紫福(しぶき)キリシタン墓地追悼ミサ
山口県萩市福栄紫福(しぶき)字中山
大内義隆のころ山口には、ザビエルから洗礼を受けた多くの信徒がいた。1557年毛利元就は
すぐにキリシタン弾圧をはじめ、信徒たちは仁保村から紫福の地に難を逃れ移住した。
その後、禁教が続く間、キリシタンの教えを守り、ひっそりと暮らしてきたが、亡くなった人は皆、
祠型の墓に祭られた。 その墓も長い間風雪にさらされ山中に放置されていました。
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記録によると、1551年ごろ 山口でザビエルから洗礼を受けた信徒の数は600にあったといわれているが、1557年には2000人
いたと伝えられている。そのころ山口の仁保村から紫福村に移った人たちは、数百人にものぼったため、ある時期、紫福村は村全体が
キリシタンだったそうだ。
海外から巡礼地として注目されている。
毎年5月の第3日曜日に墓地追悼ミサが行われている。
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