「秋の暮れ たなびく煙 ソコここに 遠いお山は陽に映えて」
→ 一年の納めで畑をトラクターで耕しているこの秋
夕暮れ前にあっちこっちで枯れ葉や枝を焼いているのか
煙が立ち上っている。 風がないので煙はまっすぐだ。
小春日和の今日は日本晴れ、遠くに見えるいつもの山には
夕陽があたって別世界のようだ。
<意訳>
何か忘れていたものを思い出させてくれるのは「ニオイ」である。
田舎の煙のニオイはその代表的なもので遠い昔の幼き頃へ直結する。
それに加えて秋の夕映え、特に山に夕陽があたっていると近くに感じる。
ニオイと夕映えは田舎の風物詩、ニオイで五感を取り戻し季節を感じよう。
いつもの山が違って見える夕暮れはまた格別である。
「ホウキ星 SUN(太陽)の力で 掃かれ散り(塵)」
→ アイソン彗星が太陽に接近し、その姿が消え失せた
期待しただけになにか「ソン(損)」した様な気分だ。
ホウキ星は、水分が主成分で所詮は「塵」
太陽の火(力)が熱過ぎて、塵も散りうせた。
<意訳>
所詮サラリーマンは使い捨て、到底大きな権力には立ち行かず、
ドラマの半沢直樹の様に捨てられる身。
力あるものには吸収、そして打ち消されてしまう。
長い旅路をきた「アイソン」さんもサヨオナラ
定年になるサラリーマンも消え逝きて「サヨオナラ」
「十二月 杜の枯れ葉は いつぞ去りゆき」
→ あれよあれよともう十二月、
まだついていると思っていた散歩道でみる杜の枯れ葉は、
気付かぬ内にいつの間にか落ちてしまった。
↓ ↓ ↓
<意訳>
遠くにいる人もいつも元気でやっているのだと思っていても
いつしか病気などで死んでしまうものであるなぁ
それを知るのも喪中の葉書が届くこの十二月であることよ
「霜降りて ハスに射し来る 陽を浴びて 萎るる葉々は 輝くぞ朝」
→ 霜が降りた。斜めに朝日が差してくる、朝の散歩は楽しいものだ
ふと見るといつしか雑草も霜のせいかしおれてしまっている。
しかしその葉っぱについた霜は斜めに差してくる朝日でキンキラに
輝いている。散歩は楽しい、そんな発見がある朝である。
↓ ↓ ↓
<意訳>
寒くなると朝に発見が多くなる。
そんな厳しい朝に、斜めに差してくる朝日は葉っぱについた
霜にドラマを与えてくれる。
光り輝く霜はダイヤの様で、なにか得をしたような至福の一瞬となる。
人の人生も苦しさを経たその後に、光輝く朝がやってくる。
苦しければ苦しいほど、長ければ長いほど、その輝きはひと際すばらしい。
それを迎えるためには、成し遂げる意思と工夫と知恵と努力と忍耐である。
諦めるな、焦るな、続けていればきっといい事がある。
その輝きを夢見て、今日もいきまひょ