三島由紀夫は、『小説家の休暇』のなかで
「私が、太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。
第一私はこの人の顔がきらいだ。
第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。
第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。
......(中略)......生活で解決するべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。
いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」
と述べている。
このような太宰治批判を三島由紀夫がしたのは、太宰が(「病人」であるかどうかを別にして)、
ただ、「病人であること」の文学的価値を前提にして、病人であることを目指し、またそれを自慢しているからであろう。
私は、三島の文学を読むとき、彼の太宰へのこのような厳しい批判、さらに言うなれば、太宰への拘り方を、想起してしまう。
なぜなら、三島由紀夫の太宰批判のなかには、単に、太宰治という作家に対する好き嫌いを越えた、太宰治によって明らかになる三島自身の問題が含まれていたようにも思えるからである。
さらに言うなれば、三島の激し過ぎる太宰の批判には、太宰治に代表される近代日本文学の存在基盤の問題を明らかにしようとする意図があるのかもしれない、とも思う。
太宰治が、「治りたがらない病人」を演じ続けたのは、少なくとも文学の世界においては「病人」が価値であったからであろう。
読者は、太宰の文章に、しばしば、「病気そのもの」を見てしまいがちであるが、太宰の書く病気は「記号」であり、「実態」ではない。
言うなれば、太宰治の病気は、「演技としての病気」であり「本来の病気」とはかけ離れていたのである。
太宰も『人間失格』のなかで「ワザ、ワザ」ということばに、戦慄する主人公を描いているので、自らの「演技としての病気」を、どこかでは認識していたのかもしれない。
三島由紀夫が、太宰治を嫌うのは、太宰治のなかにある自己矛盾、そして、自己欺瞞を嫌うからであろう。
また、太宰治ほど自己矛盾を極限まで追求した作家は稀有であることは、事実である。
三島由紀夫の太宰批判と並べて、検討したいのは、江藤淳による太宰批判である。
このふたつの太宰批判に差異があるとするならば、ひとつが三島という「作家」の手によるものであるのに対して、もうひとつが江藤という「批評家」の手によるものであるというところだけである。
江藤は、『太宰治』のなかで、
「彼のなかには、甘ったるい悪い酒のようなものがあった。
あるいは『ふざけるな。いい加減にしろ』と言いたくなるものがあった。
『ホロビ』の歌を歌っていられるのは、まだ贅沢のうちである。
『ホロビ』てしまっても人は黙って生きていかなければならぬ。
『ホロビ』た瞬間に託される責任というものもあるからである。......(中略)......『暗ク』生きるのもまた贅沢のうちであり、どこかに他人が声をかけてくれないかという薄汚れた期待を隠している。
私が自分を見出した状態は、甘えるのも甘えられるのも下手な芝居のように思えて来るようなものだったので、私は結局『アカル』く生きることにした。
『アカルサ』を演じるというのではない。
深海魚のように自家発電をして生きるのである。
そのためには、太宰は役に立たなかったから、私は彼の作品を読むのをやめて語学をやり始めた」
と述べている。
太宰を嫌悪し、激しく批判した文学者は、三島由紀夫と江藤淳のふたりのように思う。
このふたりの批判には、近親増悪に近いものすら読み取れるのだが、三島由紀夫も江藤淳も、太宰治の魅力を十分認めているのではないだろうか。
認めた上で批判するからこそ、三島と江藤の太宰批判は、おのずと相当に厳しいものとなり、やや、感情的、生理的な反発となってしまうのではないだろうか。
気をつけたいのは、三島由紀夫が
「治りたがらない病人には病人の資格がない」
と言い、
江藤淳が
「私は図々しい弱者が嫌いである」
と言うのは、決して「病人」や「弱者」を批判しているのではないということである。
ただ、彼らは、
「思想としての病人」や「思想としての弱者」を批判しているだけ、なのである。
確かに、近代日本文学のイデオロギー体系のなかでは、「病人」や「弱者」が価値であった。
だからこそ、作家たちも好んで「病人」や「弱者」を描き、それを賛美した。
太宰治もまた、この近代文学的なパラダイムの中では、極めて優れた優等生では、あった。
しかし、問題はそこにあったのである。
太宰治は、「病人」や「弱者」を好んで描き、また、同時に彼自身も「病人」や「弱者」を演じ、そして、多くの太宰ファンは、「太宰作品のなかの作品人物」と「太宰治」を同一視したのである。
三島由紀夫や江藤淳が、太宰治の魅力を認めながら、それを激しく嫌悪するのは、太宰治における自己欺瞞的な倒錯の論理を許さないから、ではないだろうか。
しかし、この倒錯は、決して、太宰治だけにあるのではなく、むしろ近代文学の存在根拠にあると言っても過言ではないのかもしれない。
やはり、ふたりの文学者の太宰治批判は、太宰治によって代表される近代日本文学の存在基盤の問題を暗示しているのかもしれない。
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*見出し画像は、少し前に近所でたぶん撮影ロケ?をやっていた前後の光景です。