テレビとうさん

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「遵法精神」 と 「尊法精神」

2021年09月14日 | 法律
 「遵守(じゅんしゅ)」を「そんしゅ」と読み違えるとバカにされます。「遵」には「じゅん(しゅん)」しか音読みが無いのですが、その意味は「決まりに従う」で、旧字は「噂(うわさ)」の 口 を 辶 に替えた字です。

 「尊(そん)」の旧字は「尊」の上に「八」を書いた字ですが、その旧字の字義は「酒つぼ」を意味するそうです。つまり、酒を飲んでの話は「噂(うわさ)」と云う事かもしれません。
「辶」は「行く・移動する」の意味なので、酒樽を何処かに持っていくのは「決まり事」だったのかも知れません。

 ところで「遵法(じゅんぽう)」と「尊法(そんぽう)」の違いを考えると「倫理」と「道徳」の違いに似ています。

 「尊法」は、法を尊ぶのはあくまでも「自分の意志」であり、他人から押し付けられるモノではありません。つまり、「自主的」という事で「道徳」です。

 一方、「遵法」は法に逆らわずに従う(服従する)事を意味し、自分の意志を表する事は出来ません。つまり、「強制的」という事で「倫理」です。

 勿論「尊法」と云う熟語は、PCで漢字変換しても出て来ませんし、恐らく、辞書を引いても載っていないと思います。そこで、私は何時も「遵守」を「そんしゅ(尊守)」と読み替えるのですが、それは「私は法律に従う気は無いが、尊重する意思は有る」と云う意味からです。つまり、「(自分の)道徳が法律を包含」していれば、社会から「はみ出す事無く」生きて行けると思うからです。

 ところが、最近は「法律が道徳を上書き」している為に、不道徳な行為・言動でも違法行為でなければ問題無しとされています。「自主隔離をお願いします」「個人の判断で、ワクチンの全員接種に協力してください」など、その根拠を訊くと「法律に書いてある」と言われます。

 実際には、法律にはその趣旨が書かれているだけであり、行動命令は書かれていません。また、その「科学的根拠」も明示されていません。

 「新型インフルエンザ等対策特別措置法」は国民の免疫獲得を目的に制定され、 「70%の行動制限がなければ42万人の死亡者が出る」とか「ワクチン接種率を70%にすれば、感染拡大を抑えることが出来る」等を理由に「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言 」が発出され、現在ではその科学的根拠を失っても「法律の有効性(有用性ではない)」だけは残っています。

 日本では、地下鉄や音楽祭において「人流」で溢れ返っても、今のところ「コロナ死者数は1.5万人」ですが、その他の
肺炎での死者数が数万人減少していて、寧ろ総死者数は減少傾向にあります。また、世界各地の「ワクチン接種率が70%以上の地域」でも、更に「ロックダウン」しても感染(正しくはPCR陽性者)の拡大は止まりません。むしろ、統計データでは逆効果であるようにも見えます。

 これが、非科学的な「遵法精神」の実態です。

 科学的には
「マスクは数分ごとに交換」しなければ意味が無い事は以前書きましたが、「遵法精神の人民」は長時間のマスク着用のみならず「マスクの面」に平気で触ります。その矛盾を問いただすと、「俺は感染していないので、自分のマスクにウイルスは付着していないから安全だ」と言います。ならば、最初からマスクを着用する意味は無いのですが、矛盾を感じないようです。

 これが、独善的な「遵法精神」の正体で、決まり事に従っているだけです。

 私には「遵法(じゅんぽう)精神」は無いのですが、人混みや他人の領域に入る時は「マスクを着用」します。例え科学的に無意味でも、自分が意味のないマスクを着用する事で他人が安心するのなら、法律とは関係なく「(自分の)道徳」に従います。

 これは、道徳的な「尊法精神」と言え、倫理的な法の条文には意味は無くとも、法の精神には従う事になります。




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