「いつ、どこで、どう」するのかという、問いに対して、何故か、誰も解を持ち合わせていなかった。私は自身の死がせまったとき、問うことすら恐れていた。何故なら、繋がらないいのちの電話の類いほど私を絶望させるものもないからだ。#繋がらないいのちの電話
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