石窯でピザを焼く体験をすることが可能です。

この日は地域の子供たちが牧場の石窯でピザを焼いていました!!

また、この牧場の牛乳を使ったアイスクリームを食べることもできます♪
とっても濃厚で美味しいアイスクリームでオススメです!

磯沼ミルクファーム
京王線「山田駅」赤ちゃん抱っこで徒歩7分

蘆花恒春園。

2008年11月24日 | 「博物館・科学館・動物園」
東京都世田谷区粕谷に、蘆花恒春園があります。

ここは、偉大な文豪

徳冨 蘆花

自宅資料館があります。




徳冨蘆花(1868~1927)は、肥後生まれの小説家で、本名は「健次郎」…と、いたってフツーの名前です

ぱっと見たところ、某・中華料理の料理人の名前のように見えますが、全く関係はなく(当たり前ですね)とても素晴らしい文学を残した偉人です

有名な小説には

 「不如帰(ホトトギス)

 「みみずのたはごと

なんかがあります

一時期、小学校「道徳」の教科書に、徳富蘆花の話しが採用されていたこともありました(もう何代も前の学習指導要領の時のお話ですが








蘆花トルストイに心酔して、社会的視野をもつ作品を書き、晩年はキリスト者として晴耕雨読の田園生活を送りました。

蘆花の自宅の周りには、素晴らしい竹林があり、一見の価値があります。

嬉しいことに、蘆花恒春園は無料で、敷地内蘆花の自宅資料館も自由に無料で出入り出来ます

でれすけが子どもの頃からある施設で、小学生の頃、学級新聞の記事を書くために、この蘆花恒春園を取材したこともありました







蘆花の家の中には実際に入ることが出来るのです

中には囲炉裏や土間、古い電話やオルガン、火鉢などもあります

小学生のお子さんがいらっしゃる方は、「昔の暮らし」の学習のために一度訪れてみてもよいかもしれません

隣接する「芦花公園」は今が紅葉の見ごろでした

ぜひ、週末に出かけてみては如何でしょうか




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東京都江戸東京博物館。

2008年09月17日 | 「博物館・科学館・動物園」
先日、でれすけは、

江戸東京博物館

に行って来ました。




今年のお盆休みに、以前からずっと気になっていた、上野・不忍池の不思議なギザギザビル、正確には「ソフィテル東京」という、非常に奇抜悪趣味な建物を見に行ったのですが、なんと、悲しいことに

既に取り壊されていた!!!

…のです
(あの地域にあの外観ですから、当然と言ったら、当然ですが


そんな訳で、「ソフィテル東京」を見られなかったことへのリベンジとして(?)、同じ人(菊竹清訓氏)が設計した別の建物、すなわち

江戸東京博物館

を見に行くことにしたのです。




東京の両国国技館のお隣にあるこの博物館、さすがバブル期に設計・建設されただけあります

無駄にバカでかい建物と、やたら電気を無駄遣いしていそうな誰も利用していないエスカレーター。(※正式には、「動く歩道」というらしい。)

3階から6階までは、動く歩道で直行です


バブルマニアにはオススメの建物です。



ちなみに、この博物館、5・6階が常設展で、6階から入場し、5階から退場します。

6階から入場すると、入口すぐ近くに無料のガイドボランティアの人がいるのですが、おしゃべりに夢中で、ガイドボランティアをする気は全くなさそうでした
(…声掛けたけど、まるで無視されましたよ


そんな訳で、ガイドの人には頼らず、自分達で博物館をまわることに




まず、入口すぐに再現された「日本橋」。

説明によると、

アプローチに用いられる日本橋は実物大、半分の長さで材質も当時のままに復元されています。

…とのこと。

「はぁ、そうですか…じゃ、次。






…あまりテンションがあがらないまま、6階の江戸ゾーンを見終わり、いよいよ5階の常設展示へ。


5階は大きく「江戸ゾーン」と「東京ゾーン」に分かれていて、江戸明治大正昭和の東京の変遷が展示されています。




まずは「江戸ゾーン」。





【江戸指物】

指物(さしもの)っていうのは、簡単に言うと木の板を指し合わせて組み立てて作った器具のこと。
要は、木で作ったやらやら箪笥なんかのことで、士農工商の「工」の職の人たちのお仕事です。








続いては「棟割長屋」



ぱっと見は普通のおうちなんですが…


裏にまわると、なんと…





出産してました






庶民生活とあわせて「お産の風俗」が展示されていることがこの博物館の自慢のようですが…。



医学・医療系に関する学位だけでは飽き足らず、「出産に関する文化人類学」で「学芸」の学位を取得したでれすけは、

もっとちゃんと調べてから展示してよね~~

という気持ちで展示を見ました。

そもそも、江戸前期の「収婆」や「取上婆」の時代と、賀川玄悦が現れた後の中期の産科学(産婆が生業から職業になった時代)、「坐婆必研」などの著書が出た後期の時代で、【産婆】の役割も違うんだし

説明に「産み綱」のこと書くんだったら、「産科新編」などの説明も必要なんじゃないの~…と、釈然としない思いで見てました。


 







絵草紙屋。

現代風に言うと「本屋」…ってトコでしょうか




とりあえず、長くなってしまったので、今回はこのへんで



江戸東京たてもの園~特別展と前川國男邸~

2008年03月25日 | 「博物館・科学館・動物園」
でれすけは先日、東京都小金井市の都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」という野外博物館へ行ってきました。

昨年末から今年の3月9日まで、この博物館で「移りゆくくらしの歴史~いろりからダイニング・キッチンへ~」という特別展が催されており、「ダイニング・キッチン(DK)」という響きにググッときたでれすけは、早速行って来ました。



この博物館には、数多くの歴史的建造物が移築・再現されており、見ごたえたっぷりの博物館です。

ここの博物館の素晴らしい点は、ただ「建物」の外観をみることができるばかりでなく、「生活情景再現展示」された「復元建造物」の中に、実際に入ることができる…という点です。




特別展は、普段は常設展を行っている「展示室」で行われていました。
展示構成は、

第1章 いろりのある家
第2章 茶の間のある家
第3章 DKのある家
第4章 電化製品の歴史

というのもでした。

特に、「DKのある家」のコーナーには、貴重な資料である「サンウェーブ製 公団団地のステンレス製流し」が展示されていました。

また、公団蓮根団地(東京都板橋区)の間取りが床に再現され描かれており、実際にその上に乗ることもできるように工夫されていました。

しかし、展示の仕方が杜撰で、せっかくの貴重な資料が台無しでした。
しかも、展示室には学芸員が1人しかおらず、質問しにくい上、あまり特別展に関する知識が無いようで、でれすけは少しがっかりしてしまいました…

でれすけが学芸員だったら、もっとこれらの資料を、効果的に展示するのに…と思いつつ、野外展示へ向かいました。




今回は、「野外展示」の中でも一番有名な建物、「前川國男邸」を紹介します。

前川國男氏は、日本を代表する有名な建築家です。



まずは、入り口にある邸宅と間取りの説明です↓。






前川氏の設計した建物一覧の一部です↓。

ちなみに、今回、でれすけが50以上もある野外展示の中から、なぜ「前川邸」を選んだのかと言うと、




↑の写真を見てもお分かりの通り、前川氏は

「日本住宅公団 テラスハウス」

を設計しているからです

団地好きのでれすけにとって、前川氏はまさに




さてさて、脱線しました
まずは、前川邸の外観です



この家は、日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、品川区上大崎に1942年(昭和17年)に建てられた住宅です。

でれすけが見に行ったこの日、たまたま某大学の建築学科の学生さんの集団が見学に来ており、皆、『前川國男』と書かれた表札を触っていました

建築学科の学生さんにとっても、前川氏はのようです

でれすけも、何かご利益がありそうなので、こっそり触っておきました




この建物は、戦争体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。

外観は、切妻屋根の和風なつくりです。



この屋根の形が、どことなく前川氏が設計した公団団地のテラスハウスを思わせます






室内のようすです。



居間には太陽の光がサンサンと注ぎ、とても明るく、実際の床面積よりも広く感じます




居間の反対側。



本当に「戦前に設計された建物なの」と疑いたくなるくらい、モダンな内装です





キッチンもとてもおしゃれです



壁から直接「蛇口」が出ているところが、時代を感じます

一緒にたてもの園に行った「ひー」の父ちゃんも、前川邸には感心しきりの様子でした


ここには、前川邸のほかにも「高橋是清邸」や「子宝湯」なんかもあります。

でれすけ的には、【】の博物館でした。





おまけ


小金井公園内は、梅が満開でした



詳しくは、コチラ

【江戸東京たてもの園ホームページ】
http://www.tatemonoen.jp



松戸市立博物館~最終回~

2008年03月23日 | 「博物館・科学館・動物園」
【前回までのあらすじ】
「公団団地」大好きなでれすけは、「公団常盤平団地」の一室が再現展示されている千葉県・松戸市立博物館へ行ってきました。
前回までに、公団団地の玄関や風呂場、ダイニングキッチン、居室、ベランダなどについてダラダラと述べてきました。
今回は、その他モロモロについて書いていきます。



まずは、コレ↓。



この写真を見て「なつかし~!!」と思った方は、「公団」の団地(それも公団が出来てから、ごく初期の段階に建てられた団地)に住んでいた方です

これは何か?…と言うと、「配電盤」です
1階の階段の所に設置されています。

円い窓がとってもオシャレです

でれすけは幼い頃、この「配電盤」がたまらなく好きでした(変な子どもですね)。

その理由は「なんとなく、近未来なデザインだから

普通は「四角い窓」にしそうなところを、わざわざ「マル」にしているところにググッときます

「ウルトラセブン」にでてくるU警備隊が使用する特殊な「機器」なんかを収納していそうな雰囲気に、幼心を鷲摑みにされていました

…と、ここまで、何の解説にもなっていませんね

逆に、「公団団地の配電盤」について詳しい方がいらっしゃいましたら、レクチャーしていただきたいと切に願ってます

博物館の方も、「配電盤」については、

「あまり良くわかりませんねぇ~。配電盤であることくらいしか…

と、おっしゃっていましたので…。






次は、コレ↓



見ての通り、「郵便受け」。

初期の公団住宅には、1階に、このポストがついていたわけですが、見ての通りとっても「小さい」のです

そんな訳で、A4サイズの郵便物が入らなかったり、厚みのある郵便物が入らなかったりと、何かと不便でした。

つい最近、取り壊された昭和30年代築の団地では、取り壊されるまで、このサイズのポストが使用されていました。

しかし、現役の古い団地では、次々とポストが「大きめサイズ」に変更されていっているようです。

ちなみに、補足ですが…。

でれすけはここ十数年で、昭和30~40年代築の公団団地を約40ヶ所程まわりましたが、博物館のように、郵便受けがペンキで着色されていた団地はごく稀で、多くの団地は鋼板の銀色のままでした。





続いては、コチラ↓



これは、「ダストシュート」と呼ばれるものです。

各階の階段の踊り場に、小さな扉があり、そこから家庭内で出た「生ごみ」を投入すると、上記写真部分(1階)に落下して、各家庭から出た生ごみが1ヶ所に集められる…という機能をもったものです。

「え何で生ごみを集めるの

と、思った方もいるでしょうが、当時、ダストシュートに集められた生ごみは、松戸市の斡旋で、養豚業者が「養豚用の飼料」として毎日集荷していたのです

当時の「団地の栞」には、ダストシュート使用の注意点として、「タバコの吸殻や、香辛料は混入しないよう」と書かれていました

まさに、常盤平団地のダストシュートは、究極の「リサイクル」

しかし、真夏などには生ごみが腐敗し、悪臭を放つ上、ハエやウジなどが湧くといった衛生面上で問題が山積し、結局は、使用されなくなりました

ただ、現在でも幾つかの団地では現役で使用しているそうです





コレは、団地を北側から見た写真です↓



この窓は、前々回の記事に書いた、北側の4.5畳の部屋の窓にあたります。

その隣の小さな窓は、2回目の記事に書いた「お風呂」の窓です。

この写真の側(北側)に、階段及び玄関がある作りになっています。






「マルジュー見っけ」↓



…と言って、ほくそ笑んだら、その人は間違いなく「団地マニア」でしょう

マンホールの「汚水枡」と書かれた上辺りに、○の中に「住」と書かれたマークがありますが、これは「日本住宅公団」のマークです。

古い団地に行くと、時々見かけるマンホールです。

このマーク、実はとってもデザイン性が高くて、「住」という字が、「横から見た団地」の形になっているのです

本当に、小さな所までググッときてしまいます





さて、ここまで長々と松戸市立博物館について書いてきましたが、ここは本当に素晴らしい博物館です。

団地好きである人も無い人も、是非、一度行ってみることをオススメします





松戸市立博物館~公団常盤平団地のベランダ~

2008年03月06日 | 「博物館・科学館・動物園」
【前回までのあらすじ】
公団団地大好きなでれすけは、「公団・常盤平団地」が再現展示されている千葉県・松戸市立博物館へ行ってきました。
これまで公団団地の玄関・風呂場・ダイニングキッチン・6畳間・4畳半間について書いてきました。
今回は、公団団地の「ベランダ」についてです。



昭和30年代築の公団団地のベランダには「洗濯機置き場」と「物置」が作られていました。
今でこそ当たり前の「洗濯機置き場」ですが、一般家庭では、未だ「洗濯板」と「たらい」が一般的であった中、昭和30年代築の公団団地では「洗濯機置き場」が標準設計になっていたのです。
早々と「洗濯機置き場」を設置していた公団の「先見の明」には驚くものがあります。

また、住宅1戸あたりの床面積はたったの13坪、住宅1戸あたりの建設費はおよそ70万円という、限られた中で「収納」を作らなければなりません。
博物館に再現展示されている「公団常盤平団地」は、「日本住宅公団1958型設計」(いわゆる【公団住宅58-4N-2DK-T型設計】)という設計で、4畳半の部屋に「収納(押入れ)」があります。
しかし、通常、それだけでは、収納は足りません。

当時の公団の設計者達は、それらの問題を解決するため、「ベランダ」に「収納」を作りました。




ベランダの物置は、「木製扉」でした。
でれすけが住んでいた公団団地は、昭和32年築、でれすけが住んでいた頃は築20年を越えており、「ベランダの物置の扉」が、やや朽ちていた印象がありました。
しかし、博物館の木製扉はピッカピカです!!






博物館に展示してある洗濯機です。
東芝製、VH-810型です。

昭和30年代半は、未だ「二槽式」の洗濯機ではなく、写真手前のハンドルを回して脱水するタイプのものでした。

公団住宅の設計は、【洗濯機の普及】にも貢献していたのです。


次回は、その他モロモロ、書きそびれた内容を書く予定です。
それでは、また。

松戸市立博物館 ~公団常盤平団地~

2008年03月04日 | 「博物館・科学館・動物園」
【前回までのあらすじ】
でれすけは、千葉県松戸市にある「松戸市立博物館」へ行ってきました。
そこには、「公団・常盤平団地」が再現展示してあります。
前回までは、公団団地の玄関、風呂場、ダイニング・キッチンなどを紹介してきました。
今回は、団地の代名詞「2DK」のメイン、2部屋を紹介します。






まず、この写真はベランダ(バルコニーなどとおしゃれな呼び方はしません。団地には「ベランダ」という呼び名が良く似合います。)側の南側6畳です。

基本的に、昭和30年代築の公団団地の居室は「和室」なのですが、当時、洋風生活に憧れた「団地族」の人々は、畳の上にじゅうたんを敷き、「洋間」として使用するのが一般的でした。

再現展示では、「応接セット」が置かれていますが、このようなソファなどを置き、ベランダ側の6畳間をリビングのように使用していた家庭が多かったそうです。

リビングとして使用されることが多かった6畳間には、ステレオ、電話、テレビ、扇風機などが置かれ、電化製品が一般家庭に普及していったようすも再現されています。ちなみにステレオは「日本コロンビア製」です。

写真の右上に、少し分かりにくいと思いますが、「絵」がかかっています。
これは、【「東郷青児」のビーズ絵】だそうで、この時期(昭和37年)、複製画が多くの家庭でかけられていたそうです…。
(本当に、当時の「生活」をここまで再現しているのには、感心しきりです。)

ちなみに、公団常盤平団地のサッシ(窓枠)は木製ではありませんが、でれすけの住んでいた公団団地は、昭和32年入居開始のごく初期の公団団地であったため、サッシは「木製」でした…。
鍵も「差し込み式(ネジ式)」で、かなりレトロな団地でした。

どの団地も、南側の6畳間に、春夏秋冬よく太陽光が入る向きに団地が建てられていました。
そのため、昭和30年代築の団地は、冬でも窓を開けて、日向ぼっこができるという、最高の物件でした。





次いで、北側4畳半です。
写りが悪いですが、ベビーベッドとミシン、整理ダンス、洋服ダンス、三面鏡が部屋を取り囲むように置かれています。
ここには、ベビーベッドが置かれていますが、多くの家庭では、この北側の4畳半の部屋を「寝室」として使用していました。

ちなみに、今まで載せてきた団地の間取りは「日本住宅公団1958年型設計」というタイプの間取りで、これ以外にも、公団団地には様々な間取りがありました。
でれすけは、団地の間取り=「田」を象徴している、この「1958設計」が好みです。



今回は、団地の部屋についてでした。
次回は、「ベランダ」について書こうと思っています。
つづきが、いつになるか分かりませんが…

松戸市立博物館 ~公団のダイニング・キッチン~

2008年02月15日 | 「博物館・科学館・動物園」
2ヶ月ぶりの松戸市博物館の記事です。

【前回までのあらすじ】
「団地大好きっ子」のでれすけは、千葉県松戸市にある「松戸市立博物館」に行ってきました。
そこには、公団・常盤平団地がそのまま再現展示してあります。
今まで、ブログ上において、昭和30年代築の「公団団地」の玄関や風呂についてダラダラと紹介してきましたが、今回は、様々なドラマをはらんだ「ダイニング・キッチン」についてのお話しです…。





さて、今回は「公団団地のダイニング・キッチン」です。
この「公団仕様」のダイニング・キッチンは、様々なドラマがあります。

ちなみに、今では一般的な用語である「ダイニング・キッチン」と言う言葉は、「ダイニングルーム」と、「キッチン」をあわせた和製英語で、日本住宅公団(公団)内部で使用され始めた言葉なのです。
(さすが、公団

公団団地が建て始められた昭和30年代初頭、【台所】の流しは一般的に「人造研ぎ石(通称:ジントギ)」という素材で作られていました。
この「ジントギ」、大変割れやすく、食器を落としてしまっただけでもヒビが入ってしまったりしたそうです。
公団団地の中でも、ごくごく初期の団地の流しには、この「ジントギ」製の流しが使用されていましたが、先に述べたような短所があるため、ステンレススチール製の流しを導入することになりました。

しかし、ステンレススチールの流しを設備するには、コスト面、製造技術面、両者に問題がありました。
さらに、当時の公団住宅の標準間取りであった「2DK」。
床面積は13坪、住宅一戸当たりの建設費はおよそ70万円だったのです。
1センチ、1ミリたりとも無駄に出来ない間取り、一円たりとも無駄に出来ない建設費。

これでは、ステンレス流しを標準設置することはできません。
しかし、公団の初代住宅計画部課長の方が先頭となり、ステンレス流しの大量生産に成功し、公団団地の標準装備となったのです!

ちなみに、この辺のお話は、NHKで以前放送されていた「プロジェクトX 挑戦者たち ~妻へ贈ったダイニングキッチン 勝負は一坪・住宅革命の秘密~」でも放送されましたので、興味を持たれた方は、DVD化していますので、是非とも見てください
(…でれすけは別にNHKの回し者ではありませんよ




さて、本題です。

当たり前のように、「ダイニングテーブル」が写っていますが、この当時、ダイニングテーブルはまだ一般的ではありませんでした。
まだまだ「ちゃぶ台」時代の昭和30年代初頭に、公団の2DKの住宅設計の特徴として、食事室と寝室を別にする「食寝分離」が実現されたことがあげられます。

ダイニングキッチンには、ダイニングテーブルが置かれ、従来のご飯と味噌汁の朝食から、「パンとコーヒー」の朝食に変化して行ったのです。

公団の団地により、日本人の生活が「欧米化」したと言っても過言ではありません。(…と、でれすけは思います




これが「公団仕様」のステンレス流しです。

換気扇は付いていませんが、入居者が希望によって取り付けられるようになっています。
換気扇は、コストの面で標準設備にできなかったのです。

おたまなどをひっかけるハードボードもいい感じです
公団の棚は、2段あって、下段は「水きり用」上段は「戸棚」になっていました。
…でも、大体の家庭は、戸棚が高すぎて使用していないんですが







炊飯器と冷蔵庫。

炊飯器…というか「電気釜」といったかんじですが、東芝製のものです。
冷蔵庫は松下製。

冷蔵庫には「栓抜き」がついています!
なんて機能的!!!!!!!!

最近の冷蔵庫も、こういう機能を付けて欲しいものです。



さて、最後になりましたが、ステンレス流しのプレート。
これは結構新しい方の型です。
でれすけの住んでいた団地は、もっと旧式でした。


とにもかくにも、今、みなさんが当たり前のように「ステンレス流し」を使用できるのも、公団の知恵と技術の賜物なのです。

そんなわけで、久々の松戸市立博物館編でした。

(…書きたい事が20%も書けなかった…

松戸市立博物館~公団常盤平団地~

2008年01月08日 | 「博物館・科学館・動物園」
さて、前々回に続いて、今回はいよいよ団地内に潜入です!

玄関に入ると、右側(北側)に風呂とトイレの水まわりが、左側(南側)にダイニングキッチンがあります。

今回は、まず、北側の水まわりの「お風呂」から見て見ましょう!






この写真の右側がトイレ、正面が浴室です。

現在では当たり前のように設置されている「脱衣所」ですが、公団団地には無かったため、入居者は、トイレと玄関の境目にカーテンを設置して、簡易式の脱衣所にしていたそうです。

でれすけが公団団地に住んでいた時も、そのようにしていました…。

ちなみに、ここの博物館は、数十メートル間隔で学芸員の方がおり、学芸員の方の説明を聞きながら展示を見てまわる事もできますので、団地初心者の方、または、学術的に団地を知りたい方(民俗学、社会学、建築学、家政学等の専門家の方など)は、是非、学芸員さんに声を掛けてみることをオススメします!!

また、ここの展示は「再現展示」で、「1962年」のとある日を再現しています。
団地の一室を完全再現しているのですが、この「2DK」という狭い空間の中に「920点」もの展示資料があるのです。

電化製品や生活雑貨、家具など、思わず「なつかしい!」という言葉が漏れてしまいそうな展示資料から、食品パッケージなど「よくこんなものまで集めたなぁ!」と感心してしまうもので様々です。





さて、お風呂の中ですが、「本当に細部までこだわって再現しているなぁ!!」と感心させられたのが、この写真なのですが、分かりますか???

…ある一定年齢以上の方なら「ピン!」と来たかと思いますが、実は、この石鹸「ミツワ石鹸」なのです。
「わ・わ・わ わが三つ~♪」のCMで記憶に残っている方もいるかと思いますが、こんなところまで手を抜かない「松戸市立博物館」のプロ根性に脱帽してしまいます…。






そして、何よりでれすけが驚いたのは「木製の風呂」!!!
…こんな木製の風呂に、でれすけは入ったことがありません!!
でれすけが入居していた昭和50年代初頭には、現在の風呂桶と同じようなものでした…。

ちなみに、初期の公団団地の浴室には写真のような、木製の【小判型】と呼ばれる、風呂桶に内釜が内蔵されたガス風呂が設置されていました。

風呂を沸かすには、まずパイロットコックを開き、パイロットに点火し、本コックを開いて、バーナーに点火する…と、まぁ、それはそれは、手間のかかるものでした。
(※ちなみに、松戸市立博物館では、当時の点火設備を再現できていない。)

しかし、当時の「外風呂」が一般的であった時代に、「内風呂」があるというのは、かなり贅沢なつくりだったのです。

ちなみに、公団は最初から浴室を装備していましたが、戦前の同潤会アパートでは「共同風呂」どまりでした。
戦後、昭和25年に建設された「国鉄アパート」は、最初に各居室に浴室が設置されましたが、シャワー室だけで、浴槽を備えたものではなかったのです。

このような歴史からも、各居室に浴槽を備えた浴室を設置した公団の功績は、大きなものがあると思います。


とりあえず今回は、「浴室」編でした。
次回は、「ダイニングキッチン」編です。

それでは、また♪

松戸市立博物館(補足)~星型住宅~

2008年01月08日 | 「博物館・科学館・動物園」
前回、団地に関する話を書いたときに、「スターハウス(星型住宅)」について少しだけ書きました。

それを読んだでれすけの友人から、「スターハウス」って何???というメールが来たので、今回は少しだけ脱線して、「スターハウス」について書いてみます。

「スターハウス」とは、昭和30年代築の公団団地に建てられた住宅の一つで、一般的な四角い団地とは形が異なります。
「スターハウス」は、公団住宅に限らず、公務員宿舎や、市営団地等にも採用されました。
上からみると、こんな感じです。


(公団芦花公園団地のスターハウス(現存していない))


上からみると良く分かりますが、「スターハウス」は【三ツ矢サイダー】のマークみたいな形になっています。






横から見た「スターハウス」はこんな感じです。(京都市内の某団地のスターハウス。公団ではありません。給水塔も美しい!!!)

単調になりがちな団地に花を添える存在であったスターハウス。
しかしながら、時代の経過と共に老朽化し、今、完全にこの世から姿を消そうとしています。




昭和30年代築の公団団地。
そこには、先人の知恵がぎっしりと凝縮されているのです!


松戸市立博物館~常盤平団地。~

2007年12月25日 | 「博物館・科学館・動物園」
さて、だいぶ間が開きましたが、「松戸市立博物館」の続きです。


松戸市立博物館には、「公団 常盤平団地」の復元展示があります。


「公団 常盤平団地」は昭和35年入居開始の団地で、当時の居住者の平均は

「世帯主の年齢は20~30代、月収3~4万円くらい、年齢が若い割には比較的高収入、東京の中心部に勤めるサラリーマン、家族形態は夫婦のみ又は夫婦と幼児」

という形態であり、現在風に言うと、まさに「勝ち組」が住んでいたのです。

実は、建設当時の「公団団地」は、若い夫婦にとって、まさに「六本木ヒルズ」並みの、憧れを抱いた住宅だったのです!!

…今じゃすっかり、「ボロイ」「汚い」「狭い」「貧しい」等などのネガティブなイメージしかない「公団団地」ですが、当時は、「団地族」と呼ばれ、人々の羨望の的だったのです!!

ちなみに、昭和35年版『国民生活白書』では、この「団地族」という言葉を、

「世帯主の年齢が若く、小家族で共稼ぎの世帯もかなりあり、年齢の割には所得水準が高く、一流の大企業、公官庁に勤めるインテリ、サラリーマン」

と、説明しています。

公団団地は「抽選」で入居が決定するのですが、当時の倍率は10~20倍まで上昇し、「宝くじに当たるよりも、当選するのが難しい」と言われていました。(今考えると、信じられませんね…。)

当時、まだまだ木造・風呂無し・非水洗トイレのアパートが一般的であった中で、「公団団地」は

「鉄筋コンクリート」「清潔な水洗トイレ」「各家庭に風呂完備」ステンレスのダイニングキッチン」

という、まさに若い夫婦の憧れが、全世帯に完備されていたのです。


補足ですが。

「公団団地」とサラリと書いてしまいましたが、「公団」とは昭和30年に設立された「日本住宅公団」の略称(通称)で、現在は「都市再生機構(UR)」と名を変えて存在しています。

でれすけは、すでに存在しない「公団」という言葉を連発して書いていますが、団地に対する愛着と、「公団」の実績の偉大さに経緯を表して、ここでは「公団」と旧称で書いていきます。


さてさて、前置きが異常に長くなりましたが(本当はもっと書きたいことがいっぱいあるのですが。)、早速本題に移りましょう。



松戸市立博物館の2階、「総合展示」では、初めて人々が松戸にやってきた約3万年前からの歴史が展示されいます。

「公団 常盤平団地」は、「都市へのあゆみ」として最後に展示されています。

それでは、「都市へのあゆみ」のコーナー、始まりです!!






まず、最初に目に入るのが「常盤平団地の案内図」。

常盤平団地は、「団地」の定番とも言える、四角くて4~5階建て位の「中層フラット棟」だけではなく、単調な団地にアクセントを加える目的で建てられた「星型住宅(スターハウス)」なんかも建てられています。

でれすけが子どもの頃住んでいた団地にも、星型住宅が3棟建っていました。
星型住宅は中層フラット棟とは異なり、北側から入り、螺旋階段で各居室へ向かうため、階段室に光があまり入らず、昼間でも薄暗い「星型住宅」が怖かった思い出があります。

…しかし、団地巡りを始めてからは、そのデザイン性の高さと、収納から採光等、全てにおいて先人の知恵が凝縮されている「星型住宅」にすっかり魅せられ、今では「星型住宅」のある団地を発見すると、テンションがあがってしまうのです…。


また、案内図からは分かりにくいと思いますが、「公団団地は、冬至の日でも、日照時間が4時間確保できる方角」を向いて建っています。
でれすけが、幼い頃過ごした団地も、南向きで、冬でも窓を開けて日向ぼっこをしていました。







団地の外観です。
常盤平団地は、窓枠は木製ではありませんが、でれすけが幼い頃過ごした団地の窓枠は、木製でした。
しかも、でれすけが幼少期を過ごした団地は、今年取り壊されたのですが、2007年まで、木製の窓枠のままだったそうです…。






常盤平団地の「玄関」です。
やたらとでかい「のぞき窓」、牛乳受け…懐かしいです。

牛乳受けは、でれすけが過ごした昭和50年代には使われなくなっていましたが、昔は牛乳配達が一般的で、どこの家庭も当たり前のように使用していたそうです。

ちなみに、でれすけ家では、「家族共用の家の鍵」の隠し場所にしていました。
今考えると、バレバレですね…。

「玄関の鍵」の補足ですが、大規模に「シリンダー錠」を導入したのは「公団団地」が始まりとされています。
現在では当たり前のシリンダー錠ですが、「公団」が導入したことによって広く普及したのです。
このような小さな所からも、「公団」の果たした役割の大きさを感じます。






玄関から、反対側のお宅の玄関を見てみました。
ちなみに、ここの団地のドアの色は「白」ですが、団地のドアの色は、十人十色ならぬ「十団地十色」とでも言いましょうか、様々な色があります。

でれすけが幼少期に住んでいた団地は、1階ピンク、2階青、3階黄色、4階緑と、階によって色分けされていました。






牛乳受けとインターホンのアップです。

初期に入居したお宅のインターホンの音は、クイズ番組で「不正解」の場合に使われるような「ブ~!!」という音が一般的でした。
その後、入居したお宅では、「正解」音みたいな「ピンポ~ン」という音になりました・・・。


「インターホン」が、一般的では無い時代に、インターホンも完備されていた「公団団地」。
若い夫婦が憧れるのも納得がいきます。


さて、今回は、玄関までで終わってしまいましたが、次回からは、部屋に潜入していきます!!
それでは、また。

松戸市立博物館。

2007年12月21日 | 「博物館・科学館・動物園」
先日、でれすけは、千葉県松戸市にある「松戸市立博物館」へ行って来ました。

この「松戸市立博物館」は、縄文時代から現代までの、歴史を学ぶことができる博物館です。





博物館への交通は、

① JR武蔵野線「新八柱」駅・新京成線「八柱」駅下車
  新京成バス小金原団地行「公園中央口」下車徒歩1分
② JR常磐線(各駅停車)「北小金」駅下車
  新京成バス八柱駅行「公園中央口」下車徒歩1分

となっています。

でれすけは、車で行きました。
駐車場は500円でした。
…が、博物館に駐車場は無く、かなり離れた公園ないし市民ホールの駐車場を利用しなくてはならないので、結構不便です。

しかし、観覧料は、一般300円とリーズナブルです。
かなり、見所のある博物館なので、でれすけは300円は「安い!!」と思いました…。


ここの博物館の野外展示には、縄文時代の竪穴式住居が3棟復元されており、体験講座が開かれています。


また、常設展示には、「団地マニア」が涙を流して喜ぶ展示があります。

それは、「公団 常盤平団地」の復元展示!!!!


「…え?団地????????何でそんなものが…???」

…と、思う方が大半でしょうが、「松戸市」の歴史を語る上において、絶対に外すことができないのが、「公団 常盤平団地」なのです。



ちなみに、でれすけは、全く「松戸市」に縁もゆかりもありません

今回、この博物館にやってきた理由はただ一つ。

でれすけが、団地マニアであるということ。

「団地マニア」は、最近注目されるようになってきましたが、メディアで注目される以前から、でれすけは「団地」が好きで、かれこれ15年間程、役目を終えた「公団団地」の写真を撮り歩いています。

ちなみに「団地マニア」には、「撮り団」「住み団」「見る団」「給水塔マニア」「配電盤マニア」等々、様々なジャンルがあるようですが(鉄道マニアみたいですね(笑))、でれすけは「撮り団」です

もともとは、自分が都内の小さな公団団地で幼少期を過ごしたことがきっかけで、「団地」に興味を持ったのですが、高校生の頃には役目を終えた団地に対する、なんとも言えない感情が湧き、それらの団地をめぐっているうちに、すっかり団地の虜になってしまったのです。


そんな訳で、今回は「松戸市立博物館」のうち、「都市へのあゆみ」のコーナーのみ、紹介します



文章が長くなりそうなので、次回に続きます







…ちなみに、企画展は「大名の旅」がやっていました…。



上野動物園。

2007年12月20日 | 「博物館・科学館・動物園」
でれすけは先日、上野動物園に久しぶりに行って来ました。

上野動物園には、高校生の頃から、色々な思い出があるのですが、今回は、特に意味も無く、ほんの思いつきで足を伸ばしてみました。






上野動物園の入り口です。
入場料、高いですね…。
現在は、大人600円と、結構な値段になっています。

東京都で生まれ育ったでれすけは、正直、高校生までお金を払って上野動物園に入った事はありませんでした。

東京都民の場合、動物園無料開放の日があったり、高校生以下なら土曜日が無料…などの日があったので、そういう日ばかり狙って動物園に行っていたのです。

今回は、生まれて初めてお金を払って入場しました(汗)






入場してしばらく進むと、クマのコーナーがあります。

しかし、12月も半ば、ほとんどのクマさんが「冬眠」していて、その姿を見る事ができませんでした。

仕方が無いので、クマさんブロンズ像を写真に収めてみました。









ラマA)「最近、めっきり寒くなったな~。」

ラマB)「んだ。こんなに寒い中頑張ってるのに、ギャラ据え置きって、どういうことだよ…。」



少し歩くと、「ラマ」さんがいました。
「ラマ」って、あまり聞きなれない動物ですが、ディズニー好きの人なら、『ラマになった王様』という作品で御存知かと思います。

2匹のラマさんから、ボヤキが聞こえてきそうなくらい、寒い日でした。








続いて、「バク」がいました。

大和田…ではなく(…ベタ過ぎですが。)、夢を食べると言われている「バク」です。

「バク」は落ち着きが無く、やたらめったら、あちこちウロウロしていました。







不忍池。

水鳥がいっぱいいました。







オオアリクイ。

物凄い勢いで、ペットボトルの中の餌を食べていました。







鶴。

特に、コメントも無く、普通にいた感じでした。








大鷲。

物凄くでかくて、怖かったのですが、説明によると、羽を怪我していて、二度と空を飛ぶことができない鷲なのだそうです。

上野動物園が、保護しているとのことでした。




久々に行った上野動物園でしたが、新たな発見も多くて、とても楽しい1日でした。

上野動物園から足が遠のいている方、是非、3連休にでも上野動物園に行ってみては如何でしょうか?