おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

Re:チェーホフと鴎外

2023-09-08 23:02:00 | 日記
「その曖昧さに賭けろ」

と、
最近言われた。

アントン・チェーホフの「賭」という作品が子どものころからずっと好きだ。

これもやっといえた。

アントン・チェーホフの『賭』において


死刑と無期懲役のどちらを選ぶかという議論からこの短編は始まり、生き方の質(≒ある意味のQOL)を考えさせられる。


いきなりだが、チェーホフと森鴎外の作品ではなく、
人物像や彼らの背景、
さらに性格まで似ているように私は思う。

まず、アントン・チェーホフと森鴎外は医師であるが、
彼らは、死に向き合うのが怖く、
その結果、残酷な現実を突きつけられ、
罪悪感に苦しむことになる。
チェーホフの場合は肉親の病や死をみたくなくて、迂回し、
避け、そして逡巡していたら、
診る前に亡くなってしまったし、
鴎外の場合は肩書き、プライド、そしてに意地に固執したせいで、ビタミンB1の投与に踏み切れず、多くの陸軍の人々を死に至らしめてしまった。

酷い爪痕だったであろう。

つぎに、ふたりとも罪悪感や現実逃避を昇華して描いたと(私には)思われる作品がある。

チェーホフは先に挙げたが、
鴎外は安楽死や生命の尊厳、
そしてそれに付随する代償を己の手に委ねられた人物を描き出した作品である「高瀬舟」だ。

負の体験を昇華出来なければこれらの(芸術)作品は生まれ得なかっただろう。

そして、ふたりとも、見事な筆致で
まばたきが黙るような世界をみせてくれた。

さらに、視点、視座、というか、他者の世界の視る方向を変えられる人々に尊敬の念を抱く。

例えば、1+2+3+4+5......n-2+n-1+n
=(n+1)×n×1/2
と表した Carolus Fridericus Gauss、

ピアノを開いてから「4分33秒」(=273秒なので絶対零度と関係があるのでは?と私は思う。)待って、ピアノを閉じ、
「そのとき、その場所、その聴衆」でしかできない新しい音楽のかたちを創ったJohn Cage、

そしてパリの空気を貯めてみたかったり、便器をひっくり返し、匿名で出品し既成概念を打ち壊した Marcel Duchamp

たち、先駆者たちに対して抱く敬意が、私の人生をたまに変えてくれたりしてきた。

今までも、これからも、敬意との出逢いを楽しみにいきたい。

ここまで読んでくださりありがとうございます。ら忙しくなり、しばらく日記を休むことになるかもしれませんが、また、よろしくお願い致します。
Re:シリーズ、しばらくいきます。




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