スペイン・マラガ空港→バルセロナ
マラガの空港からバルセロナに向かうために空港ロビーの待合室にいると、目の前に座ってたカップルがいちゃいちゃしていた。
情熱の国スペインというキャッチフレーズに違わず、本当にこちらのカップルは人目もはばからずいちゃいちゃしている。
街を歩いていても、いったいこの人たちはこんな体勢で歩けるのか?ってくらいに互いの体にまとわり付きながら歩いているので、こっちが恥ずかしくなってきてしまう。
私達が参加したツアーは、ハネムーナーが多かったので、彼らも手を繋いで歩いてたりしていたのだが、私達は付き合いが長いせいかまったく手を繋ぐって事がなかったなぁ。
これでも新婚なんだけどなぁ…。(遠い目)
ぼんやりカップルを見ていると、なにやら急にケンカをしだした。
新聞を読んでいた彼に彼女がちょっかいを出していて、それが気に食わなくて言い争いをしだした。
ケンカも情熱的に結構激しい。このままいくと殴り合いに発展しそうな勢いだったのに、ケンカし始めてから3分も経たないうちにまたいちゃつき始めた。
…もう勝手に二人でやってくれ。
飛行機出発の時間が5時なので、もうそろそろだな、と思い並んでいる列に加わる。
スーツ姿のビジネスマンがいたり、親子連れがいたり、バラエティ豊かだが、日本人はうちの団体だけのようだ。
ずーっと待ってて、もう5時になろうとしてるのに、いっこうに列は進まない。
添乗員さんが問い合わせてみると、飛行機が遅れていて出発は30分ほど遅れると言う。
海外だから仕方ないけど、こういうときに日本がいかに時間に正確かって事が良く分かる。
結局1時間遅れて午後6時出発。バルセロナには7時25分に到着。
今日のホテルは「バルセロ・サンツ・ホテル」
サンツ駅のすぐ上にある駅直結のホテルだ。
駅直結ってことでビジネス客が多い。
ホテルの従業員が揃いの黒のポロシャツに黒のパンツを着ていて、それだけでなんかデザイナーホテルの香りがしてくるのだが、館内もいい感じにデザインされている。
ウェイティングバーのピアノが生演奏だったり、館内に置いてある印刷物もタイポグラフィや写真に気を配っているのが分かって、これだけで結構気に入ってしまった。
添乗員さんの知り合いが宅配すし屋をしているので、希望者は注文を受け付けるといっているので、頼んでみた。
夜遅いし、この辺の地理が分からないっていうのもあるけど、アルハンブラからミハスなど、結構な距離を移動して疲れてるっていうのが大きかった。
バルセロナに着く前に注文をとって、ホテルに付く頃には配達されているはずなのに、まだ来ない。
チェックインの手続きを済ませても、寿司が来るまで部屋に行けないのだ。
待つこと20分。やっと配達がやってきた。
「こんばんは~」とのんきな日本語でやってきたスペイン人の兄ちゃん。
「これが寿司。これがお茶。」悪びれる様子もなくニコニコしながら品物を渡す。
添乗員さんも「時間に遅れたっていう意識がないのよねぇ~。困ったもんだわ」とあきれ顔。
部屋に入って寿司を食べ、テレビをつけてみる。
スペイン来てから見ているテレビは大体スポーツニュースとアニメチャンネル。
特にアニメチャンネルは日本でおなじみの「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」がこっちの吹き替えで放送してるのだけど、微妙に声を日本版に似せてあったりして結構楽しめる。
セリフはもちろんスペイン語なのだけど、登場人物の名前をちゃんと「しんちゃん」と言ってたり、先生に対して「セニョリータ」と言ってたり、いろいろ見ていて勉強になった。
スポーツチャンネルに合わせると、サッカーの試合をやっている。
ユーロ2004の前の親善試合のようだ。
スペイン代表とアンドラ代表。
結果は4-0でスペイン代表の圧勝。
こういう親善試合だからか、相手が弱すぎるからか、それともいつもこんな調子なのかは分からないけど、試合の実況が結構たんたんとしていて新鮮だった。
これが日本のテレビ局だったら、ゴール入れたとたんに「ゴール!ゴール!!ゴール!!!」って叫ぶんだろうけど、こっちの場合はとにかく冷静。
「バラハからボールが渡りました。ビセンテがボールを受けました。ビセンテがシュートを打つ。ゴール。ビセンテ、ビセンテがゴールしました。」
こんな感じ。
実況がうるさくなくて、試合に集中して見ることができて、なかなかいいなぁ。
スペイン・バルセロナ2日目/気温34度
ホテルを9時に出発。今日はいよいよガウディの作品とご対面。
いつものようにバスに乗り込み、まずは左手にミロの女性と小鳥の像、スペイン広場、ランブラス通りへと進んでいく。
ガイドさん曰く「ここのランブラス通りはスリのメッカと言われているので、ここを通る時は気をつけてくださいね。」
なんとなく、マドリードに比べてこっちの方が治安が悪いような雰囲気がするなぁ。
バルセロナはスペインのカタルーニャ地方にあり、カタルーニャ独自の文化を持っている。
スペイン語はもちろん話すけれども、この地方特有のカタラン語の方が公用語になっている。
ここ最近は小学生の頃からカタラン語オンリーの授業を行っている学校も多く、カタルーニャの文化を守ろうという意識が強まっているらしい。
街の標識もスペイン語とカタラン語のダブル表記になっている。
バルセロナは地理的にフランスに近いせいか、カタラン語はフランス語とスペイン語が混ざったような言葉に思える。
「こんにちは」を意味するスペイン語は「オラ」なのだけど、カタラン語だと「ボン・ディア」になる。なんとなく「ボン・ジュール」に近い。
バルセロナ県の県民性も独特で、スペイン人というと情熱的で開放的なイメージがあるけど、ここバルセロナの人々は勤勉でとても真面目な人が多いらしい。
グラシア通りのカサ・バトリョへ。
ガイドさんが言うには「バトリョ」よりも「バッジョ」の方がこっちの発音に近いらしい。
木が邪魔して見えないけど、このくねくねっとした屋根の建物。
左側に建っているのはモデルニスモ建築家の一人、プッチ・イ・カダファルクという人の「カサ・アマトリエール」という建物。
バトリョ邸を見学。
以前は見学できなくて、近年ようやく見学ができるようになったらしい。
見学できるのは2階部分までで、その上の階には一般の人が住んでいる。
この建物はドラゴンをイメージしているらしく、窓の部分はまるでドラゴンのあばら骨のようだ。
天井にはこんな装飾が。
部屋の内部はドラゴンの内臓をイメージしてるそうで、壁も天井も有機的な装飾が施されている。
あんまり写真撮る暇がなかったので、パンフレットから引用。
イメージ伝わるかしら。
2階のベランダからバトリョ邸の裏側
この建物は実業家のバトリョさんがガウディに改築を依頼、1904~06年に建造した建物らしい。
今はチュッパチャップスの会社のオーナーの持ち物だそうな。
あ、ちなみにチュッパチャップスはスペインの会社です。知らなかった~。
バトリョ邸の後はバスの車窓からカサ・ミラを見学。
数年前まではここも人が住んでたらしいけど、今は誰も住んでいないとか。
ここも中を覗いてみたかったけど、今日はいろいろまわるので残念ながら外観のみ。
次はグエル公園へ。
私達は裏から入場したので、いきなりベンチから。
ちょっと遠くで分かりづらいけど、上がタイルでできたベンチ。
下が駐車場用スペースになっている。
ここの公園はもともとは宅地として造成されたのだけど、思うように売れずに失敗。公園として生まれ変わったそうだ。
タイルのベンチは職人さんのお尻の形をモチーフに作られたとか。
このベンチに使われたタイルはこのベンチ用に作られたのではなく、廃材になったタイルを集めてきて作られたらしい。物を大切にするリサイクルの精神がこんな時代から考えられていたとは。
ガウディの家。
ガウディの家っていっても、本人が設計したわけではなく、ガウディの弟子が設計。
その弟子は5人も子供がいて、あまりにもお金に困っていたために、見るに見かねたガウディが弟子に依頼して作らせたのだそうだ。
少しの間だったけど、ちゃんとここに住んでいたらしい。
回廊
この回廊の上は馬車が通るように設計されていて、下の部分は歩道として考えられていた。
この当時に馬車と歩道を立体で共存させるという考えはなく、この時代にこういうことを考えていたガウディはとても先のことを考えて設計していたことがよく分かる。
ちなみにこの回廊は石を積み上げてできているように見えますが、本当はコンクリートでできていて、表面だけ石を貼ってあります。
オーナーのグエルさんはコンクリートの会社を経営していて、ガウディはそのコンクリートの宣伝を兼ねて回廊の材料に使ったのではないか、と言われています。
表面に貼った石も、廃材になっていたものを集めてきてつけてあります。
ガウディは敬虔なクリスチャンだったので、生活も質素で倹約の精神を貫いていたために、彼の建築物もリサイクルが基本になっているようです。
<長いので続きます…>
マラガの空港からバルセロナに向かうために空港ロビーの待合室にいると、目の前に座ってたカップルがいちゃいちゃしていた。
情熱の国スペインというキャッチフレーズに違わず、本当にこちらのカップルは人目もはばからずいちゃいちゃしている。
街を歩いていても、いったいこの人たちはこんな体勢で歩けるのか?ってくらいに互いの体にまとわり付きながら歩いているので、こっちが恥ずかしくなってきてしまう。
私達が参加したツアーは、ハネムーナーが多かったので、彼らも手を繋いで歩いてたりしていたのだが、私達は付き合いが長いせいかまったく手を繋ぐって事がなかったなぁ。
これでも新婚なんだけどなぁ…。(遠い目)
ぼんやりカップルを見ていると、なにやら急にケンカをしだした。
新聞を読んでいた彼に彼女がちょっかいを出していて、それが気に食わなくて言い争いをしだした。
ケンカも情熱的に結構激しい。このままいくと殴り合いに発展しそうな勢いだったのに、ケンカし始めてから3分も経たないうちにまたいちゃつき始めた。
…もう勝手に二人でやってくれ。
飛行機出発の時間が5時なので、もうそろそろだな、と思い並んでいる列に加わる。
スーツ姿のビジネスマンがいたり、親子連れがいたり、バラエティ豊かだが、日本人はうちの団体だけのようだ。
ずーっと待ってて、もう5時になろうとしてるのに、いっこうに列は進まない。
添乗員さんが問い合わせてみると、飛行機が遅れていて出発は30分ほど遅れると言う。
海外だから仕方ないけど、こういうときに日本がいかに時間に正確かって事が良く分かる。
結局1時間遅れて午後6時出発。バルセロナには7時25分に到着。
今日のホテルは「バルセロ・サンツ・ホテル」
サンツ駅のすぐ上にある駅直結のホテルだ。
駅直結ってことでビジネス客が多い。
ホテルの従業員が揃いの黒のポロシャツに黒のパンツを着ていて、それだけでなんかデザイナーホテルの香りがしてくるのだが、館内もいい感じにデザインされている。
ウェイティングバーのピアノが生演奏だったり、館内に置いてある印刷物もタイポグラフィや写真に気を配っているのが分かって、これだけで結構気に入ってしまった。
添乗員さんの知り合いが宅配すし屋をしているので、希望者は注文を受け付けるといっているので、頼んでみた。
夜遅いし、この辺の地理が分からないっていうのもあるけど、アルハンブラからミハスなど、結構な距離を移動して疲れてるっていうのが大きかった。
バルセロナに着く前に注文をとって、ホテルに付く頃には配達されているはずなのに、まだ来ない。
チェックインの手続きを済ませても、寿司が来るまで部屋に行けないのだ。
待つこと20分。やっと配達がやってきた。
「こんばんは~」とのんきな日本語でやってきたスペイン人の兄ちゃん。
「これが寿司。これがお茶。」悪びれる様子もなくニコニコしながら品物を渡す。
添乗員さんも「時間に遅れたっていう意識がないのよねぇ~。困ったもんだわ」とあきれ顔。
部屋に入って寿司を食べ、テレビをつけてみる。
スペイン来てから見ているテレビは大体スポーツニュースとアニメチャンネル。
特にアニメチャンネルは日本でおなじみの「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」がこっちの吹き替えで放送してるのだけど、微妙に声を日本版に似せてあったりして結構楽しめる。
セリフはもちろんスペイン語なのだけど、登場人物の名前をちゃんと「しんちゃん」と言ってたり、先生に対して「セニョリータ」と言ってたり、いろいろ見ていて勉強になった。
スポーツチャンネルに合わせると、サッカーの試合をやっている。
ユーロ2004の前の親善試合のようだ。
スペイン代表とアンドラ代表。
結果は4-0でスペイン代表の圧勝。
こういう親善試合だからか、相手が弱すぎるからか、それともいつもこんな調子なのかは分からないけど、試合の実況が結構たんたんとしていて新鮮だった。
これが日本のテレビ局だったら、ゴール入れたとたんに「ゴール!ゴール!!ゴール!!!」って叫ぶんだろうけど、こっちの場合はとにかく冷静。
「バラハからボールが渡りました。ビセンテがボールを受けました。ビセンテがシュートを打つ。ゴール。ビセンテ、ビセンテがゴールしました。」
こんな感じ。
実況がうるさくなくて、試合に集中して見ることができて、なかなかいいなぁ。
スペイン・バルセロナ2日目/気温34度
ホテルを9時に出発。今日はいよいよガウディの作品とご対面。
いつものようにバスに乗り込み、まずは左手にミロの女性と小鳥の像、スペイン広場、ランブラス通りへと進んでいく。
ガイドさん曰く「ここのランブラス通りはスリのメッカと言われているので、ここを通る時は気をつけてくださいね。」
なんとなく、マドリードに比べてこっちの方が治安が悪いような雰囲気がするなぁ。
バルセロナはスペインのカタルーニャ地方にあり、カタルーニャ独自の文化を持っている。
スペイン語はもちろん話すけれども、この地方特有のカタラン語の方が公用語になっている。
ここ最近は小学生の頃からカタラン語オンリーの授業を行っている学校も多く、カタルーニャの文化を守ろうという意識が強まっているらしい。
街の標識もスペイン語とカタラン語のダブル表記になっている。
バルセロナは地理的にフランスに近いせいか、カタラン語はフランス語とスペイン語が混ざったような言葉に思える。
「こんにちは」を意味するスペイン語は「オラ」なのだけど、カタラン語だと「ボン・ディア」になる。なんとなく「ボン・ジュール」に近い。
バルセロナ県の県民性も独特で、スペイン人というと情熱的で開放的なイメージがあるけど、ここバルセロナの人々は勤勉でとても真面目な人が多いらしい。
グラシア通りのカサ・バトリョへ。
ガイドさんが言うには「バトリョ」よりも「バッジョ」の方がこっちの発音に近いらしい。
木が邪魔して見えないけど、このくねくねっとした屋根の建物。
左側に建っているのはモデルニスモ建築家の一人、プッチ・イ・カダファルクという人の「カサ・アマトリエール」という建物。
バトリョ邸を見学。
以前は見学できなくて、近年ようやく見学ができるようになったらしい。
見学できるのは2階部分までで、その上の階には一般の人が住んでいる。
この建物はドラゴンをイメージしているらしく、窓の部分はまるでドラゴンのあばら骨のようだ。
天井にはこんな装飾が。
部屋の内部はドラゴンの内臓をイメージしてるそうで、壁も天井も有機的な装飾が施されている。
あんまり写真撮る暇がなかったので、パンフレットから引用。
イメージ伝わるかしら。
2階のベランダからバトリョ邸の裏側
この建物は実業家のバトリョさんがガウディに改築を依頼、1904~06年に建造した建物らしい。
今はチュッパチャップスの会社のオーナーの持ち物だそうな。
あ、ちなみにチュッパチャップスはスペインの会社です。知らなかった~。
バトリョ邸の後はバスの車窓からカサ・ミラを見学。
数年前まではここも人が住んでたらしいけど、今は誰も住んでいないとか。
ここも中を覗いてみたかったけど、今日はいろいろまわるので残念ながら外観のみ。
次はグエル公園へ。
私達は裏から入場したので、いきなりベンチから。
ちょっと遠くで分かりづらいけど、上がタイルでできたベンチ。
下が駐車場用スペースになっている。
ここの公園はもともとは宅地として造成されたのだけど、思うように売れずに失敗。公園として生まれ変わったそうだ。
タイルのベンチは職人さんのお尻の形をモチーフに作られたとか。
このベンチに使われたタイルはこのベンチ用に作られたのではなく、廃材になったタイルを集めてきて作られたらしい。物を大切にするリサイクルの精神がこんな時代から考えられていたとは。
ガウディの家。
ガウディの家っていっても、本人が設計したわけではなく、ガウディの弟子が設計。
その弟子は5人も子供がいて、あまりにもお金に困っていたために、見るに見かねたガウディが弟子に依頼して作らせたのだそうだ。
少しの間だったけど、ちゃんとここに住んでいたらしい。
回廊
この回廊の上は馬車が通るように設計されていて、下の部分は歩道として考えられていた。
この当時に馬車と歩道を立体で共存させるという考えはなく、この時代にこういうことを考えていたガウディはとても先のことを考えて設計していたことがよく分かる。
ちなみにこの回廊は石を積み上げてできているように見えますが、本当はコンクリートでできていて、表面だけ石を貼ってあります。
オーナーのグエルさんはコンクリートの会社を経営していて、ガウディはそのコンクリートの宣伝を兼ねて回廊の材料に使ったのではないか、と言われています。
表面に貼った石も、廃材になっていたものを集めてきてつけてあります。
ガウディは敬虔なクリスチャンだったので、生活も質素で倹約の精神を貫いていたために、彼の建築物もリサイクルが基本になっているようです。
<長いので続きます…>
今すぐだー!
うえーん(泣)
続くの?
拷問に近い。
と言う事で、俺も叫ぶ。
俺を今すぐバルセロナに連れて行ってくれよぉー!
その石に触らせてくれよぉーーーーーーーーーー!
うわぁーーーん
早く次読ませて(願)
っていうのが理想かなぁ。
何時か行けると良いが。
スペインは代表には余り興味がないようで。
この前の「Foot!」にて話が出てました。
地方によってバラバラなんで仕方が無いみたい。
「クレヨンしんちゃん」は人気みたいですね。
大分前の「ウルルン滞在記」で見ました。
チュッパチャップスのデザインってダリですよね。
スペイン繋がりだったのね。
しかし建物の天井凄いな。
なんだか落ち着かない気もしますが。
食う軍活動もしなきゃならないので、旅行記の続きはもう少しお待ち下さいませ。
>>kisshさん
ふっふっふ。続きますよ~。
私がよだれの川に溺れるのが早いか、kisshさんがスケッチブックの雪崩に遭うのが早いか、競争ですね♪
>>kawakeroさん
続きは写真がこ~んなにあるし、エピソードもこ~んなにあるんですけどね、作戦発動されたので、しばらくは食う軍活動にいそしみます。
>>rockanddanceさん
私も美術館巡りとカンプ・ノウ見たかったんですけど、ツアーでまわるところ決まってたし、自由時間が半日しかとれなかったんで断念してしまいました。
チュッパチャップスのデザインって、ダリだったんだ~!知らなかった。
デパートとか行くとチュッパチャップスブランドのグッズがたくさんあって面白かったですよ。